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ようこそシュガーなシャンゼリゼ

不意にあいぽんが知らす「3年前の今日」の写真に、インスタに上げたへったくそな自分のネイル写真が現れ思う、バーサス脳腫瘍から退院して間もないこの頃は後遺症にやられていてネイルどころじゃなかった、右目の動きが悪いせいで焦点も合いにくく、首を傾げれば視界が歪んでふらつき、涙が出ないせいで乾いて痛むので日に1本目薬な日々、目を使うネイリストになんて、と、それまで地道に重ねてきた夢への道でしばし立ち止まっていた頃を思い出した。


カナコspeenaふっかつalbum制作時、立ち上げの頃からサウンドプロデューサーの佐藤ポンポン信二がよく聞いてきたのは私の失聴した右耳についてだ、共に音楽するなら当然か、決してこちらを傷つけず、不快にもさせず、ニュートラルな視点に優しさを纏わせて聞いてくる、仮歌を入れる際のオケとクリックのバランス(普通LRに振ったりするところ、私の場合は左にどちらもであるからだ)、骨伝導イヤホンのお試し(素晴らしき某メーカーさんが貸し出してくれた物をポンポンもお試し、ムラタマリエも)、アレンジのデモはいつもみんなが聴く用のステレオと私が聴く用のモノラルの2パターンを上げてくれる(ステレオは私もスピーカーで聴いて下さいってことでスピーカーも買った)、ネジネジねじ込むイヤホンだけじゃ音楽の一部分しか楽しめない事は、音楽好きならご存知だ。

「揶揄するでも面白がるでもなく」、bulleという曲のジャケのイメージを話し合っていると、聞こえない方の耳に受話器当ててるとかどうですか?ジャック刺さってるとか格好いい、脳腫瘍のレントゲンをMVで使いたい(新曲を何曲かMV作ってる昨今、一番最初にポンポンが作ってくれたものがある)、歩いている時でも何でもいい、好きな場所で好きな時に歌ったらそれを録って下さい、おはよう今日は雨だねとLINEすれば「bulle日和ですね」、恋人と別れたと言えば「美味しいものを食べて忘れましょう」、渡辺善太郎さんの写真を送ればキューブラー・ロスと共に「どうかカナコさんが大好きな人の死で空虚になりませんように」

最初の頃はアレンジひとつ取っても「ここまでしたらカナコさんのファンびっくりしちゃうかなぁ」なんて、いろんな気を遣い考えていた彼も「私が素敵だと思えばそれが正解」という女王さながらの私の言葉に水を得た魚のごとく自由に音楽してくれた、最近は時々、敬語が外れて「首がいてえ」「何したの?」「揚げ物とハイボール」「じゃあ今日は春雨と豆腐ハンバーグね」「すきなやつwww」「罰にならねえな笑」

思い返せば1年半以上、ポンポンな日々だった。


もうすぐalbumリリース、道中めでたくプロネイリストにもなり、仕事終わりの電車で聴くポンポンアレンジと制作仲間のグループライン(ベース横山渉と制作ムラタマリエのミニマル精鋭部隊、ほぼ談笑)は、クタクタの体に染み入る高濃度の点滴のごとくエネルギーをくれた、ミックスが終わってマスタリングの佳境な昨今に、この日々の終わりを感じてセンチメンタル、ポンポンとはまた一緒に音楽したい、優しい彼が想ってくれた私の右耳が憶えている一番幸せな音はきっと、愛猫エメが仔猫だった頃におっぱいと思って耳たぶをチュクチュクした音だ、ぐるぐると鳴る喉、細い鼻息、当たるおひげのこそばゆさ、舌の熱さと、少し削れてかさぶたになる痛みと共に刻み込まれた、私の永遠の記憶。



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今でも時々チュクチュクしにくるエメは来年1月で13才。
いわゆるアーティストとしての私の「空白の8年間」なら、彼女が全て知っている。あとスピーナか。いつもありがとうね、マイlovely。




さあ、来春のふっかつライブまでには終えたい、終えられるのか?
あの日の私に会いにゆく旅、振り返りジャーニーspeena編、後半戦突入!


