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コミュニケーションは質問することから始まる

最近、何となくもう少し人の,、人となりを知ることに意識を向けることをしてみたいと思っている。このコロナ禍の中、人との距離が物理的にできてしまったこととも関係があるのかもしれない。

例えば、私は日本ではもちろん、いろいろな国を旅していても、なぜか人から声をかけられたり、道を聞かれたりすることが多い。
先日、散歩しているときにも、前方から来る自転車に乗ったおばさんに、
「この近くの〇〇公園に行きたいんだけど知ってる?」とかなりフランクに聞かれ、
「そこを右に曲がったってしばらく行くとありますよ」
「いやね、知ってるはずなんだけど、一度だけ行ったことはあるのよ。いい公園なのよね。ありがとう~」
と言って笑顔で走り去っていった。
ただそれだけの出来事だったのだけど、おばさんの笑顔に癒された。
声を掛けるのに私を選んでくれて、少し立ち止まり話をする。本当にただそれだけのことなのだけど、知らない人と一瞬だけ交わり時間を共有するって、なんだかとても不思議なことだなと改めて思った。

また別の日には、買い物した帰り道で家の前で庭仕事をしているおじさんから突然声をかけられた。
「サボテンの子どもが増えちゃったから、好きなの持ってってよ」
庭先の岩の上に、ちょこんとしたサボテンの子どもが入った小さな小瓶がいくつか並んでいる。
「へえ。かわいい」と言ってしばらく作業を見ていると、
「これね、大きくなって上手くいけばきれいな花が咲くんだよ、ちょっと待って、今見せるから」
と言って、スマホから以前咲いた花の写真を探して見せてくれた。
え?このサボテンから?と思うような大きなピンクの花が、とってつけたように天を向いて咲いている。
「合成写真じゃないですよね、へえ。不思議」
なんて、どうってことない話だけど、自分の知らないことを知ることができて面白かった。15分ほど立ち話をして、最後に一つ気に入ったサボテンの子どもをいただいてきた。

せっかく人から声を掛けられる頻度が高いのだから、人にもう少し関心を寄せて、その人のことを知ろうとする努力をしてもいいかもなと思った。
そうすることで自分の世界がもっと広がることがあったしたりして。
無理なことはしないけど、お互いに話したいタイミングが合うという一瞬の奇跡を大切にしてみたいと思う。
それは、街で出会った知らない人とも、一緒に仕事をする同僚とも、もちろん仲の良い仲間や家族とも。
関心があれば、あと一言。もう一言。私から質問してみる。

そうやって、コミュニケーションは質問することから始まるから。

人は興味のない人にはまず質問をしないのではなかろうか。
でも人は質問をされると、無意識ではあるけれど自分に興味を持ってくれているのかなと思えるし、気を許す。
だから、質問に答えることで少しずつ緊張がほぐれて心にほのかな灯が点ることもあったりする。
それは友ができるときや、恋愛のきっかけや始まりもそうなのかなと思う。


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