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平泉澄先生『先哲を仰ぐ』覚書 その三

 この記事に目をとどめていただき、ありがたうございます。
 前回に引き続き、どうか最後までお付き合ひください。

 前回、橋本景岳先生について記しました。特に、景岳先生は山崎闇斎先生の学問の系譜である崎門学から「忠孝」の精神を学んでをられたことについて、強調しました。

 ところで、私はまだその忠義・孝行といふ点を深く述べることはできません。何故なら、平泉澄先生は『先哲を仰ぐ』中の「維新の先達 真木和泉守」で、

 菅公(菅原道真公)は少しもお上をお恨み申し上げることがない。恩賜の御衣を捧持して泣いてをられるといふことは、真に古今に絶する忠義の誠であります。支那にこれを求めるならば伯夷叔斉がそれでありませう。文章にこれを求めるならば拘幽操がそれでありませう。これは実に忠義の極致であります。この境地に達した後に於いて初めて真に忠義を説くべし。
平泉澄先生『先哲を仰ぐ』錦正社 所収「維新の先達 真木和泉守」

 また、「神道の本質」では、

 神道におきまして、子が親に仕へ、臣が君に仕へる忠孝の徳の根本の精神を明らかにしたものとして、これは非常に重大視しなければならぬ。この考へがありまして、はじめて忠孝を説くべし。自分の都合のよいときに忠を説き、自分の都合の悪いときに忠孝を無視する。それでは功利主義なんです
平泉澄先生『先哲を仰ぐ』錦正社 所収「神道の本質」

と記してをられるからです。
 私はまだ平泉先生の求める忠孝を論じるだけの実践も精神力もありません。自分の今日までを省みて、忠孝を論じられるだけのことをしてきた自信も学問も足りません。あくまでも、分析する程度が関の山です。

 さて、ある方が「橋本景岳の忠義は松平春嶽に対するものであつて、天皇に対する忠義ではない」と言つてゐました。しかし、私は、さう思ひませんでした。確かに、藩主である春嶽に対する忠義も持ち合はせてゐたでせう。藩主に対する忠義(いはゆる小忠)は、当時の多くの武士にとつて当たり前の感覚です。例へば、吉田松陰先生も毛利家に対する忠義を大切にしてゐました。さらに、松陰先生と同じく景岳先生も「中根雪江宛書簡」で神武天皇の遺訓として尚武の気象と忠孝の精神を説いてゐるやうに、当然皇室に対する忠義(大忠)も持つてゐたことでせう。この書簡は「天壌無窮の神勅」を景岳先生がご自身の言葉にされたものと理解するのは行き過ぎでせうか。

 また、景岳先生は山崎闇斎先生に私淑した吉田東篁から崎門学を学びました。彼は学問をする上で「愛国」といふことが大事だといひ、景岳先生もその謦咳に触れ影響を少なからず受けたことでせう。さういふことからも、景岳先生の忠義は決して春嶽のみに対するものではなく、天皇・皇室に対しても持つてゐたと見て間違ひないでせう。
 景岳先生は「機械芸術彼に取り、仁義忠孝我に存す」と言はれたやうに、西洋の良さを取り入れても決して自らのアイデンティティを失はない、正しい学問を持つた方でした。
 明治天皇御製、

 よきをとり 悪しきを捨てて 外国に 劣らぬ国に なすよしもがな

 と軌を一にする哲人でした。

明治天皇御製



 しかしながら、明治時代にはかうした感覚を失ふ人が多かつたことも事実でありませう。
 かつて東大で哲学の教鞭をとつたラファエル・フォン・ケーベルは次のやうに述べてゐました。

 純粋の日本というものの消滅する日の来るのは、もう遠いことではあるまい。おそらくはどこか田舎において、偏陲の島々において、百姓や漁夫の間には今なおそれ(生粋の日本)が存在していることであろう。都市においてはしかし、今や全然価値なき西洋の『近代文明』(この語はむしろ外的物質文明を指す)が日本の文化(内的精神的文明の義)をば殆ど食い尽した。私は到るところにヨーロッパやアメリカの罪悪と愚昧の猿真似を見る。しかるにこれらの罪悪や愚昧たる、実は日本的および総じて東洋的精神には徹頭徹尾矛盾するものであり、また高級な真に教養ある日本人には嫌悪の情を催さしむるに相違いないところのものなのである。
『ケーベル博士随筆集』岩波文庫

 明治時代には谷干城のやうな気骨ある人物もゐましたが、ケーベルのこの発言から、西洋文明の前に主体性を失つた当時の国民の姿が見てとれます。明治時代は確かに光輝く時代でした。しかし、光が強ければその分、影も大きいものです。ちなみに、ケーベル博士については、「日本」平成三十年一月号に「ケーベル博士〜西洋哲学の伝道者」が松村太樹さんによつて書かれてをり、わかりやすくてオススメです。
 なほ、谷干城は谷秦山先生の子孫であり、崎門の精神を受け継いだ人物です。彼については「神道の本質」の中でも論じられてゐますが、中公新書から彼の詳細な伝が出版されてゐてこれも面白いです。谷秦山先生については、『保建大記打聞』を忘れるわけにはいきませんね。どうかご参照ください。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)

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