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ジャケが最高素敵。


albumならカバーアルバムのcandy lovely music!!、シングルならキラキラデイズのリリース後、オリジナルアルバム ”sugarmoon champselysees” シュガムンをリリースというのが表向きの流れ(シュガムンって打って変換したら酒がむんってなった、酒臭そうでいやだ)。

制作時期を思い出す、カバーが終わってさあオリジナルって時を、speenaはいつも常に個人でデモを作ってたから特にシングル用とかではなかった、怒涛の勢いでアルバム1枚分のデモを作ってた私、コンセプトはアルバムの世界観の統一、通して聴いた時の流れ様、全曲でひとつ、1本の映画のような、舞台のような、一人の女の子の半生を描きたい、私の音楽とはなんだ、やりたいこととは?歌いたいこととは?憧れのシンガー達が私に見せてくれた夢のような煌めき、今度は私が誰かを夢のような世界に連れて行きたい、音楽は旅だ、日常から気軽に非日常へとトリップできる魔法、聴いている間だけは誰しも自由だ、だったらうんと夢見心地な旅がいい、そして聴き終えた時、よし、明日もがんばろう、まだいけるって思えるような、そんな音楽を作りたい、そんなことを考えていた。

アルバムの骨組み、なんとなく10曲くらい、この頃のモードはジャズ、というかビッグバンド、それが歌える年になったのよ27才(たぶん)、物語の始まり、序章、幕開けには華々しくランデブー、進んでいって中盤にはカンフル剤にマーヴェラス・デイ、終盤には大団円で現実世界へと送り出す応援歌、ラズベリーソース・ラズベリーハート。
主要な曲を置いていく、水と甘い花、桃色と灰色の2曲はこの頃書いた会心作、そこに周防さん時代からあった人込みと私、Rubii時代からあったsingin' swimmin' sweetを置いて。
普段のbpm84のメロウな私の音楽とはバラードっぽいのがまあしっくりくる、この子達が一番煌めくために必要な曲を書いていこう。

幕開けランデブーからいきなりバラード早い、忘れちゃいけねえぜロックなハートをviva! romantic、バラードがシリアスでマイナーなのばっかだから柔らかいのも欲しい、物語の女の子の少女時代に触れようdear my mama、水と甘い花は絶対に後半、ここからラストに持ってくためには体感ソングが必要よねバタークリーム、出来た、アルバム出来た。


何かの仕事でメンバー、スタッフが集う度に新曲達を聴かせる私、みんな「いいね〜」と言いつつ困惑しているのが見て取れる、話が次に進まないからだ、カナコはジャズがやりたいのか?バンドサウンドから離れてしまったのか?誰も面と向かって聞いてこない、でもどこからともなくそんな声が聞こえるそれらを、困惑顔を、私はきちんと無視した。
インタビューで次のオリジナルは?と聞かれれば「最高なの出来てるよ!」と言い切る私に、みんな閉口していた。

メンバーとスタッフ全員でチームspeena会議、次は何がやりたい?との問いに、これがやりたい、とコンセプト並びに曲達を聴かせる私。
「つまりコンピレーションアルバムなの?」
わからない、どう呼ばれるものかはどうでもいい。ライブをやらなくなった代わりにこのアルバムがライブみたいな感じ、招待状作ってCDの中に入れたいな、ワクワクすると思わない?
「ラスベガス行って感化されちゃったの?」
それはある意味あるかもしれないけど主要曲は今まで通りの王道バラードだよ、ジャズっぽいのは3曲くらいで添え物であり、今のモードってだけ。
「ソロでやればいいんじゃない?」
それでもいいよ、でもspeenaにそんな知名度と予算がある?

