泥濘の食卓が語り掛けてくること
「泥濘の食卓」に目が釘付けになるのは、ストーリーが文句なしに面白いのはもちろんなんだけど、私にとっては家・街の描写から目が離せないというのもあるんですよね。
「泥濘の食卓」はバイト先の店長(既婚)と不倫している純粋な主人公が、純粋故に店長の奥さんが鬱病と知ると、店長の助けになるために、カウンセラーの勉強をして奥さんの話し相手となるために店長の自宅へ行き、奥さんとも仲良くなり、鬱病の回復を目指す。一方店長の高校生の息子は異性の幼馴染から強烈にモーションをかけられ脅迫紛いのことをされ、不登校気味だったのが、父親と不倫している主人公に逃げ場を見出すように横恋慕をしていく…という地獄のようなお話。
多分名古屋の周辺の田舎エリアと思われる。主人公の家は、本数が少ない鉄道駅からけっこう歩く住宅街にある大きめの(東京住まいからするとでかいけど、そこに住んでる人からすると標準的)一軒家。
この漫画を読むと、名古屋から少し離れたところまで私鉄でごとごと揺られてたときのことを強烈に思い出す。
雨が降りそうな天気の中、山の濃い緑とか国道のアスファルトとか、家と家の距離感とか、歩道のない道路とか。こういう景色の思い出が、この漫画で語られる地方都市の閉塞感みたいな雰囲気と分かちがたく結びついてて、頭の中で鮮やかに蘇る。
閉塞感とか田舎の淀んでどうにもならない感じとかは、押見修造の数々の作品でも丁寧に描かれてるんだけど、それらの作品では何故か「自分には関係ないひとごと」みたいに捉えていて、そこまで心を抉られることはなかった。主人公が男だったからかな。
「泥濘の食卓」では、どんな女子でも地元で結婚して子供産んで育てるのが幸せ、という価値観が、たまーに出てくる家や街や道路の描写を通じて、耳を凝らさなければ鳴ってたことに気付かなかった通奏低音みたいにひっそり響いてて、それが自分ごととして自分に効いてくる。
オマエは今生まれ育った地元にもいないし一軒家にも住んでない、子供もいないだろう、仕事だって大したことはしていない、そんなんで幸せである筈がない。と、道を踏み外しまくりの主人公を手元で監視する母親に言われているようだ。(しかし漫画内でそれを強いる母親も決して幸せじゃないことに注意が必要。)
作者はこの話を、そのような価値の中から逃れようとする女子を描いているのだと思います。
が、まず前提の、主人公や母親や店長や店長の息子が置かれている社会そのものが、どこにも行けない・行かせない、雁字搦めの「この世のルール」として暗く重く覆い被さってて、それがもう圧倒的過ぎて、主人公が逃げられる未来が見えない。ついでにその圧倒的なものに、イチ読者の私もなんだか説教されてるみたい。
怖くて恐ろしくて、しかもなんか怒られてる(個人の感想)っぽいのに、この地方都市特有の閉塞感を覗き見したくてたまらない。
たまに出てくる街や家の描写から匂い立つ、名古屋エリアから電車で30分?1時間?くらいの、周辺都市の地方都市感。
新刊が出るたびにゾクゾクさせてくれる。続きが楽しみです。
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