こんな時代、こんな日に30歳になって。
逢いたいと願う人にも逢えず
楽しみにしていた仲間との集まりは「いつか、また」になり
それでも画面越しに再会して、時間を分かち合う時代。
4/7に緊急事態発令がされ、いよいよ実生活で効力が見えるかもしれない。
知っているあの街が知らない顔を見せてくるかもしれない。
そんなドキドキする日、4/8に、私は30歳になりました。
ここ数ヶ月、新しい時代の幕開けをどんな風に過ごしたいか
自分を振り返っていたのですが、20代は「表現」の時代でした。
特に、切っても切り離せなかった音楽。
恥ずかしい気持ちがありながらも、改めて聴いてみると
自分が書いてきた音楽が、自分のその時の人生を描いているってすごく感じる。
そして理屈じゃ表現できない「ああ、音楽っていいなぁ。」って気持ちが #うちで踊ろう をソーシャルで見ていてさらに盛り上がって。
そんな気持ちで書いてます。
自分の過去記録と意気込みなので、そんな文章に付き合ってくれる方が進んでくだされば嬉しいです。
冒頭に貼り付けたCanvasという曲は、幼馴染が留学してイギリスにいってしまう際に逢えなくなる寂しさを書いた曲。
彼女が日本にいない寂しい自分を、色のないキャンバスに例えていました。
すこしだけ、いまの自分たちの状況にも似てるな、なんて思いながら聴いてて。。。
親友を空港で送り出す時の写真。ご本人は出国ゲートの中なのでガラス越し!
ではでは、振り返りスタート。
音楽と私
物心ついた時からプロのミュージシャンになりたいと願い
いつもクラスでは前に出るのが好きだった私は
15歳から曲をかくようになり、高校生からレコード会社をまわるようになり
19歳に上京してからはシンガーソングライターとバンド活動に明け暮れました。
そんな私の20代は音楽活動に明け暮れ、没頭し、夢のような景色も見て。
でもどん底も現実もみた、そんなジェットコースターのような時代でした。
20歳。運命的な出会いで結成されたメンバーと初めてのライブ。
この曲「Perseus Drive」は、メンバーみんなの憧れのバンドが当時やってたことを全部つめこんだような、ごちゃまぜで荒削りな曲なんだけど
一番青春で、一番なんもわかんなくて、ただまっすぐに、バンドとしていけてる曲を書いて、アニメの主題歌なんかとれちゃったりしたらいいなー!なんて思って書いたのです。
(実際にアニメの主題歌になったのはかっこいい友達のバンドで、めちゃくちゃ悔しい思いをした。)
おそらく、男性目線の曲を書いたのはこれが最初で最後。
好きな子をドライブに誘って遠くへいく歌なのだけど、私がこんな風にされたい、想われたいってただひたすら妄想で書いた曲。笑
歌い方も荒削りだなあ。20歳。
そこから東京に染まって、染まりたいと思って
自分に言い聞かせるように書いたUrban girl。
一時期テレキャスターにおだんご、衣装は赤系で統一してた。
都会のかっこいいバンドになりたくて、ここから少しずつダンスミュージックの要素が強くなり
20代半ばはこんな曲を書いてました。
少し強がっていて、でもどうしてもかっこよくなりたくて、もがいてた時期。
それでも、いわゆる「メジャーデビュー」は届かず。
どんどんデビューしていく同世代の友人ミュージシャンの背中を悔しい思いで何度も見つめながら
私は音楽活動をすこしスケールダウンして続けなから、社会人になることを選びました。
上でちゃんと聴いてくださった人は気づいちゃったかもしれないんですが、
なんというか、色々やりすぎたなと・・・
どこかのジャンル、どこかのスタイルでちゃんと突き抜けることができなくて、
いろいろなエッセンスを詰め込みすぎて、個性がずば抜けることができなかった。
だから光るものも、ご縁も生まれなかった。
作品たちは自分の性格をまるでリフレインしていて、恥ずかしくなりますね。。。
(ほんとうに深く詮索しないでいただきたいのだけど、迷走したYouTuber時代もありましたw)
THE 1975のみんなと。Chocolateだいすきだなあ〜
それでも、今でも企業の広告の音楽をボーカルとして歌わせていただいたり
作曲をさせてもらったり。
↓人生ではじめて自分の歌のCDがCDショップに並んだ時!
自分を表現する場をいまでも持てていることが、居場所で、ほっとする場所です。
秋元康さんにチェックしてもらって、OKもらったこの曲。
もう秋元さんに自分のメロディ聴いてもらえたなら、私の音楽人生悪くない!と思った瞬間。
20代と私
(↑つっちーとほりぴー。社会人最初の先輩。この二人には頭上がらないけど今ではどちらも仲間!!!)
結局表現するのが好きで、就職活動も広告会社やクリエイティブ
もしくは新しいサービスを作れそうなITの会社を受けたりして、
ご縁がありViibarという動画の会社に入社し、
発信するのが好きだったから、グローバルな環境に身を置いてもっと羽ばたきたくなったからTwitterに転職して、ビジネスの面白さを知って、
もう一度、今度は別のステージに立ちたいと思い、二度目の転職をして、いま。
(ここに近々現職の写真を入れる予定です)
変わらないことは、目の前の人が喜ぶことが、自分の生きる力になるって思っていて、
その手段が音楽なのか、ご飯を食べることなのか、という違いなのかなと思います。
これからと私
30代ってどんなだろう。
少なくともいまわかることは、30歳の私は
20歳になりたての私が想像していた自分とは全く違う姿になっている。
20歳の私よ。
きみが想像した世界とは少しちがうでしょう。
それでも私はいま自分の人生がたまらなく好きで、
ここで出逢えたものや人、
楽しいことも、苦しいことも、全部いまの自分を作り出していると思います。
また次の10年を彩り豊かに、そして想像もできない最高な世界にしていくために
いまを、全力で生きておくれ。
そして
はやく平和な世界が訪れて、みんなが逢いたい人に逢えますように。
私が逢いたい人にもこれからもたくさん逢えますように。
こんな時代に誕生日を迎えて、少し寂しい気持ちになってしまった直近誕生日だったみなさんと、
ちょっとだけ自分に。
ハッピーバースデー!
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