今まで通りはもう嫌だ、というかダメだ、それはみんなもそうじゃんか、だったら新しいことやろうよ(私には至って普通のことで新しくもないけど)、speenaらしさって歌詞とメロディなんじゃないの?ならこのバラード達は今までのそれでしょ?何がそんなに尻込みさせるのか乗り気にさせないのかわからない、ジャズっぽい添え物曲をバンド曲に変えればいいわけ?でも変えないよ、曲同士で支え合ってるからバランス崩れる、だったら全部やり直す、っていうかこの子達は出さない、メイン曲の歌ものはいっつも私、アルバムやカップリングでバンドっぽい曲、それじゃ今まで通りのガチャガチャアルバムになるんだよ、いつまでたっても歌ものとバンドサウンドが別々なの、でも別に他にこれやろう、これでいこうっていうのがあって、素敵だと思えばそれやるよ。


「無言」

エヴァか。




解決を見ない話し合い、話し合ってるのほぼ一人のスタッフと私の二人、譲る気のない私はちょっとキレ気味、なんだかなあって空気、その後その真っ向から私とやりあってくれるスタッフが獲ってきてくれたタイアップでキラキラデイズをリリース、その時スタッフが言った一言を覚えてる、僕はまだ君達と仕事がしたいの!って、うれしくて笑った、うんそうだね、こんな感じでならもう少し今まで通りのspeenaでいられるのかもしれない、私だって何も全てをぶち壊したいわけじゃ全然ない、ただやりたいことが出来ただけなんだ、でもそれをやるなら僕はもう一緒に出来ないって、そういう意味なんだね。


また別のスタッフとミーティング、カナコのデモのままジャズでやるならメンバーは多分プレイ出来ないよ、プロミュージシャンに頼んだ方がいい、メンバーがやったとしてもカナコの頭で鳴ってる音楽には絶対ならない、僕はカナコの案には反対だ、でもどうしてもやりたいって言うならついてくよ、心中する覚悟で、って、そんなにもなのか?私の夢のシュガムンはそんなに大層なものなのか?なんでみんな、そんなになっちゃうの?でもうれしい、やるって決めたらやれるんだね、ありがとう。


メンバーで話し合う。
「カナコのソロでやるのがいいと思う」
いいけどそんな知名度も予算もないよ、そして今やりたい音楽はこれなんだ、他にいいのある?ないでしょ。
「ジャズ3曲をspeenaっぽいアレンジでやってみるのはどう?」
誰かにアレンジしてもらって別物になるのはもうやだよ、やるならうちらだけでやりたいけど無理だよ、今までそういうことをしてこなかったツケだよ。
「ベースがいなかったからしょうがなかったよね」
だったらベースを入れるべきだったよね。3曲だけ他の人に頼むのはダメなの?
「私は嫌だね、だってバンドなのになんで他の人が演奏するの」
そんなにバンドバンドしてるわけでもないでしょspeenaって、ジレンマとか月に鳴くとかってポップスじゃん、その曲その曲が最大限魅力的に仕上がるためにはバンドサウンドにこだわる必要なくない?メイン曲はメンバーでやるわけだし。
「私は嫌だ、他の人でやるなら、私はspeenaを辞める」


こんなふうになるまで、しっかりとした話し合いもしてこなかったのがいけなかったよな、もっと本音でぶつかり合ってくればよかった、何より私がもっと本音を言ってくればよかったんだ、秘めた思いはいつしか確固たるものになって、もう変えられないところまで来てしまった。
みんなの音楽、が、私の音楽、になった時点で、私はバンドの人ではなくなってしまったのかもしれない。




原宿のカフェだったな、秋の初めだったかな、ちょうどこんな季節だったあの日を思い出す、さよならは嘘っぽい本当で、さしてドラマチックでもなく瞬きみたいなんだ。

曲の振り返りに辿り着けなかったんですけど〜?
また次回、次回こそ、ようこそシュガムンと言えるはず。
読んでくれてありがとう!らぶ〜ん


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