記録(2/13 - 2/20)
先日のライブで一時的に骨抜きにされたものの、腑抜けずに仕事をし、描きたかったものを描き、ドラムを叩き、ギャラリーを訪れ、先送りにしていたことに着手しはじめるなど、まずまずの一週間だった。
気候のこと
今週、最高気温が16℃の日があった。氷点下が続いた日々を思うと、同じ土地にいるのが信じられないほどの陽気だった。
視界に映る色があたたかい。山吹色のフィルターを目に入れたみたいに。
春の匂いがする。葉や土の匂いだろうか。否、空気を吸ったときに鼻の奥がツンとしないのだ。嗅覚ではなく触覚が春の空気を教えてくれた。
春の訪れが嬉しいのと同時に、自分がものすごく不安定な場所にいる感じもする。
冬は外気の冷たさのおかげで自分の身体と外気との境目がくっきりとして、自分の輪郭を把握できる。しかし春は、なまあたたかい空気が体温に溶け込んで、私は自分の身体がどこまで続いているか分からなくなってしまう。そうして、自分が不安定な場所にいるのだと錯覚させられる。物理的な不安定さが、精神的な不安定さに波及することもあるかもしれない。
気候も心も春めいてきた。雪の上を歩くときよりもていねいに、歩を進めたい。
非常事態のこと
平日の午前10時20分ごろ、部屋でパソコン作業をしていると、とつぜん激音とフラッシュが耳と目を突いた。何かが爆発したのかと思ったが、火災報知器と思われる機械が作動していた。慌ててカウンターキッチンの外側からガスコンロを確認したが、朝ごはんを食べて以降火は使っていない。火元は私の部屋ではない。
玄関のドアを開けると、フロア全体で報知器の音がうなっていた。また、音が大きすぎたために、他の階で鳴っているのかどうかは分からなかった。
玄関とは反対側の窓から、斜め下の部屋を覗く。いつも窓際でデスクワークをしている女性が、いつものピンクのフリースを着て、いつもと変わらないようすでデスクワークをしていた。(この状況で?!)と思った。
軽くパニックだった。廊下に出て、アメリカに来てから一番大きい声を出した。
すぐに隣の部屋のアジア系の外見をした女性が出てきてくれた。「多分誤報だと思う。本当に火事だったら1階に降りるけど、私は部屋で待つ」のようなことを言われた。人と状況をシェアできたことで私のパニックは少し収まったが、彼女の声が全然聞こえないことに驚いた。
iPhoneに入れてある音量計測アプリを見ると、報知器の音は最大で100dBを超えた。聴力の危険を感じ、スマホだけ持って外に出た。人がわらわらと集まっているのを想像した(願った)のだが、女性が3人だけそこにいた。
私の一番近くにいた女性が話しかけてきてくれたことでひとまず落ち着きを取り戻す。「いま、彼女(別の女性のほうを示しながら)のご主人がしかるべきところに電話して確認してくれているわ」とのことだった。それから数分後にアラームが止んだ。結局、警報は誤報だったそうだ。
部屋に戻り、玄関の扉を閉めたときに思ったこと。
災害時用の荷物をまとめなければ、と思った。地震はなくても火事はある。
他者のこと
誤報から一時間も経たないうちに、私のスマホが鳴った。ニューヨークで友だちになった David からの電話だった。「次はいつドラムを叩きにくる?」とか「ひとついいことを思いついたんだよね、」などと、質問と提案が心地よいテンポ感で電波を伝って届けられた。
電話を切るころには、それまでのざわめきが収まっていた。自分ひとりではどうしようもなかった不安要素を、他者に――思いがけないタイミングで――取り除いてもらえることがあるのを思い出した。
「他者に頼る」ということがあまりできない。ためらいがあるのではなく、そもそもその選択肢があったことを忘れている。思いがけずにすくわれるたび、それを思い出す。
他者のこと - その2
何気ない会話によって心がはずんだ話。
ある日、バスに乗った日のこと。
ニュージャージーで私が利用するバスは、専用アプリの画面を提示すれば直接お金のやりとりをせずに乗車できるのだが、私の日本製のスマホにはそのアプリがインストールできないため、毎回「ニューヨークまで」と伝えて現金で4.5ドルを支払う。
その日は、長い銀髪を首の後ろで束ねた女性の運転手さんだった。
バスに乗って運転手さんからお礼を言われるとは思わなかったが、彼女は私の出した1ドル札を喜んでくれた。小銭が少なくなっていたのだろう。その喜びを「Thank you. 」と言葉にしてくれた彼女のことがその一日(というか今も)心に残った。感情をぱっと外に出せる素直さが、私にはすごく心地よかった。
また、1ドル札のことを singles というのだと知った。知らない単語を「調べ」たり「教えてもらっ」たりするのでなく、状況から「理解する」ことができて嬉しかった。子どものころはきっと、それを繰り返して日本語を習得してきたのだろうな。
自分のこと
「どうしてアメリカに来たのか」と自問してみることがある。
アメリカに来たばかりのころの回答は次のような感じだった:
まとめると、行き先がアメリカである必要はなかったが、日本を出て異なる生活様式や考え方、または自然のものや人工物にふれたかったということになると思う。
しかし、先日散歩をしながら別の回答が不意に頭をかすめた。
大切なもの――ここでは物だけでなく、場所や人や実体のないものを含む――を自ら見つけて、3か月後にそれらから離れることで、大切なものから離れることに慣れようとしているのかもしれないという可能性を考えた。
〈大切なもの〉は、大切なので、いつも私の近くにある。私がそれについて思い、考え、祈り、願う時間を持つ。それに実体がある場合、ときどき物理的な距離が気になる。アクセスできる距離ならしてもいいと思う。対面でも、インターネット経由でも、手紙でも、いい。しかし、アクセスできる(そばにある)のが当たり前に感ぜられてしまったり、それに執着してしまったりする自分を望まない。
それで、大切なものを私の世界に散りばめて、「彼らは彼らでよくやっているだろう、私も私でよくやろう」と思いたいのかもしれない。もしかすると、そう思えることが、私の言う「どこにいても生活できると思える」ということなのかもしれない。まだ分からない。思考は続く――。
自分のこと - その2
ニューヨークのギャラリーを4件ほど訪れた。自分の作品と作品集を見せながらギャラリーの方とお話しようというもくろみだった。
しかし、もくろみはうまくいかなかった。
主な敗因は下記。
続いて、今後の戦略。
今回のもくろみは成功しなかったが、代わりに、とてもいい展示を見ることができたので残しておく。
リネンの布にテンペラ絵の具(絵の具に卵黄を混ぜたもの)で描かれた絵。それぞれの絵で用いられる、異なる2色のコントラストが目を惹いた。
現物に見入ってしまい、手元に残した写真はこの1枚だけだった。
店と客のこと
ところで、アメリカに来てから思っていることがある。
ギャラリーに限らず、スーパー、服屋、カフェなどで、店員さんが客のことを放っておいてくれるということだった。入店時に目配せをするか「Hello. 」など数語だけ交わし、「何かあったら声をかけてね」などと言われるほかは、向こうから何かを話したり、勧めてくるようなことがない。
その放っておかれ具合がたいへん心地よい。
これは、自分から訊かないかぎり何も教えてもらえないということだけれど、「訊かなければ一人で過ごせる」「訊けば教えてもらえる」のはちょうどいい距離感だと感じる。
能動的にコミュニケーションを取るようにしたい。
今週始めたこと
・絵日記(始めたと言いつつ、1回で終わる可能性がある)
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