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3歩進んで2歩下がる=1歩。

今考えていること、やってみたいこと、不安なこと、未来のこと。

自分の頭の中なのに、言葉にするのが難しくて、人に説明することがうまくできなくて、だから共感してもらうことも応援してもらうこともないと思っていた。悲観的な感じではなく、自分自身でも整理できないのに、人に理解を求めるのは違うし、そもそも伝わらないよなと思っていたから。

隠すようなこともないし、いつもありのままでいたけど、わりとコロナ禍で苦しいこともあって、話すと暗い話になりそうな気もしていたし、自信もなかったし、深い話をするのを自然と避けていたところもあったなーとここ数か月を振り返っている。まあ何が言いたかったかというと、考えていることや思ったことは、うまくまとまっていなくても、共感してくれたり理解してくれる人は身近にいたということ。

これは、すごく新鮮な発見だった。個々に活動していても、おんなじような未来を考えていると、たまたま居合わせて話をして、共感できたり、励ましあったりアイディアが生まれたりするのだなと。なんとなく頭の中にあって、うまく整理できていなかったことを代弁してくれたり、何気ない会話に気付かされたり。普段からぐるぐる考えていることは、発言して初めて可能性が広がるもので、まとまってなくてもその可能性を信じることが大切だなと。発信慣れしていないので勇気もいるけど、ステージが変わるのだ。

ステージが変わるというところでいくと、なぜかここ数か月は新しいことに挑戦しないとという気持ちや、結果を残していきたい、新しい何かを作らなくてはならないと、使命感や焦りが先行して、無理やり状況を変えようとしていた。悪くはないけど、良くもない状況下を、良くしようとの想いで荒療治的に目をつむるべきでないところで目をつむり、新しいことでカバーしようとした。半ば強引に変化を加えて改善しようと試みたりもしたけど、結果的に無理だった。というより、どんなことにも終わりがあって、そのタイミングは突然やってきたように思うけど、然るべきタイミングでなるべくしてなった結果なのだ。その結果に対する変化が大きければ大きいほど、負荷がかかるようにも思うけど、それは一時的なことで良い方向に進むために必要なできごとだ。このようなことは、自分だけの課題なら耐えられるけど、今回の場合は周囲を巻き込んで進んでいかないといけなくて、一瞬目の前が真っ暗になった。色んな想いで始めて築き上げてきたことをいとも簡単に裏切られたような気持ちになって、攻めたくもなったけど、崩れかけた道を修復し、より良くなる為に尽力することでこの悔しさを発散するしかなかった。ただ、父が常々言っていた「何か問題が起きてしまったとき、目の前の難や悪に目が行きがちだけど、これまでのことと、今起こっていることと、今後のことはきちんとそれぞれ評価して冷静に判断する必要がある」ということを考えるのには、むしろプラスの時間だったと思った。任せる=信頼していいというわけではないし、介入しすぎるのもよくないし、こんな時こそ自身の発言力や全体の声に耳を傾けることが大切で、どんな形であれ伝える努力をしていかなくてはならないと肝に銘じた。

1歩ずつ1歩ずつ、着実に進んでいきたいけど、容赦なく試練は訪れ、順調にいきそうという淡い期待を壊していく。そのたびに、あれやこへやと試しに3歩進んでみて、失敗したり調整したりして2歩下がって、ようやく1歩進むような、とても効率も悪く遠回りしている1歩が今の私の等身大の1歩なのだ。一方ではすごく攻めながら進んでいるようにも見えるし、一方では進むどころか後退しているのではと見えることもある。私自身がこういう体感でいるからこそ、今までの見てきたものが全く違って見えてくるし、長い目で見て今何が必要なのか少しずつ分かったきたように思う。3月20日に3年目のスタートを切って、やっとひとつ階段を登ってステージが変わった。ほんとにやっと。早く次のステージにいきたくて、ものすごい勢いで走るのだけど、まだまだ課題とも言える落とし穴がたくさんあって、そのたびに冷静に歩くべきだと反省している日々で、3歩進んで2歩下がった結果の1歩をたまには褒めようと思うのだ。

ひとつ前の記事で書いたように、ない方が良かったけど、あって良かった。に集約されているように、大変だけど、しんどいけど、あって良かったし、どれも必要なことだった。忙殺された日常の中でなんとなく流してしまいそうだから、きちんと残しておく。エッセイを意識したような文章で恥ずかしいけど、それも含めて4年目のスタートには笑い話のようにこのできごとを話題にできるぐらいまたステージが変わっているように頑張るぞー。

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