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初心者の夫が作る「固定観念にとらわれない料理」から、気づいた大切なこと


料理初心者の夫が、急に自炊をしだして2ヶ月たつ。

普通に料理ができてしまう私には思いつかない、固定観念を崩すような作品が日々できあがってくる。

毎日がとても楽しくて美味しい。


衝撃の初回のレポート(2020年1月)のコージ飯の記録はこちら↓。

私の辛辣であり愛情深い感想を加えた、夫ならではのお料理の記録である。




さて。2月の記録もここに残しておこう。



「今から何も見ずに創作だし巻き玉子作ってみる!味はまずなしで!(真顔)

「ええ〜〜〜!だし巻きなのに!?巻き玉子やん!」


初心者の割にめちゃくちゃ上手なだし巻き玉子(だしなし)ができて感動。

どうやら「くるくる巻いて焼く卵焼き」=「だし巻き玉子」と思っていたらしい。「だし」=「出汁」と思っていなかったようだ。結果的にその後、彼の中でこの食べ物は「巻き玉子」として定着する。

出汁の入っていない「巻き玉子」新しい&美味しい。(味がない)




突然のおっぱいである。

2月、しょっぱなからぶっぱなしている。

しかも、本人も懺悔しているけれど、ハムに巻いてあるビニールをむきそこねて焼いている

初心者あるあるの出来事ににっこりし、おっぱいハムと上手に巻けた巻き玉子で爆笑し、幸せな食卓。

美味しい。




なんだこれは。

素朴な疑問の朝食である。

先日までよくわかっていなかった「出汁」という存在にいつの日か気づき、出汁を取った後の「出汁がら」をマヨネーズであえてパンにのせて焼く、なんていう高度なことまでいつの間にかできるようになったのだがこの有様である。

マヨネーズ、出汁がらの量など、とにかくいろいろ足りない。

でも美味しい。(味が薄い)




味がない。

美味しそうに見えてこの白い焼きそば・・・薄味というかほぼ味がない。

「味は後から自分で付け足したっていい」ということに改めて気付かされた一品。

彼はそのまま食べてたけど満足そうだった。

うん、美味しい!(味は足した)




創作フレンチトースト。

創作、と名付ければ大抵のものは許されるという世の中の掟をうまく利用した一品。

実はフレンチトーストの作り方は知らず、玉子につければいいのでは?と彼なりに考えてやった結果、牛乳も味付けもほぼない「玉子パン」になった。

フレンチトーストにマヨネーズ・・・・何事もチャレンジである。

フレンチトーストの概念を失いかけたけれど、美味しい!




と思ったら、レシピ通り作ったらいきなりめちゃくちゃ上手になった。

完璧、むしろ私が作るよりうまい。

甘い!しっとりふわふわ、最高に美味しい!



