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「ありがとう」はまだ言わない / 父との記録日記DAY1

2023年12月28日夕方

意識も行ったり来たりの状態の父が今、ICUにいる。
もう長くないだろうと覚悟はしていたものの、急にくるもんだなあ、と、やっぱり少し面食らう。

父は数年前までショートホープを1日60本吸い、長い間サントリーのオールドウイスキーのロックを好み、酒を美味しく飲みたいからと母の美味しい食事はあまり食べず常に少食で、気まぐれにコンビニのサンドイッチやジャンクフードをつまむ、運動はしない、健康とは真逆の生活をしていた。

何年も前から肺気腫を患い、ここ1年くらいは酸素の吸入も開始し、数ヶ月前から心不全と診断されていた。
その頃から、入退院を繰り返している。

何年も前、肺が悪くて入院するのに病院で隠れてタバコを吸っている父を見て「もう絶対にお見舞いになんて行かない」と思った。
病院にお酒をもってこいと母に言っていることもあった。

私たち家族は、お酒を飲むと怒りっぽくなり会話がままならなくなる父にうんざりしていた。
私は、父が入院しても体を悪くしても「自業自得」と思っていたし、酒飲んで死ねるならむしろ本望でしょ、くらい、ずっと思っていた。
正直、同情の余地がないくらい、私たち家族は父のお酒には辟易していた、何年も、何十年も。

そんな父が力なく横たわって酸素マスクをされている。
今日明日、どうなってもおかしくないという感じだ。

母は以前から聞いていたと思うが、私は今回初めて、先生に現状の報告と今後の意思確認について話を聞いた。

現在、父の体に存在している病気のラインナップ
・著明に進行した肺気腫
・心不全(肺性心)
・慢性腎障害
・糖尿病
・バセドウ病
・心房細動 など
バラエティ豊かですね。

最近は吸入する酸素量が増加していて、入退院を繰り返す頻度も短くなってきていた。
脈拍は150で、常に走っている状態と同じ。
通常の腕からのルート(点滴など)が取れないので、首筋からの中心静脈ルートを確保するとのこと。

今回の入院は何らかの感染があり、肺に影響があったことで急に苦しくなったのでは?とのこと。
肺の状態を見ると、もしかしたら肺がんの可能性もあるとのことだった。(検査すらできないが)

現在、酸素マスクを使った呼吸サポートをしてもらっている。
苦しそうだが、一応自分の力を使って呼吸をしているとは言えなくはない。
これができなくなると、喉に管を入れるような侵襲的人工呼吸というものになるらしい。
自分の力関係なく、自動的に酸素が送り込まれるもの。

「延命治療はしたくないと父は言ってましたし、私たち家族もそれを望んでいます。何からが延命治療というのでしょうか?」という私からの質問に、先生は丁寧に答えてくれた。

「延命治療という概念は難しいね。今すでに呼吸が苦しい状態だがどうにか自分で呼吸ができている。ただ、これもダメとなると次のフェーズは侵襲的人工呼吸になるが、それは自力での呼吸ではなくなるので延命に当たると思う。また、自分で外してしまったり、呼吸以外の急な変化ももちろんある。どうするか。」というようなことを伝えてくれた。

先生の話のニュアンスから、今の状態から内臓が良くなることは絶対にないこと、私たちも父が自力で何かできる状態でなければ本人も望んでいないだろうことを考慮して、「侵襲的人工呼吸はしない、急変した場合も自然に看取る」ことを決断した。

ちょっと前に父と家族みんなで遺産相続や土地や墓の話をしている時に「延命治療は絶対しない」と言っていたけれど、どのタイミングでどういう内容で行われるのか、あまりよく分かってなかった。
実際に身に起こると、なるほど、このことか…と、冷静にふと、思った。

「自宅で看取るってこともあり得るのか?」
「何か急変した時に結局救急車を呼ぶことにはなるので、病院でいいのでは。」
「めちゃくちゃ苦しくて亡くなるのはかわいそうな気がするけど実際どうなんでしょう」
「どうでしょうね…本当に苦しい時は眠るような薬もありますが今はまだ…」
など、納得するまで話を聞いてくれて家族としてはありがたかった。

一時は、意識も失っていたということで、本来は1日2名までしか入れない面会に、2度に分けて親戚も含めて数名入らせてもらえた。

酸素マスクをつけた父は、とても息が苦しそうだったけど、少しぼんやりもしているように見えた。
話は伝わっているようで、声をかけると頷いたり、目を少し開けたりした。
手はダラリと力なくしわしわでシミだらけ、晩年のおばあちゃんのしわしわで細くて白い手を思い出した。
そこに重ねた母の手は、ハリがあり黒く焼けていて力強くて、全然違うね、と笑った。
生命力、という言葉が浮かんだ。

喋れないけど何か言いたげな父が、空中に何かを書くような仕草をしたので、紙とペンを看護師さんにもらった。
ほとんどないような筆圧でよろよろの筆跡で書かれた文字。

「あぁあ」

え?!

