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ずっと一緒にいたかった。

休職3日目。薬を飲んでずっと寝ていた。
長男は友達と遊びに行き、次男は家でダラダラしていたいからと母との散歩を断る。
太陽が暖かい。寝る間も惜しんで走り回ってきたのに寝ることしかできないことにプライドが傷つく。これからどうしよう。


路端のつくしを見ていると、元夫の故郷である三重県桑名市の土手を思い出す。
木曽川と揖斐川が交差する河原の土手には、春になると一面、つくしが顔を出し、おばあちゃんと飼い犬のハルちゃんを連れて、つくしを摘みに行った。4歳くらいの長男と摘んできた大量のつくしの傘を剥き、おばあちゃんが卵とじにして皆で食べた。元夫はおばあちゃんが大好きで、小さい頃夏休み中は祖父母宅で過ごしていたという。念仏を一緒に唱えるとお小遣いがもらえた、おばあちゃんが作るしじみの味噌汁が美味しい、などのエピソードをよく話してくれた。

おじいちゃんは米農家でよく働く人だったそうだ。心臓が悪かったおばあちゃんが倒れたショックで、精神を患ってしまい、亡くなるまで精神病院にいた。一度だけお見舞いに行ったことがあったが、厳重に閉ざされた鉄格子の中で、会話することもできなかった。
おじいちゃんが亡くなったあともおばあちゃんは元気で、わたしたちが遊びに行くと一緒に多度大社にお参りに行ったり、人懐っこい笑顔を向けてくれた。
元夫の唯一の優しさの源はその三重のおばあちゃんだった。

「二度と来ることはない」

三重のおばあちゃんが亡くなってお葬式に行った。片道5時間くらいか、勤務終わりの元夫を東京まで迎えに行って、パジャマのまま車にぶち込んだ子どもたちを着替えさせたり、運転をして。時間に間に合わなそうな元夫が式場に電話して、俺が着くまでぜったいに焼くなよ!と叫んでいた。
彼の良心であるおばあちゃんが亡くなってから、元夫は自暴自棄になることが増えたと思う。
長い年月を一緒に過ごした。
いつでもそばにいてほしいと言われて、わたしは待っていた。働くなと言われ、
写真以外のことは我慢した。しかし、わたしが写真に熱中したこと、個展をひらいたり賞をもらうことに、元夫はストレスを溜めていたようだった。

「好きなことをすればいいよ」
「好きなものを買えばいい」

言葉だけ聞けば良い旦那さんだったのだろうが、実際は定価で物を買うことにも制限があったし、暗室に行くことには苛立ちを滲ませていた。

世の中の大半の人が、愛する人とは違う価値観で生きていると思う。でも、愛する人が好きなものだったらそれを応援してあげたい、理解したいと思う。長く一緒にいると人間の本質は悪いところも良いところもすべて見せなきゃいけない否、見えてしまう。好きな人と結婚することなんて無理があるシステムなのではないだろうか。

それでも一緒にいたかった。
暴力で自分が壊れる日まではね。
それでもあなたが幸せになればいいと思っていた。子どもを愛してくれるならね。

わたしはこれからまた、あなたがつけた面倒くさい傷と向かい合って、時々思い出す優しい思い出と辛い思い出を混ぜながら、少しずつ恨みを消して行こうと思うよ。

まだ生きる時間はたっぷりとあるからね。


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