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富士山に登ったはなし②



前回の続きになります。


13年前に登ったときの下山の苦労から、
もう登るまいと思った富士山だったが

息子には「一生に一回は登ったほうがいいよ」と常日頃言っていた。


そして、今の自分は、どうにも生きる希望のようなものが見当たらない。

息子にそんなようなことを呟いたら

「えっ 俺たちの存在は!?」と目を丸くして言われたので

「あなたたちの存在は巣です。ママは鳥。巣に鳥が帰ってくる。でもその鳥たちは虫や蜜を吸ったりしに巣を離れる。そんな虫や蜜を探しに行く原動力のようなものが今のママにはない」と説明する。


「ねぇ 富士山一緒に登ろうよ」

「いいよ」

どうにもならない状況を受け入れられない。半分は受け入れていて、もう半分は反発している。憎しみ、怒り、悲しみ、それだけなら楽だろう。そんな答え探しに山に登る。

どうしても登りたいという次男も増え、3人で登ることになった。山荘を予約する。

前日にトレッキングポールやヘッドライト、飲み物や酸素缶を買いに行く。
当日は天気も曇りと晴れを行ったり来たり。一番距離の短い富士宮ルートを選ぶ。

夜勤の疲れが取れず、歩みの遅い母に次男が怒り出す。
「早く進むと高山病になるからゆっくりでいいんだよ」
登っている人を見ると意外と中高年の人が多い。次いで外国人グループ、大学生といったところか。ガイドを連れた団体も多かった。子どもはあまり居なかった。

だんだんと次男の歩みが遅くなり酸素缶で酸素を吸うペースが早くなる。気温も7合目を越えると下がってくる。ココアとコーンスープを山荘で頼み身体を温める。

予定より早く山荘に着いた。チェックインを済ますと寝袋が3つ敷いてある小部屋に通される。夕飯はカレー・牛丼・中華丼から選べた。3人でバラバラなものを頼み、皆で味見する。美味しい美味しいと子どもたちと食べた。

「明日も頑張ろうね」

次男が言う。長男とともに驚く。次男がこんなことを言うのは初めてだったからだ。
山荘に着いてすぐ土砂降りになる。夜中も雨が天井に当たる音がし、降っては止みを繰り返すのが分かる。ご来光は諦め、朝出発することにした。

二日目。5時に起き、真冬の服を着て、レインコートを羽織る。
リュックをビニール袋で覆う。何度あるんだろうか。10℃もないだろう。スタート時は小降り。
上に向かうほどに風が強くなってくる。
次男が「寒い」と言う。岩だらけの道幅が狭く勾配が急になってくる。
雹まじりの雨が降る。

「ここから先、8合目から9合目は風速20m、山頂は−5℃です。8合目まで行ったら自己判断でお願いします」

すれ違った山岳ガイドの人に言われる。
風が強すぎて子どもたちを座らせる。あんなに山頂を楽しみにしていた次男が「下りる」と言う。断念した。

そこから先は休憩もほぼ取らず、一気に下りた。土砂降りの雨。靴の中に水が入り、靴底が取れた。わたしの登山靴は20年前に祖母に買ってもらった形見のようなものだった。
子どもたちの軍手も水を吸ってただの体温を奪う布。安いレインコートは雨を通す。
やっとの思いで5合目からシャトルバスに乗ると晴れ間が見えた。
シャトルバスで乗り合わせた女性が

「山は逃げないから、また来ればいいのよ」と言う。

長男は
「来年も再来年もママ一緒に登ろう」と言う。

今日は98歳のおばあさんが登っていたという。

諦めなければならないことがあった。どんなに頑張っても無理なものは無理。行きたくても行けない。会いたくても会えない。諦めなさいと山に言われたと思った。でも、歳をとってもいくらでもチャレンジすることは出来るし、人生は逃げてはいかない。諦めてもまた続いていく。ただそんなことを俯瞰して思う。

車に着いてレインコートを脱ぐと、サッと富士山にかかった雲がどく。赤土の肌の富士が山頂まで美しく姿を現す。

「見て、あんな急なところ登ってたんだね」

その一瞬だけでまた分厚い雲が山を覆った。今日はどんなに足掻いても登れなかったのだ。
来年の自分はどうしてるか分からないけど、またここに来れば違う景色を知ることが出来るだろう。


SIGMA DP1 Merrill



長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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