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忘れてた頃に訴えてくるパラサイトの凄み

Netflixでの配信スタートやお正月にTV放映されたことで、再び注目を集めているパラサイト。私は昨年の2月に映画館で鑑賞しました。約1年前ですが、目の前で次々と広がっていく展開に、ついていくのがやっとで、息が詰まり、胸の高鳴りが止まらない2時間だったことを鮮明に思い出せます。

そしてなんとも表現し難い結末。スッキリもしないし、絶望でもないし。完全に心持ってかれて、見入ってしまって、最後には出演者全員のことが好きになっていました。でももう一度見たいかと言われれば、答えはノー。終始、ドキドキしっぱなしだったので、5年分ぐらいの緊張を使い果たしたような気分だったのでまた見るとなると、もう一気に40歳になってしまうんじゃないかと思ったのでノーです。笑

ただ、映画そのものは見ないと決めたものの、あのセリフはどういう意味だったんだろうとか、ポスターにはどんな意味が込められているのだろうとか、出演俳優陣とか、色んなことが気になってパラサイトの世界観から抜け出せませんでした。

そこから韓国作品にハマり、色んなドラマや映画を見ていく中で、だんだんとパラサイトの存在を忘れていましたが、再び話題に上がり、このタイミングでたまたまポンジュノ監督のインタビュー記事を見つけたので読んでました。その一部が下記。この自分のnote記事の画像に設定したいがために画像コラージュまで作ってしまいした。笑

明らかな悪党も天使もいない映画で、みんな適度に悪く、適度に善良で、適度に卑怯で、適度に正直な人々がもつれて破局に至ります。私たちがニュースを見るとき、結果だけを見ます。それは誕生日パーティーの芝生の上で起きた結果だけです。でも、そこには私たちが簡単に察知できない長い脈絡があるんです。映画はそんな結果に達した微妙な段階を2時間にわたって追っていける ー それが映画の力ではないかと思う。

よくメディア等で取り上げられていることは、ほんの一部を切り取った事実「氷山の一角」であるということを踏まえた上で、様々な情報を見るようにしています。検索したら一発で答えが返ってくるような時代で、どの情報を信じたら良いかとても悩みます。

これは人間関係に置き換えてもそうで、目の前にいる人をどのように判断するかというのはすごく難しいです。今、人を雇用する立場にいて、面接や面談はもちろんのこと、実際に入社してもらった後に適正や能力を見ていく上で、「情」が邪魔をします。平等に、かつ対等でありたいと思うからこそ、敢えて、結果や事実や能力だけを見てしまっていました。過去形にしたのは、このポンジュノ監督のインタビュー記事を見て考えを改めたから。

あの誕生日パーティーの芝生の上で起こったことだけ見れば、殺人を犯した2人(元:家政婦の旦那)と(現:運転手)が完全にヤバいです。パーティーを台無しにした上に人殺しという罪を犯したから。でもこれは、色んな人たちの色んな感情が折り重なって起こった偶然ではなく、なるべくしてなってしまったそれぞれの運命でした。

もちろん舞台は韓国で、私たちの実生活とは異なるとしても、人と関わりながら生きていく上で大切なことを気付かされたように思います。これはきっと映画を見た直後にも感じたことだったけど、今また改めて色んな事を見つめなおすきっかけを与えてくれて、後からじわじわと襲ってくるパラサイトの威力のようなものを感じています。笑

人を雇用してく上で、そして会社の一員として仲間に入ってもらった後で、結果や事実や能力だけで判断することを改めようと思ったのは、簡単に察知できない長い脈絡があるのだと理解した上で判断しようと思ったから。四六時中、仕事内容を見れるわけではないし、ある程度任せて見守っていく中で、結果が全てだけど過程や想いは私には見えてないと自覚しないといけない。見えてないから汲み取らないといけないし、その努力が私にはまだ足りていないとも思いました。

数々の賞を受賞して、もちろん映画そのものの魅力は言わずもがなですが、忘れた頃に訴えてくるこの凄まじさ、そしてきっとまた別の角度から何か訴えてくるんじゃないかと期待すらさせる「パラサイト」。

間違いなく人生で出会えた良かった映画の1つです。

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