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子供に離婚をどう伝える? シングルマザーの宣誓

我が家は明るい。私と息子たち、3人が毎日歌って踊って笑って暮らしている。大袈裟ではなくリアルに歌って踊る日々。でも、ちょっと明るすぎない?確かにお母さんがそう言ったんだけどさ。

子供に離婚をどう伝える?


シングルマザーになって2年が経った。

予想だにしなかった突然の離婚劇。離婚に至るまでの2ヶ月間は泣いて、悩んで、苦しむ毎日だったが、結論が出てからは腹をくくり涙をふいた。これから一人で子供を育て、彼らの日常を守り、幸せにしていかなければ。そのことで頭がいっぱいになり、泣いている場合ではなくなった。

まずは、子供たちに離婚を伝えなければならない。もう父親は家に戻ってこないということを、どう伝えればいいのか。長男には何が起こったのかを大まかには伝えてあったが、それ以上の詳細を伝えたくない。小学生の次男への伝え方はもっと難しい。毎日のように「お父さんはどうしたの?」と恋しがる。

どんな理由があろうとも父親を慕う気持ちを壊さないと心に決めていた。心の傷は私が全て背負う。子供には決して負のバトンを渡さない。だから子どもに全てを話す必要はない。けれど嘘はつきたくない。では何をどう伝えればいいのか。それがシングルマザーになって最初にぶつかった難問だった。

元夫は子煩悩で、子育ても家事も夫婦50/50でやってきたし、子供たちはお父さんのことが大好きだ。その気持ちを壊さず、けれど事実をしっかり受け止められるようにするには、どう伝えたらいいのか。何かを伝えると子供が傷つく。でも伝えないことには新しい暮らしは始まらない。考えは堂々巡りとなり、なかなか答えが出なかった。

何を大切にして生きていくか

急に父親がいなくなった理由がわからないことには、子供たちも心の整理がつかないし前に進めない。いっそのこと全てをぶちまけて「お父さんなんて大嫌い!」と思わせた方がいいかもしれないとも思ったが、そんなことをしても私の心が楽になるだけ。私がしたいことは自分の心を楽にすることではなく、子供の心の傷を最小限に留めること。そのための伝え方を考えなければならない。

答えが出ないので、角度を変えて物事を見ることにした。私がこれから一番大切にしたいことは何か。それを軸にして答えを探すことにした。行き詰まった時は視点や角度を変えると、急に答えが見えてくる。

「これからの子供の日常をどうポジティブなものにしていくか」

私が最も大切にしたいことはこれだ。離婚前後の感情的な段差を出来る限り低くし、ポジティブな気持ちを保てる伝え方を考えたい。

大切にしたいことの優先順位を明確にすると、答えはすぐに出た。
そうか、これだ。これしかない。

お母さんの宣誓


ある日の夕食時、いつものように子供たちを呼んで食卓に座らせた。けれど、少し改まった私の雰囲気から2人はすぐに何かを感じ取ったようで、笑顔が消えて神妙な顔つきになった。真っ直ぐに私の顔を見つめる彼らはとても不安げで、けれど母を気遣い、感情を堪えているのが伝わった。

「お母さんからお話しがあります」

ふぅとひと息つき、私は子供たちを見つめ、ニヤリと笑った。その笑顔に意表をつかれたのか、2人とも「??」という目をして顔を上げた。それを確認して、私は大きく息を吸い込んで立ち上がり、大きな声でこう言った。

「離婚することになりました! 
  世界一明るい母子家庭にするんで、
   お母さんについて来てください!!!」

商店街のくじ引きで海外旅行が当たったかのように明るく、選挙の立候補者のようにハキハキと、そして大統領のように堂々と顔を上げて笑顔で宣誓した。暗い話を暗い表情で伝えられると身構えていた子供たちは、呆気にとられてポカンと口を開けた。その顔を見て私はもう一度、大きな声で言った。

「世界一明るい母子家庭にするんで、
 お母さんについて来てください!
 よろしくお願いします!!」

そう言って子供たちに頭を下げた。そう、私は離婚理由を伝えないこと、その代わりに未来への指針を表明することを選んだのだ。

少しの沈黙の後、長男が口を開いた。

「あ、はい。よろしく」

その言葉につられるように次男も

「う、うん。わかった」

と続け、二人が笑った。

「よっし、そうと決まればあとは楽しく過ごすのみ。ごはん食べよー!」

そして、いつも通り「いただきます」をして美味しくご飯を食べた。

あの夜からちょうど2年。私たちは宣誓どおり、世界一かもしれないほどに明るく楽しく笑いながら、今日も食卓を囲んでいる。

「世界一明るい母子家庭にします!」

宣誓のチカラ

離婚して一年目は辛い日が続いた。新しい生活に慣れるまではそれなりに時間がかかったし、人間不信になるような出来事が重なったり、想像以上にシングルマザーへの風当たりが強かったり、COVID-19も追い打ちをかけた。子供たちが眠った後に1人で泣きじゃくる夜も一度や二度ではなかった。

