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共に生きることはできる

 

 ある程度の覚悟はしていましたが、やはり第2派とも呼べるコロナ感染者の増加と、予測をはるかに超えた豪雨。次々と起こる予測不可能なできごとに、引き続き今何ができるのかと考えています。

 他人事と思わず、自分に何ができるのだろうと考えることは、一見素晴らしいことのように思いますが、何もできない自分を責めてしまったり、ガッカリしてしまったりしそうで、自分の心のバランスをとる必要があるなとも思います。

 忙しいとは、漢字の通り「心を亡くす」状態で、忙しさを経験すればするほど、忙しくない状況の時にありがみを感じますが、商売をしている立場であっても、忙しさの中で確保すべき時間をきちんととる訓練をしておきたいなと思っています。常に、良い状態でいれるようにするための充電時間のようなもので、いわゆるサボりというもので。(笑)まさにこのサボり=オフ時間で、映画館でどうしてもジブリを観たくて足を運びました。

 お目当ては、もののけ姫だったのですが、スクリーンで観るジブリは圧巻で、その中のアシタカのセリフが特に印象に残っています。モロに「おまえにサンが救えるか。」と問われ、「わからぬ、でも共に生きることはできる。」ここです。わからぬと答えたところ、そして救えないかもしれないけど、共に生きる事ができると答えたところ。ここに私が救われたように感じました。観た直後は、なんでこのセリフにここまで心が持ってかれたのか自分でも不思議な気持ちだったのですが、数日経ってその気持ちが整理できたように思います。

 コロナ禍でホテルのお客さんが激減し、様々な制限解除にようやく客足が戻りつつあるかなと思っていた矢先に、熊本地区の豪雨災害の復旧作業を担うインフラ関係や報道局の方たちの宿泊が相次ぎ、思ってもみない稼働となりました。受入れ準備に、久々に息つく間もない日中を過ごし気付いたら夕方で、バタバタとチェックイン対応の時間を迎えるという日を過ごして、ありがたい事ですが喜べないような複雑な心境でした。

 1日でも早い電気や道路の復旧、現場の状況を伝えるためのメディア、その他多くの復興に携わる方たちに少しでも気持ちよく休んで頂けるように、それだけがホテルとしての願いで、ここでコロナが発生しない様にと徹底した対策を行う事しかできないなと思っています。

 ありがたい忙しさの一方で不安もある中、ふと息ついた時に、あのアシタカのセリフを思い出しました。今何ができるか分からない、でも何ができるか考える事はできるし、思いやる事・応援する事はできるのだなと。真っ先に、こっちの状況を心配し連絡をくれた友人に、思わず「豪雨の被害はなく大丈夫だけど、嬉しい悲鳴で複雑な心境だ」と本音を言った時に、「そこは、復興の一端を担うと思って。無事で良かった」と返ってきました。一言、このたった一言でもやもやしていて本調子になれない気持ちを救ってくれました。私たちは誰かを想いながら、共に生きているのだなと実感した瞬間でもありました。

 noteを書くことがここ最近の楽しみで、下書きに溜まっている文章を読み返しては、なんだか気分が乗らないなと思っていたのですが、気持ちがスッキリ整理でき、この投稿ができる状態まで持っていけたことにホッとしています。

 適度なサボりと、誰かを想う時間。頑張りすぎない事。これを今月は意識して過ごしてみようと思います。そして、下書きに溜まってるnoteを週に1回ペースで更新していきたいなと思っています。

 


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