「一度あっちに、行ったんやと思う」/父との記録日記DAY2
「父が座ってプリンを食べたいと言い出してる」
母からのLINEにまずは「えっ?!」としか返せなかった。
あれ?
父って、うちの父って。
昨日、延命治療の話も先生とするくらい生きるか死ぬかみたいな感じになってて、目も開かない、息も絶え絶え、朦朧とする中で、最後に何の言葉をかけようか悩んだ相手、その父だよね?
喋れるの?
座れるの?
食べれるの?
同一人物だよね?笑
お別れかと思った昨日の日記↓
一晩明けたら、急に普通レベルの入院患者に戻ったらしい。
なんだったんだ。
こういう時の自分は(多分家族も)不思議に不謹慎だ。
おそらくもう会えなくなる日も近いと思って覚悟を決めたのに、意外と元気じゃん?!とわかっても、素直に「よかった」と思う気持ちともなんか違う、複雑な気持ち。笑
父にこの日記を見られたらやばいかもだけど(笑)、それなりのストーリーを想像していたんだと思う。
それが違う世界線に急に移動したみたいだ。
あらすじと本編違った!みたいな。
よかったというより、なるほどこのパターンねと思う余裕すらある。
人って柔軟性があるなぁ。
昨日は車運転しながら泣いていた私なのに。
プリンを食べたがる父の情報を母から受けて、緊急帰宅予定だった弟もすぐには帰る必要ないかもとなり(年末で新幹線もいっぱい)、私も今日は行かずに、様子だけLINEでやりとりしている。
親戚の人たちが数人来て面会したという。
昨日の連絡ではもうダメかと思ったけど、案外元気やねとなったようだ。
いや、でも、そういう意味では本当に良かった。
我が家はたくさんの親戚があり、昔のようにみんな揃って会うことはなくなったにせよ、ずっとみんなそれぞれを思いやっている関係だ。
私たち家族は旅行もしたし、苦しい中でも声をかけれたし、もう思い残すことはない!と思ってたけど、親戚たちにとっては思い残すことだらけだろう。
そりゃそうだよね。
体が悪くなって行く状態に家族は少しずつ慣れていったけど、しばらく会ってない人にとっては青天の霹靂だったと思う。
体が悪いとは知ってたけどそこまで?まだ70歳でしょう?という感覚が、みんなにもあったと思う。
そういう意味では、親戚たちみんなが後悔しない、今できることをそれぞれに納得できるまでの期間が伸びたのだ。
そして父はプリンどころか、ヨーグルトとバナナを要求し、髭剃りを持ってきてほしいと言ったらしい。
え、元気過ぎじゃない?!
食べれるの?
(流石に市販のプリンは血糖値が上がりすぎると先生に止められたらしい)
髭はもうええやん、と思ったけどそういうことではないらしい。
余命いくばくもない時点での「食」の判断は難しいものだなぁとおもう。
どうせもう長くないなら好きなものを食べたい、食べさせたいと思う一方で、これが引き金になって急変してしまったら?喉に詰まったら?など、気になることもあるにはある。
義父が亡くなった時も、それは少し引っかかっていた。
まだ車椅子に乗って移動ができたころ、「ラーメンが食べたい」と細い声を絞り出して言っていた。
もちろん、病院的にはありえないのだけど。
食べたいよなぁ、そりゃあずっと薄味の入院食だもんなぁと。
義父はとうとうラーメンは食べることなくお別れとなってしまった。
けど、もう先はどうなってもいいから好きなもの食べるか!とかできないものなのかなぁと思ったりもする。
でも実際は食べてすぐに死ねるわけではないから、結局そのせいで苦しむことが長くなったりすることもあるんだろうね。
難しい。
それにしても父。
食欲や綺麗にしたい欲があるって素晴らしいなぁと思う。
欲が何らかあるということは、生きたいという根本の欲があるからこそだよね。
面会した親戚の1人からのLINE。
父が「一度あっちに行ったんやとおもう」と言ったらしい。
次会った時に、その感覚を根掘り葉掘り聞きたい。笑
昨日は何が見えていたのか。
我々の言葉は伝わっていたのか。
記憶はあるのか。
痛いのか苦しいのか。
そんなものもなく感覚も感情もないのか…?
15年くらい前に、友人とインドに行った時のこと。
現地のスパイシーな食べ物を美味しい美味しいと食べていたら、最初の3日くらいで胃が受け付けなくなってしまった。
そこからはもう何を食べても飲んでもダメで、水を飲んでも戻してしまう、悲惨な状態。
どうにか最終日まで持ち堪えるものの、体は脱水状態が激しく、自分で歩けず引きずられるようにデリーの空港へ。
私の意識は朦朧としていた。
友人が車椅子を探しに行ってくれている間、異国の空港でひとりぼっちだった。
広いシートにただごろりとアザラシのように横たわることしかできない私。
全身が脱力していて、寝かされたそのまま動けず目を瞑っていた。
気持ちよかった。
このまま寝ちゃったら気持ちいいなあ、ああそうか、これがいわゆる「死」ってことか、と朦朧とした意識の中で夢心地で思っていた。
暑いとか寒いとか、痛いとか気持ち悪いとか、もう何も感じない。
今誰かに襲われても、声をかけられても、うとうとと放心していることしかできない。
無防備極まりない状態だけど、私は何だか気持ちよくて、このままずっと、永遠の眠りにつきたいと思っていた。
これで本当に死ねるのかはわからないけど。
自分が死ぬ時は、こうやって、何も食べれなくなって、ただ体は弛緩し力無く、重力に任せたまま、干からびていく。
そんなのはどうかな?と思うけど、そんな甘くはないんだろうね。
実際に「一度あっちに行ったんやと思う」といった父はどうだったんだろうか。
私はセントレアの病院で意識が戻った時、あ、味噌汁飲みたい、と瞬間的に思ったのを覚えている。
欲しているのだ、体が。
ちゃんと生きたいと思ったんだ。
それと同じように、父は体が動くことを実感して、あ、プリン食べたい(生きたい)、と思ったのだろうか。
それってとても愉快だ。
そして何だかとても頼もしい。
死ぬ時は苦しくないといいなあと思うけど、苦しかった先にはどっかの段階から気持ちよさが出てくるといいな。
脳内麻薬って上手に使えないのかな。
私はデリーの空港で、見た目は明らかに倒れて苦しんでいたけど、実際は恍惚としていた。
そんな最期って本当にあるんだろうかと、今日、ふと考えていた。
続く↓
2023年12月29日
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