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4月8日は「ヴィーナスの日」

校舎裏のゴミ捨て場まで僕一人で行かなくてはならななくなった。ほんの数分前のじゃんけんがうらめしい。もう絶対容量オーバーなのに無理やりひとつのゴミ袋にゴミをいれたのは一人でゴミ捨て場に行かせるためだ。僕もそれを分かっていて同じ班の子と無理やりゴミを入れていた。そして、あっけなくじゃんけんに負けこの通り一人で何かに少しでも触れたら破れてしまうパンパンのゴミ袋を持っている。

いつもの校舎裏は大掃除の後だからか、様々な教室から運ばれてきたものが無造作に置かれていた。大量の机や椅子は一番スペースを取っているみたいでその間にはミシンや、体育大会で使って古くなった道具が置かれていた。

そこは誰一人生徒を取り残さずに必死で話を聞き、相談に乗る先生という生き物を包括する学校という場所にはふさわしくない「いらないもの」の置き場だった。
みな一人一人の命が大切で尊いと教わる僕らに運ばせた「いらないもの」は屋外に出たのはいつ以来か、久しぶりの外にひどく不安そうでまた、ものすごい違和感があった。現実に昨日まで使われていた机や椅子は学校というセットを組んだ学園ドラマの撮影が終わったあとのように、急にセットから出されこの先どうすればいいか分からないようだった。

それは僕たちも同じ。3年間の期限付き劇団員。優等生の役や不良の役など好きな役を選んで毎日ひたすら学校のセットのなかでエチュード。もちろん前衛的な劇を目指すという学校の方針から台本という概念はなく、即興即興、また即興。

ゴミ袋を所定の場所に置き帰ろうとしたら、前から生徒二人が何かを抱えてやってきた。それは美術室にあった頭だけのヴィーナス像だった。二人はどこに置いたらいいか迷いながらも空いている机たちの脇にヴィーナスを置き、去っていった。僕は違和感だらけのこのゴミ捨て場において一番の違和感がお出ましと思いヴィーナスの近くに寄った。右手でヴィーナスを触ってみる。白い石膏でできているのか僕の手も少し白くなる。捨てられるヴィーナスを僕にはどうすることもできない。

だけど今のヴィーナスの現状を他人事だとは思えなかった。来年には何の準備も覚悟もできていない僕らも後輩や先生に抱えられて、そっとどこか分からないところに不法投棄されるのだから。

4月8日は「ヴィーナスの日」



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