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平泉澄先生『先哲に仰ぐ』覚書 その四

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。
 どうか最後まで、お付き合ひください。そして、スキが付くと嬉しいものですね。一人でも見ていただけたら、有難く、忝く思ひます。前回の内容も、ご参照ください。

 さて『先哲を仰ぐ』中の、「維新の先達 真木和泉守」には、真木和泉守が楠木正成公と菅原道真公を尊敬されてゐたことが記されてゐます。菅原道真公のことにつきましては、『先哲を仰ぐ』の「至純の忠誠」に記され、そこで菅公が偉大とされる理由を平泉澄先生は、太宰府に流された後の態度が「拘幽操」の精神と同じだからとしてゐます。
 真木和泉守自身の菅公崇拝は、水田で幽囚生活を送る中、「菅家文草」十三巻を写し天満宮に奉納されたことからわかります。
 なほ、「拘幽操」は無実の罪で投獄させられた周の文王の心持ちになり歌つた韓退之の作で、そこには不徳の紂王を恨む気持ちがありません。山崎闇斎先生はこの「拘幽操」を「臣道の極地(「神道の本質」)」と評価され、後に浅見絅斎先生や谷秦山先生たちは闇斎先生同様、「拘幽操」を評価し、跋文を記し、精神を継承しました。

 楠公は今さらいふまでもありませんが、幕末に於いて吉田松陰先生をはじめとする心ある人たちに尊敬されました。さうした中でも真木和泉守はその当時、毎年楠公祭を行ひ、「今楠公」と称えられてゐました。
 興味深いことに福井の歌人、橘曙覧先生も楠公のことを讃える歌を作つてゐるのです。

 一日生きば 一日こころを 大皇の 御ために尽くす 吾が家のかぜ

橘曙覧先生御歌



 この御歌は曙覧先生が楠公の立場になられて詠まれたものと理解できます。そして、この心は奇しくも真木和泉守が理解してをられた楠公像と一致してゐるのです。
 「先生が楠公を慕はれます点は、その功績にあらず、ただその命を致して自分も死ぬ、子供も死ね、孫も死ね、一家一族全部、皇室の御為には命を捧げるがよい、この一点を真木和泉守は感服し、自らこれを実行しようとされたのであります」
 これは「楠子論」に書いてあります。

 「楠子は親を滅して皇統を継ぎ、以て万世の道を存す。(中略)あゝ楠子の忠義、また天壌とともに窮まりなきものか」

「楠子論」は平泉澄先生が千早鍛錬会でされた御講義打聽きが『先哲を仰ぐ』に収録されてゐますので、併せてお読みください。

 いかなる人を尊敬するか、これは私ども現代人にとつても大きな課題でありませう。私は、かうした価値基準の混乱した時代にこそ『先哲を仰ぐ』のやうな書が必読であり、かつ先哲といふ存在に思ひ致さざるを得ません。なほ、『先哲を仰ぐ』の解説にもありますように、平泉澄先生は楠公と山崎闇斎先生を仰いでをられました。その証拠が五月二十五日、さう楠公討ち死にの日前後の楠公祭と、秋の崎門祭の斎行です。

 なほ、今年の千早鍛錬会ですが、二年ぶりに開催される運びとなりました。今年の平泉先生の御講義は真木和泉守の「楠子論」です。例年では、吉野の旅館歌藤を会場としてをりましたが、今年から場所を改めて同じ吉野にある旅館竹林院群芳園開催する予定です。八月十九日金曜日から二十一日日曜日までの三日間です。詳しくは、以下のHPをご覧ください。多くの方の参加をお待ちしてをります。
 「維新の先達 真木和泉守」と「楠子論」の二つは、千早鍛錬会の本質、つまり先哲の学問を理解する助けとなることでありませう。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)

 ※なほ、今年の千早鍛錬会ですが、中止になりました。お詫び申し上げます。

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