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認めたくない本心を(一緒に)見つけること自体が癒しへの一歩

こんばんは:)今回は楽しい話ではないけど、楽しくあるために大事なことだと思っているので書きます:)

メンタルケアとか、メンタルヘルス、ちょっとした心の不調から精神疾患、色々なグラデーションがありますが、自分のメンタルを癒し、感情を解放していきたい人の参考になればと思いパソコンカタカタし始めました。今日はFKJっていうアーティストのプレイリスト聞きながら。なんか音楽紹介noteみたいになってるな。

話戻って。

でもね、わかってるんですよ、精神的に本当に調子が悪い時って、こういう活字に目を通すこともできなくなるんですよね。私は一番メンタルがひどかった時は、図書館とか本屋さんに行くと、情報が多すぎて気分が悪くなってしまうことは当たり前で、道路の模様を見て酔ってしまうような、そんなこともありました。

最近私は、自分の、認めたくない本心を認め始めつつあります。その本心について今日は書かないので抽象的な表現になってしまいますが。

本心がちらつき始めたのは、この数ヶ月、いや、1年ほど前くらいかも。ちらつく前から、なんだかおかしいなという違和感は10代の頃からあった。でも、ちらついては心の奥にしまっていました。向き合うには、心の準備がいる超重量級な問題だったからです。向き合うことで色んなことが変わってしまいそうで怖いという気持ちもありました。

時々ちらついていた本心が、この1ヶ月くらい、いつも頭のはじっこに見切れるようになってきました。そこから段々と向き合うようになったのは、私の心の準備ができたからかもしれませんし、見切れ続けてくるが故に無意識にそれに関係する情報を外からキャッチし、もっと考えざるを得なくなったからかもしれません。

この本心というのは、非常に複雑で、近くで見ると絡み合いながら矛盾した感情で、冷静に遠くから見ると、絡み合ってはいても、矛盾はしていない感情なのです。一つの本心というよりも、葛藤するいくつかの本心といった方が正しいかもしれません。きっと他人からみたら、超シンプルなことで、心理学の教科書の例に出てくるようなお話かも。笑

この1ヶ月、このいくつかの本心と向き合ったり向き合わなかったりして過ごしてきました。向き合った後は、大げさでなく寝込むくらいエネルギーを使いました。

完全に向き合い、心と頭の整理がつき、未来に歩み始めた、と言いたいところですが、まだまだ少ししんどいプロセスの渦中にいます。

しんどい中にも、自分の葛藤する本心を言語化できたときや、一部だけでも認められたとき、矛盾しているのではなく絡み合っていただけなのだと、明確に見える部分が増えると、すぅっと心が楽になる瞬間があります。この瞬間があるから、少しずつ向き合おうと思えるのです。

早く解決したくて半ば強迫的に向き合おうとしてしまう時もあり、そういうときは、一旦横に置いておく勇気を持ちたいのですが、頭の切り替えが本当に本当にへたで、中々頭から離れずめちゃめちゃ疲れるここ最近です。

疲れるけど、これも癒しのプロセスだなと感じます。

でも、強調しておきたいことがあります。

強い感情と自分一人で向き合うことはお勧めしません。すんごいしんどいから。切り替えもうまくいかないし。できれば誰か安心できる人に、全部を明かさなくても、少し話してみたり。匿名で誰かに感情を共有するのもいい。癒しのプロセスをたどっていないと感じるのであれば、頑張って向き合う必要はないと思います。

自分の本心や本音がちらつくたびに、ドキッとして見て見ぬふりをし、それを心の奥底に隠す癖がある人は、いつか準備ができた時に、少しだけちらっと、目を合わせてみるのもいいかもしれません。急ぐ必要も、一人で頑張る必要もありません。できれば、誰かと一緒に、できるだけ安心できる空間で。

無理に向き合うことはしなくていい。自分を守るために向き合わないという選択も本当に大事です。全ての問題を解決することが大事なのではなく、今の自分の心を大切に守ることが大事なのだと思います。

全ては完璧なタイミングで起きる、という言葉を聞いたことがありますが、本当かな?と思いつつも、なんだか感覚的にしっくりくるような気がします。

タイミングが訪れてくれたとき、隠していた本心と向き合うことが初めて癒しのプロセスになるのだと思います。

というか、否定し隠し続けた本心を自分が認めて受け止めたら、もうほぼ自分の気持ちは癒されたも同然かもしれない。とは言っても、本心を見つける、向き合う、認める、受け止める、の一つ一つがヘビーなこともある。すんなりと、あぁ認めた癒された~ってなることもある。

ヘビーな時は特に、どうか一人でやらなきゃと踏ん張らないでね。

これは私自身に向けた言葉でもあります。

でもさ、難しいよねー、今までの癖を変えるのって!でも、私はある人に、「一人でやらないで。一緒にやろう。」って言われて、は?なにそれ。意味わかんない衝撃的に嬉しいんですけどってなったの。だから私も言う。しんどい時は一人でやんないでね。(一人が楽だなーってときは一人がいいけどね。)

いやそんなこと言われても一緒にやってくれる人いねぇよって、わかるよ。わかるよ。そもそもそんな人周りに本当にいないって場合もあるし、聞いてくれそうな人はいるけど自分が話す勇気ないって場合とか。前者なら、自分のために何かサービスを利用するのもいいかも。無料電話相談とか、愚痴聞きますよサービスの人に聞いてもらったり。お試し気分でもカウンセリングに行ってみたり。私に匿名で連絡くれてもいい。ずっと一緒に寄り添うのは難しいかもしれないけど、聞くとか、お返事するとか、何かできることはあるかもしれないし。後者なら、勇気をもって誰かにちょーっとだけでも話せたらいいね。それで受け入れてもらえなくても絶望しなくて大丈夫。いっとき絶望してもいいけど、他をあたるエネルギーを絶望してる間にためておけばいいと思う。絶対に理解者はいるし、理解してくれなくても寄り添ってくれる人はいる。

自分がしんどかった時、色んな人や言葉に助けられ続けたから、熱くなってしまった。私もプロセスにいます。なんなら最近こうやって本心と向き合って結構しんどい日々でした。だからメンタルケアのメンターにはなれませんが、こうやって等身大で語ることはできます。いつ誰の役にたつのかわからないけど。私が書きたいから書いてます。

今日も長文。読んでくれてありがとうございます。

なんかこれ、録音して流すとかできないのかな?需要があるかわからないけれどやってみたいかも。

はい、おやすみなさい:)

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