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お祝い膳が本気出してきた


退院最後の日、
お祝い膳を噛み締めて食べている。

「し、しあわせだぁ」

一口食べては唸っている。


妊娠から出産まで色々あった。
でも振り返れば過ぎてしまった辛いことは
全て「良かったこと」に塗り替えられる。

あんなに辛かったことが、
あんなに苦しかったことが、
人間都合の良いもので
全部忘れて「幸せ」に浸れるのだ。


出産も一瞬一瞬を振り返れば
死ぬほど辛いし、苦しいし、痛い

でも終わってしまえば
「最高に幸せなお産だった」と言い切れるほど
いい記憶に塗り替えられている。


人生、そんなことの繰り返しなのかな。

死ぬほど辛かった経験も、
「あの時があったから」と笑って言える人は
強いし、逞しい。


赤ちゃんを産んだその日から、
幸せなお産、ハッピーなお産について
noteに書こう、書こうと思っていても
まったく文章にできない。


ただただ、思い出すたび
あったかい気持ちになり
良かったなぁ、
最高やったなぁ、
幸せやったなぁ、とこんな気持ちになる。


旦那が立ち会ってくれて、
めちゃくちゃお尻と腰を的確に押してくれたこと

大好きな助産師さん3人に囲まれて産めたこと

いい感じにお産が進んだこと


こんな感じで小さい要素が集まっているけど、
なんでこんなに満足度の高いお産になったのか
自分でも良くわからない。


お産は、辛いもの、怖いものって
ひとり目のお産の時に知っていたから。


でも、ひとり目を産んで、育てて
わたしは
どんな自分でもオッケーで、
どんな気持ちが浮かんでも受け入れる

いわゆる「ありのまま・そのまま」の
気持ちを受け入れられる自分になっていた。


そして、入院中に学んだ
「信念」を大切にする
「今思っていることを人に言う」ことの
大切さを知り、
お産の時も常に自分の気持ちを伝え
自分が「納得」しながら進めてきた。


だから、陣痛中に痛いと思っていいし、
辛いと思ってもいいよと許可してきた。

全部全部、味わうつもりで
もうお産は
全力のマインドフルネスだった。

呼吸をしていきみを逃し、
赤ちゃんが出る感覚を体全身で感じる。

赤ちゃんのことを考えていると、
グーっと陣痛が進んで下に降りてきている
感覚がわかった。


なんか、自分と赤ちゃんと周りの人が
一体になれたような、、
一体なんなのか。ヨガなのか?瞑想なのか?
よく分からないけど
産んだ時にはスッキリ爽快幸せハッピーだった。


もう、よく分からないお産の振り返りに
なったがこんな感じだ。


こんなにも幸せと思えるお産ができて
私は幸せだ。

怖いと思っていいし、痛いと思っていい。
その思いに蓋なんてしなくていい。

そう思っているんだね、って優しく
受け止めてあげる。



明日は念願の!退院だぁ。
赤ちゃんは小さくて保育器入っているから
しばらくは入院だ。

息子と旦那さんに会えるのが楽しみだ。

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