8月31日は「宿題の日」

終わらない物はこの世にはないらしい。命も終わるし、世界もそのうちに終わると誰かが言っていた。それは責任世代でありながらも無責任な大人の意見かもしれないが、無責任世代でありながらも責任感あるわたしは今、終わらない問題を抱えている。

日記はその日のうちに書きましょう。

かの有名な渋沢栄一も言ったとか言わなかったとかで、とにかくその日のうちに日記を書かないと昨日のことはあれ? 昨日一日何したっけ? と忘れ、一昨日のことは、ビジュアル系バンドのデビュー曲みたいに「忘却の彼方」的に忘れ、一週間前のことになると脳内内閣で閣議が必要となり、議事録を持ってきて担当者に確認し、その部分が漏れていたら大臣が「誠に申し訳ございません」と申し訳なさそうに謝罪するしかないレベル。

つまりだ、わたしは夏休み最終日である本日。まだ日記を一行たりとも書いていないという危機的な状態なのだ。

わたしの……夏。

スイカを食べ、種を飛ばした。飛ばした種が次の日大きな木になってその木を登ると雲まで続いていた。雲の上には「スカイスイカパーク」という、かなり読みずらい経営危機の地方のアミューズメント施設のような看板が出ていて、そこの住人はみなさん頭がスイカだった。メロンの頭の人がもしもいたら迫害されるのかななんて、怖いことに気が付いたが、自分はスイカでもなければ、メロンでもないことに気が付いたときは、わたしはスイカの被り物を探した。「スカイスイカパーク」にはドン・キホーテありますか? なんかありそうじゃんドン・キホーテにスイカの被り物。

心配をよそに「スカイスイカパーク」の住人はみなさん優しく、わたしをお客さんとしてもてなしてくれた。そしてたくさんのスイカをスカイでご馳走してくれた。途中で「スカイスイカパーク」の住人のみなさんの頭と食べようとしている食用のスイカの区別とは果たして何なのかという、哲学的な思考に陥り、それでもたくさんのスイカもしくは住人のスイカの頭を食べた。

ふーぅ。

こんなことを日記に書いたら、きっと頭がおかしい小学生だと思われて、怪しい施設に送られてしまうので、もう少しおとなしめなことを書こうと決意。

わたしの……夏。

おじいちゃんの家に遊びに行った際、川にて河童を目撃。きゅうりをおいしそうに食べていた。それから、わたしが川岸から河童を見ていることに気が付いた河童はこちらに近づいてきて「食べる?」ときゅうりを一本くれた。
優しい河童だった。

「きゅうり、好き?」と河童は聞いてきた。

「うーん、サラダでよく食べるけど好きとか嫌いとかない」と答えた。

「ふーん、きゅうりは一本そのまま食べるとおいしいよ」

わたしは生まれてはじめて生のきゅうりを一本丸かじりした。一言で表すならば生命感を食べているようだった。新鮮の次のレベルは不明だがそこまでいっているきゅうりからは、一口かじるたびに夏のすべてがあふれ出てくるようで、圧倒的な夏だった。

ふーぅ。

さきほどよりもいいのではないか。河童との文化的交流が描かれているし、なんといってもひと夏の思い出っぽいエピソードだ。

あとは当たり障りのないことを書いて胡麻化そう。

おばあちゃんがUFOにさらわれて、帰ってきたら叶姉妹の姉みたいになっていた話とか、弟が山で恐竜の化石をみつけたらそれは天狗の鼻だった話とか。あーっ、だんだん思い出してきたぞ。

こうして日記を書き始めた。

8月31日は「宿題の日」



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