認知症と哲学 1
まず私は現在介護の仕事をしております。かれこれ20年はこの介護業界に携わっています。今年に入りとあることがきっかけで無学、無理解ながら哲学に関心を持ち様々な哲学書を読み漁っている毎日です。
(注)以下、私の認識で書き綴る内容です。哲学の理解含め誤認があることを前提でお読みください。
人が介護を要する理由は様々あれど、高齢者においては一般的に認知症を要因とするイメージが多くもたれているのではないかと思います。この病気はかつては「痴呆症」と呼ばれていました。この認知症とは接したことがある人にしか理解できない不思議な病気というか症状なんですよ。
今回はこの病気について専門用語は避け、直に日々対面しているリアルな情報をお伝えさせて貰おうと思います。
一般的には認知症になると家族の顔を忘れる、話が通じない、日常生活が一人では送れない、しっこやうんちの自己管理ができない、場所が分からなくなる。といった症状が生じるとイメージされると思います。
認知症にも何種類かの症状があり、説明は省きますがここではいわゆるアルツハイマー型認知症について述べたいと思います。
私はこの認知症について「時間病」と自己定義しています。
認知症の方の実際の状態は、接したことがないみなさんが想像されている状態と多少違いがある感じております。この症状が進行しても過去のことは驚くほど鮮明に覚えている方が実際に多くいます。その時間軸の内容では一般の方同様に会話は成立することが多く見られ、当時の歌謡曲はほぼ歌えますし、女性であれば調理技術など同年の方と同様のスキルを維持できていることも多々あります。
例えとして、時間を距離とすれば常に双眼鏡を装着している人を想像してみて下さい。近くのもの(直近の出来事)は全く視界に入らず、遠くのもの(過去)は明確に確認できているといった状態です。この状態の人に近くの物事を伝えても双眼鏡をかけたままスマホが見れないように直近のことは本人の能力では時間、内容等を理解することが難しくなってしまいます。
このことを理解して頂けると子供の顔も忘れてしまうという現象も同様に説明ができます。例えばあなたの目の前に突然、自分より年配もしくは同年代の人が現れ「お母さん、元気?」と挨拶をされても混乱してしまいますよね。そうなんです。その認知症の方にとっては子供とはおそらく過去の幼い子供の存在としての記憶しか認識できていない可能性が高いのです。「親が自分のことを忘れてしまった」と悲観されるご家族を多く見受けますが、これは決してあなたのことを忘れたのではなく今のあなたを認識できていないだけなのです。
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