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4月19日は「良いきゅうりの日」

失礼しますとカバンから取り出したのはきゅうりだった。失礼しますと言ったからには本人的には失礼な行為だと思っているのだろう……。世間一般的に失礼な行為に当たるかどうかは不明だ。

「驚いたでしょう」

きゅうり氏は左手で口元を隠し、右手に持ったきゅうりを咀嚼していた。その様子は大変に上品で、ボリボリと音を立てて鳴るきゅうりと、カフェのBGMが不思議な雰囲気を瞬間作った。

「いえ」と私は答えた。

最近、まったく書けなくなった作家のもとに、編集者からの刺客がきたのは今日が初めてで、最初からなかなか個性的な方が現れて、小説よりもよっぽど小説らしいと私は思った。

「きゅうりお好きなんですか?」

半分ほど食べ、残ったきゅうりを丁寧にハンカチに包んでいる作業の途中のきゅうり氏は、オレンジ色のハンカチにきゅうりを包む行為が、咀嚼の時よりも真剣だった為、夜も食べるのかな? などど勝手に想像した。
部活中にケガをしたサッカー部の選手の膝に応急処置としてハンカチを巻いたあとのような、丁寧な巻き方に満足したのか、きゅうり氏は答えてくれた。

「あの、作家さんなんですよね?」

「え、えぇ売れない作家です」

「なるほど、売れない作家か」きゅうり氏はきゅうりをカバンにしまいながら言った。

「売れない作家というのは良い言葉ですね。良いというのは、馬鹿にしているわけではありません、言葉の響きが良いという意味です」一人笑うきゅうり氏。

「売れない作家さんには、お答えしてもいいと思います。本当のことを正直に」

一連のきゅうりの登場から咀嚼、ハンカチを包む行為を終えた、きゅうり氏は残ったコーヒーを飲みほした。きゅうりとコーヒーの相性は不明である。

「かっぱ」ときゅうり氏。

「えーっと、え?」

「ふふ」

覚醒した瞬間も分からなければ、ふとした一瞬の間に、きゅうり氏に案内された喫茶店はただの公園で、わたしは平日の昼間4人がけのテーブルに1人座り、テーブルの上にはさっきまで飲んでいたコーヒーはなく、こどもが忘れていった砂場あそびのバケツに水が入っているだけだった。もちろんきゅうり氏の姿もどこにもなかった。

しかし私は慌てることなく、周りの公園の様子を見て、楽しそうに遊ぶ親子の声を聞いた。そして自分のカバンからいつも使っている手帳を取り出し、ペンでこう書いた。

きゅうり氏=かっぱ氏と。

4月19日は「良いきゅうりの日」


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