それでも顔を上げられたのは、家庭が明るかったから。陰で泣いた日も、子供たちの前では声のトーンを上げ、冗談を言ったり踊ったりして、とにかく明るく振る舞った。どんなに辛いことがあっても「世界一明るい母子家庭にする」と宣誓したからには、無理にでも明るく振る舞わなければならぬ。

子供たちには幼いころから「お母さんは嘘が嫌いです!」と言って何度も叱ってきた。そんな私が嘘をつくわけにはいかない。明るい家庭にすると言ったからには、どんなに辛い時でも明るくせねばならぬ。

だって私、宣誓しちゃったんだから。

私が無理に明るく振る舞っていることは子供たちにもバレていたけれど、彼らにも私の宣誓のチカラは及んでいたようで、私のおふざけに付き合ってくれた。3人でふざけあっているうちに本当に楽しくなっていく、そんな日が何度もあった。

明るく振る舞っているうちに、本当に心が明るくなっていく。人間はそういうものだ。案外と単純な動物なのだ。

家族で共有すると強い

そんなわけで、辛いことがあればあるほど我が家はどんどん明るくなっていった。私だけでなく子供たちも、無理に明るくしている自覚はあったように思う。意識して明るく過ごすことで、何かを良い方向に変えたい。子供ながらにそれを感じ取り、以前はスルーしていた母親のおふざけも必ずレシーブしてくれるようになった。

誰かが歌い出すと、それに乗って誰かが踊り出す(たいていは私と次男)。思春期の長男は一歩引いていたが、私と次男のしつこさに根負けしてやがて輪に加わる。そうなると、もはや我が家はミュージカル劇場、いやお笑いコントの舞台と化し、誰かがオチをつけて幕が降りる。毎日がこんな調子。明るすぎる。

やがて家のなかの空気が変わり、霧が晴れたように光が差していった。笑っていれば人生はなんとかなる。その明るさは元夫にも良い影響を与え、それぞれに笑顔が増えていった。

離婚して2年が経った。今は毎日が楽しく充実している。落ち込むことも悩みもまだまだ尽きないが、それでも私たちは困難を乗り越える技術を家族で共有できた。こんなに心強いことはない。

思えは私が育った母子家庭も、いつも明るかった。姉妹二人、喧嘩も多かったが毎日笑って過ごしていた。母が歌って踊る姿は記憶にないが、私たちと一緒に笑っていた。世界一とまではいかないけれど明るい母子家庭で育ったからこそ、私は自分の子供たちに宣誓できたのかもしれない。

ポジティブ転換

私が一番守りたかったことは、子供たちの笑顔とポジティブな未来。人は、一番守りたいものを守ることができている限り、希望を抱いて生きていける。

不幸や誹謗や懺悔で頭をいっぱいにしても、人生は好転しない。自分にとって大切なことの優先順位を明確にすれば道は開く。少なくともいま、私は子供たちの笑顔と未来を守ることができている。心からそう思えるから、毎日が充実している。人生は楽しい。

これまで何度も人生のどん底を味わってきたが、離婚はそれまでの苦境に比べたら、実のところそれほど辛くないのかもしれない。それくらいのどん底を見てきた。だからこそ知っていることがある。

人には悲しみをポジティブなものに変換するチカラがある。

このチカラさえあれば、人生は希望で輝いていく。

私はこの力を「ポジティブ変換能力」と呼んでいる。今回は「世界一明るい母子家庭にする」という目標がポジティブ変換の鍵となった。そして、人生で大切なことの優先順位を明確にすることで、その鍵を見つけることができた。

家族のカタチが変わることは寂しく悲しい出来事だったが、カタチにこだわることよりも、大切なことを守れるかどうかの方が長い人生にとって重要だ。

そして最近の私は新たな鍵を見つけつつある。

「シングルマザーに憧れる!」

とまで言わないが、「シングルマザー」というネガティブに捉えられがちな立場を、どうすればポジティブ変換していけるのか。その道を作ってみたいと思い始めている。そして、このポジティブな変換がきっと、家族だけでなく他者の心も照らしていくと信じている。それが私の人生の次なる鍵

だからあえて私は言葉にする。

シングルマザーって、楽しいよー!

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