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「歩道を走れるスクーター」に乗ってみたことで、「私が乗り物に求めることは何か」を考えた話

「歩道を走れるスクーター」WHILL Model Sは、2022年9月13日にWHILL社が発表したスクータータイプのモビリティだ。

これまでWHILL社が発表してきたWHILL Model A/C/Fはすべて片手で操作するジョイスティックタイプで、前にハンドルがついているスクータータイプはModel Sが初となる。

普段私はModel Aを利用して生活しているが、先日初めてModel Sに乗ってみた。そこで感じたこと考えたことを書いてみようと思う。

WHILL Model Sに乗って、自分の体が動かないことを忘れる感覚があった。

自分の障害を忘れる感覚はModel Aにもあったが、それはどちらかというと心理的・社会的なものだった。Model Sはそれとは別に「身体的に」障害を忘れる感覚があった。

Model Sは「運転している感覚」にこだわって開発された。

その「運転している感覚」が私の四肢に突き刺さり高揚した。「身体を使えている」と思った。

それは本当に久しぶりの感覚だった。

Model Sに乗るにはある程度の体幹を保持する力が必要で、方向転換をするにも自転車のハンドルを切るような腕の力を要する。

少し慣れが必要だったが、まだ私には残っている身体機能だ。

自分の身体にある機能を苦痛を伴わない範囲で使う。

頭で考えない程度に身体をコントロールする。

その結果、景色が巡る。

五感で刺激を得る。

それがなんだか新鮮で嬉しかった。

家に帰って、この不思議な感覚を噛み締めながら娘と遊んでいてふと思った。

最近歩けるようになった1歳の娘は、毎日すごく嬉しそうに歩いている。
ベビーカーに乗せようとしても「自分で歩きたいんじゃ!」と言わんばかりに体をよじって抵抗する。

自分の手でスプーンを使ってご飯を食べたい。

ペンで文字を書いてるのを見ると自分も書いてみたい。

歩いて道端の花を見つけて触る。スプーンですくい上げた食べ物が口に入って味がする。手でペンを動かすと紙をなぞる感覚がして線が描かれる。

そんなときに娘は満足そうな顔で笑う。

娘は自分の身体の動きによって五感で刺激を受け取る経験を四六時中求めている。

大人になるとそんなことに喜びを見出すことは少なくなる。

でも、もしかすると自分の身体を使って何かを見たり聞いたり感じたりすることって、子どもも大人も関係のない根源的な喜びなのかもしれない。

そしてそれは、障害の有無も関係しない。〇〇ができるから喜びがある、〇〇ができないから喜びがない、という単純な話ではない。

0歳でも1歳でも、90歳でも100歳でも、走れても走れなくても、歩けても歩けなくても、見えても見えなくても、聞こえても聞こえなくても、それらは関係しない。

私の病気は進行性だけど、これからどれだけ体が動かなくなろうが、そのときにある身体機能を最大限に活かすことができれば、喜びは得られるのではないかと思う。

そう考えると、今私が日常的に使っているModel Aは、究極的には私の身体にフィットしていないのかもしれない。

なぜなら、片手だけで動かせるから。

Model Aは私に「片手の動き」しか要求しないから。

私は、歩けないけど動かせる脚を、本当はもっと使いたいのかもしれない。

限られた時間なら動かしていられる腕を、体幹を、本当はもっと使いたいのかもしれない。

私にフィットするのは、どんな乗り物だろう?
全然想像つかないけど、妄想を膨らませてみたりする。

片手で動かせる乗り物に乗るのは、自分の身体機能を自ら手放してしまった気がした。

そういえば私は、20歳の時に電動車椅子を使い始めたが、自転車に乗れなくなってから電動車椅子に乗る間に、電動アシスト付き四輪自転車を使っていた。まだ使える身体機能を活かしたかったからだ。

歩行が大変になってきた段階で、いきなり片手のみで動かせる乗り物に乗るのは、自分の身体機能を自ら手放してしまった気がして寂しかった。

車椅子の社会的なイメージや物理的なバリアなど、車椅子を使い始める際の葛藤は数多くあった。
けれど、進行性の病気を持つ私にとって「今ある身体機能を最大限に使って移動する」ための最適な手段が見つからないことが、一番大きな葛藤だったのかもしれない。

スーパーに入れないことがModel Sの魅力。

Model Sが発表されて「これじゃスーパーに入れない」という声をSNSで見た。しかし、スーパーに入れないことがModel Sの魅力なのだと私は思う。

スーパーの中に入れない乗り物を使うということは、「スーパーの中では歩くことができる」という自分の歩行機能を活かせるということ。それって本人にとっては重要なことではないだろうか。

「肘掛けやバックミラーが付いていない」というコメントもあって、確かに今までのシニアカーと比べると不足感を持つ人もいるだろう。

ちなみに、肘掛けやバックミラーはオプションで付けられる。

デフォルトはシンプルに必要最低限、ユーザーそれぞれが欲しいものをオプションで付ける、という形は今までのシニアカーにはあまりなく、自分の身体機能に合ったモビリティにできるという魅力がある。

この話をお世話になっている訪問看護師さんとしたときに、「あるに越したことはない」という障害者・高齢者向けの乗り物にありがちな考え方は、介護や看護にも共通している部分があると言っていたのが印象的だった。

幅広い身体機能の人に、自分に合ったモビリティを。

自分の身体に合ったモビリティを選ぶのって難しい。
車椅子には元々偏見や差別があるし、自分の身体の話なのに、誰かと比べたり周囲の眼差しが気になったりする。

「車椅子なんてそんなもの乗りたくない」って声を聞くのはやっぱり少しモヤモヤするしな。自分も10年前は言っていたのにね。

自分の身体機能を手放す寂しさを伴わずに、「自由に移動したい」という願いを叶えられる選択肢が増えていくといいなと思う。

ちなみに私は今後もModel Aを愛用し続けます♡
ほとんど歩けないので、屋内に入ることのできないModel Sはメインで使っていくことは難しい。

「Model C2やModel Fに乗らないの?」ともよく聞かれるのですが、私は「疲労の蓄積」が生活に大きく影響するので、Model Aの背が高いがっしりとしたバックサポートと細かいフィッティングが必要なのです。
(旅行のときや写真を撮るときは雰囲気に合わせてModel C2に乗り換えたりしています♡)

でも、趣味でサイクリングをするかのように、アクティビティとしてModel Sには乗っていきたいな。

Model Sがラインナップに加わることで、より幅広い身体機能の人々が喜びを感じられますように。

これからもマーケティング頑張っていきます。


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