と、この時ふと、少しだけ心がざわついた。


夫は初めて「レシピを見る」ことを覚えた。

これは大変画期的なことだ。

そもそも、創作料理というものは料理の基本スキルがある上で「アレンジ」をすることだと思うのだけど、夫はその基礎がない状態で「0から完全創作」していた。

だから、時に奇想天外なお料理が出来上がってきたのだ。


0から完全創作をやめてレシピを見ることで、真面目な性格な彼はその通りにきちんと作る。そうすると、なんと!とても上手にできてしまう。

彼はそもそも真面目で丁寧な性格だ。

レシピを見る=きちんとレシピ通りに作る。

そこで思った。彼の「常識にとらわれない彼ならではのクリエイティブ」は今後失われてしまうのか。。


この時、ツイッター上でもファンから様々な懸念が発せられた。




そうなのだ。

本人は上手に料理ができて大変うれしそうだし、私もめちゃくちゃ美味しくて嬉しい。

でもこの、喪失感はなんだろう。

これから #コージ飯 の良さをどこに見い出せば良いんだろう。


美味しさと本人のスキルアップをとるのか、彼の純粋でいて斬新な完全創作をとるのか。。。

悩ましい。。。



ここで気づいたこと。

初めは私も夫も同じ気持ちでスタートしたはずだった。

「無職になるから節約のために自炊をしよう。続けられるようにせっかくだからTwitterに載せていこう。」それくらいの気持ちだった。


なのにいつの日か私は、彼の作る料理をコンテンツ化しようとしていたことに気づく。

レシピを見ずに思いつくままに作る、料理初心者のお料理。

狙っているわけでもなく、彼のそのままの気持ちがダイレクトに料理に現れている、それがかえって面白く、楽しく、斬新で、みんなの心を掴んでいく。

もっと面白いものはないか。

もっと斬新な料理にならないか。

私は常に、コンテンツとして「面白いか」という視点が強くなっていった。


でも彼は一貫して、初めの気持ちから変わっていない。

「レシピを見るのは面倒だし、買い物も行きたくないけど、見たことある料理だからどうにか自分でもできる気がする。自炊しないと、だから、頑張って作ろう。」という気持ちで作っているのだ。

本人は上手に作りたいのだ。

失敗したくない。

簡単でそれなりに美味しくて、チャチャッと作れるお料理を作りたいのだ。



夫本人からの悲しみのツイートも。

お互いに複雑な気持ちを抱えたまま(そんな深刻ではないが)、彼はそれでも着々と料理を自分のものにしていった。


こんな風に上手に美味しくできることもたくさん増えてきたのだ。

(再玉子とは?)

とても美味しい。



千切りキャベツと肉の量のバランス、ご飯の少なさ・・・

大丈夫です、とても美味しい。


美味しい料理は当たり前だけど嬉しい。

最高なのだ。

本当に本当に嬉しいのだ。

だけどまだ、心にぽっかりと空いた穴。

そんな中・・・



なんと、私が仕事で忙しくしている間、そして一旦家に帰ってまた打ち合わせに出かけようとするそのちょっとの隙間に・・・

なんとおにぎりと卵焼きを作って持たせてくれたのだ。

「会議の時に食べるといいかなと思って」と、頑張って作ってくれたのだ。


夫が初めて握るおにぎり。

今まで私が作ってきたおにぎりを思い出して、どうにか材料をかき集め、3種類も作ってくれた。

握り方はもちろん、なんとも言えない、、、三角のような、三角でない、ご飯の塊だ。

今までは味のない「巻き玉子」だったものが、どうにか味をつけて「卵焼き」に昇格していた。(ちゃんと味がある!)


なんていうか、、、泣きそうになった。


夫の料理を半ば冷やかしのようにコンテンツ化しようとしていた私。

面白いお料理ができると喜んで、上手にできすぎるとちょっと(つまらんな)と思っていた私。

なのに手伝いもせず、味が薄いとか、千切りじゃない百切りやとか、言いたいことばっかり言って、作ってもらっていたことに感謝が薄れていった私。


だけどそんなことは全く気にせず、ただひたすらに「自炊をせねば」と努力してくれていた夫。

しょっちゅうお腹が空いたと嘆いている私のことを気にしてくれた夫。

今までお出かけや山登りに、よくおにぎりと一緒に卵焼きを作っていたことを思い出してくれた夫。

自分は味も薄くて種類も1つでいいけど、、、カナコ氏は食いしん坊だからいろんな味があった方がいいだろう、しかもおかずも欲しいだろう、そんなことをきっと考えて作ってくれた夫。

とは言え、そこまで考えてもいないかもしれない、いつだって素のまま、真面目で、優しい夫。


私は会議中、ずっとニコニコしながらおにぎりを食べていた。

夫に作ってもらったんだよ、と、自慢げに話しながら。


自分が作らなくてもお料理が出てくる毎日が本当に幸せだ。

失敗していても、味が薄くても、とても美味しくても、完璧な仕上がりでも、実際のお料理の良し悪しなんて本当はどちらだっていいのだ。


夫は今日も、真剣にお料理に向き合う。

私は今日は何かな?と楽しみに待つ。

一緒に笑いながら食卓を囲む。

それが一番なのだ。


***


2月後半も続きます。



爆裂餃子の記事はこちら。。。。


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