ありがとうって書けなかったのかな?と言ったら、首を横に振り、これだ、と、紙を指すので、ああ、本当に「あ〜あ」って思ってるんだなと分かった。
いつも父が「あ〜あ」っていう時は、何だか落胆しつつもちょっと面白がっているというか、冗談めいて言っていることが多いよな、と思い出した。
こうなってまでもまだちょっと笑い飛ばそうとしている父の様子に、母と一緒に笑った。

私は面会しても何も言えることがなかった。
何だろう。
今更、何を言えばいいんだろう。

祖父母が亡くなった時もそうだったけど、私はほどほどに年老いた人たちが亡くなるときは、悲しいとか寂しいとかの感情はなく「感謝」の気持ちしかない。
だから祖父母のお葬式ではいつも「今までありがとう」と伝えてきた。

父に一番言いたいのは「育ててくれて、見守ってくれてありがとう」だと思った。
お酒や母への態度で理不尽さを感じることも今までたくさんあったけど、すっと出てくるのはただ感謝の気持ちだった。

でも言えない。
今言ったら、なんかまだ早い気がする。
だってまだ、目の前で息をしてコミュニケーションをとっている相手に「ありがとう」と言ってしまったらもう最後な気がする。

いや、覚悟はできているし、実際最後かもしれないんだけど、なんか違う気もする。
父が「あ〜あ」と茶化して言いたかったように、私ももっとカジュアルな、私と父の間ならではのやりとりがしたかったが出てこなかった。

でも「ありがとう」っていつのタイミングで言えばいいんだろう。
生きている間は言えないんじゃないか?
だって、最後っぽくなるから。
あと5分後に亡くなると本人も私も分かっていたら言えるかもしれない。
でもだって、今息を引き取ってもおかしくないと言われているけど、回復する可能性もなくはない、わからないと言われている状態で、あまりにも「ありがとう」は早すぎる気がする。

もしかしたら父が生きている間に「ありがとう」は伝えられないのかもしれないなと気づいた。
でも父も「ありがとう」なんて聞きたいわけじゃない気もしてきた。
そうじゃない、そうじゃないんだ、多分。


今、父がこんな状態なのが信じられないくらいだけど、私たち家族はほんの1週間前にみんなでホテルに泊まっていた。
父が「最後の旅になるかもしれないからみんなで出かけたい」と急に言ってきて、母が薬で父の体調を管理し、おそらく2~3日後ならいけるだろうということで、私たちは急遽予定をあけた。
父の勘みたいなものが働いたのかもしれない。
急に予定を空けられる、暇な家族でよかった。笑

車椅子で行ける、父母私妹の家族4人と甥っ子が1部屋で泊まれる、エレベーターの状態や食事の内容や場所など適切なところを妹が探して、自宅から車で30分ほどのホテルへ。
父にとってはすでに、30分の移動も十分な旅だった。

酸素吸入して、車椅子に乗りつつも、ホテルの1階にある中華料理店で美味しいお料理を食べることができた。
外は雪が降り積もる、寒い寒い夜。

この食事中、千葉に住む弟がサプライズで登場した。
父と母は号泣していた。


弟は、大学の頃から行方がわからなくなったりして、生きてることは確認できるものの何年も音信不通で住んでいる場所もわからなくなっていることがあった。
ここ数年やっと、LINEや電話でやりとりできたり、2~3年に1回くらい実家に来たりすることがあった程度で、両親にとってはいつまでたっても「なかなか会えない息子」であった。

そんな彼が偶然数日前にくだらない用事で私に連絡をくれたことがきっかけで、そこからこれが最後の旅になるかもしれないと話したところ、仕事をどうにか調整して雪の中来てくれた。
父はもしかしたら、生きて弟に会うことは難しいかもくらい思っていたかもしれない。

みんなで食事をして、家族写真を撮って、ホテルの部屋でカードゲームをした。
甥っ子がいつも主役で場を和ませてくれていた。
めちゃくちゃ大爆笑だった。
家族みんなでこんなに笑ったのは何年振り、いや、初めてなんじゃないだろうか?
涙が出るくらい面白くて笑えて、最高の時間だった。

そして弟は、あっさりと終電で帰って行った。
ほんの2時間の滞在だったけど、濃厚な時間を過ごせたことで家族全員が何だか「これで何も後悔はないな」と同じ気持ちだった気がする。
父との思い出づくりはとても成功したけど、その時は「まあそんなこと言ってもまだまだ元気かもだけどね」なんて笑って話していた。

そんな、ほんの1週間前の出来事からの、今日のICU。
むしろ、上手くできすぎているなあと思ったりもする。

このまま父がダメでも、少し回復して家に帰れたとしても、私たち家族は何だかとても納得感がある。
迫る死に対して納得感というのも変かもしれないが、結局人の生死に関わる時の感情の揺さぶりは「後悔するかしないか」みたいなところが大きい気がするから。

そういう意味で、おそらくみんな後悔しない。
やり切った感じがある。
いろんな運みたいなものがカチッとはまった瞬間があった。

私も妹も、父が嫌いではなかったが、普段からの父の言動(母への当たりが強いとか、お酒の問題とか、こだわりが強いとか、自分の思い通りにいかないとすぐ怒るとか、すぐ拗ねるとか)にずっと納得ができずにいた。
なぜもっと穏やかにできないのか、なぜもっと母に優しくできないのか。
こういうタイプの人とは結婚しないぞ!と自分に誓っていた気さえする。

ここ1~2年でやっと、私自身もいろんな人との関わりが増えて、「それが父の特性である」と理解できるようになった。
こだわりの強さ、繊細さ、強い正義感、生真面目なところ、人とのコミュニケーションが苦手なところ、過敏症なところ…。
父は少し、生きづらかったんだろうなと思う。
ずっと理解できなかったことが、ここ最近スッと納得できるようになって、父への見方がやっと変わったと思った頃だった。(ここまで来るのに長かった)

父はずっと寂しかったんだろうか。
父はずっと理解して欲しかったんだろうか。
遅くなってしまったけど、あの旅は、もしかしたら父を初めて、父という役割からおろして、ただの家族として解放された時間だったのかもしれない。

「あ〜あ」という父の気持ちも何だかしっくりくる。
せっかく楽しかったのにね、こんなことになっちゃって、という気持ち。

だから私も「ありがとう」じゃなくて「この前の旅、楽しかったね」と伝えた。
「またね、明日ね」と言って、病室を出た。


続く。






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