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月曜から娘の前で号泣した話。〜オンライン授業継続中〜

不穏な空気のイヤな時、って、色んなことが重なります。

そこにきて、9月の最終週の日曜日。

穏やかなひとりっ子生活から姉が戻って1週間。
一緒にいられるのはうれしいけど、好きな時間に起き、眠くなったらねて、家で好きなことだけをしている姉。
かたやオンライン授業に励む自分。

1日にたった2時間とはいえ、自分だけ勉強している
次女の不満はピークに達していたようで
寝る前の布団のなかで、彼女はギリギリ歯噛みしていました。
「◯ちゃんだけなんで何してもいいの?」と
搾り出した身体は怒りで熱くなっていました。

翌日の月曜、案の定次女は「オンラインやりたくない」
といいました。

私はわたしで「ありがたいのにもったいない」というきもちをてばなす準備ができず、ギリギリまで
「挨拶だけでも繋がないか」とゴネてしまったのです。

学校に「すみません、休みます」といった時の
「そうですか。。。」という明らか落胆した声。
そりゃそうだよね、自分のクラスだけ頑張って続けてくれたオンラインに脱落者が出るかもしれない。
申し訳なさがまたつのる。

そこに父親がきて、「しっぺ返し」の話をしました。
いいことも悪いことも、
がんばったことも頑張らなかったことも
全て自分に返ってくる。

くっっっそ正論。
でも今の段階の彼女に投げかけることは
でんぐり返しできない人に
「バク転できなかったら、バツゲーム!」ていってるみたいに違和感丸出しの話。


そんなある意味脅しにも一切なびかず「イヤダ」という彼女に
私はどんな感情が湧き起こったかというと、


ごめんなさい。
こんな環境でごめんね。
ふつうの家庭だったらきっと
なんてことない挙手だったり
給食当番だったりも
なんでも張り切って、よく褒められる子でいられたろうに。


とかなんとか思ってると、どんどん泣けてきました。
いやなものはいや。 その気持ちをうけとめるだけ。

あのね。ごめんとは思ったんだけど
ただ不思議と、
「なんでこんなことになったんだ」とは
もう1ミリも思わないんだよ。

イヤなことはイヤと感じられて
好きなことは好き。
忖度なしに自分の心がちゃんと動いてる。

ふたりとも、超順調。
これだけは胸張って言えるんだよ。

別に泣き落としのつもりでも無かったのが伝わってると信じたい、小さいクシャクシャの泣き顔の私の手を優しく包んでくれました。

…で結局、この日の授業はそのまま休みました。

オンライン授業はありがたい。
間違いないけど、「学校に行きたくない者」にとっては
家にまで「学校」がはいりこむことで
安住の地を奪われる恐れ、にもなるから
本当に匙加減がむずかしいと感じました。

なぜその「イヤダ」を受け入れられないのでしょう。

本人のため?
先生のため?
学校のため?
父親のため?
やってきたことだから?
やりとげてほしいから?
宿題おしえてもらうため?

わたしの安心のため?


そこは一旦止まって考えよ、という
明日の自分への備忘録。



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