記録(1/11 - 1/15)

このところ、キアヌ(・リーブス)がキヌアを調理しているようすが想像されて頭から離れない。
私のツイートの「キア」を「キヌ」と誤読した友人のせいである。

2年ほど前に初めて食べて以来、いつか自分でサラダボウルにしてやるのだと思っていたキヌアをついに調理するときが来た。
その興奮のまま「キア in サラダボウル」とツイートしたら、「キヌ in サラダボウル」だと思ったようなのだ。そして冒頭の、見たこともない光景が頭からーーまたは網膜からーー離れないという状況に陥っている。

そんなぼんやりとした頭で、また記録をつけてみようと思う。

土地

アメリカに来て10日が経った、と書き始めようとしたものの、正直なところここが「アメリカ」なのかどうか疑わしいと思うときがある。
使う言語や人々の容姿が、以前いた場所のそれと異なるのは明らかだが、必要なものはスーパーで手に入り、食べたいものが食べられて、住んでいる場所はあたたかい。困ったり不安になったりする体験を望んでいるわけではないが、大きな不自由も内的・外的変化もないので、「アメリカ生活どう?」と訊かれれば今のところの回答は「特に変わりありません」ということになるだろう。

現地での印象的なやりとりを残しておく。

①扉が開かずにうろたえる外国人と
今住んでいるところは、たくさんのマンションが並ぶ集合住宅地のような場所である。マンションはオートロックで、エントランスからは車道に向かう道か川沿いの散歩道に出られる。
川沿いに出る場合は、途中、黒い鉄製の扉を開けなければならない。そばにある赤いボタンを押すだけで開くのだが、このボタンがあまりにも小さく、その扉はあまりにも大きく、それを開けるに足る力があるようには見えない。
そんなわけでボタンを押すのをためらって散歩道に出られなかったのが5日前のこと(今はもうボタンの能力を知っている)。

さて、別のある日、マンションを出た私の目の前に、あの日の私のためらいに似たようすでうろたえている男性がいた。私に何かを言ってきて、マフラーを耳まで覆っていた私には全く聞こえなかったが、「あぁ扉が開かないんだろうなあ」と思われた。そのときのやりとり。

人: 「〜〜〜?〜〜〜〜〜?」(聞き取れない)
私: 「You can just put the button like this. [このボタン押すんやで]」(ボタンを押して、扉を開けて見せた)
人: 「〜〜〜!!!」(なおも聞き取れない)
私: 「It's so easy but tricky. [簡単だけど分かりにくいよね]」
人:「〜〜〜!〜〜〜?ハッハッハ!」(マンションの鍵を見せながら何か言っている)
私: 「I had same experience actually. [わたしも同じ経験ある〜]」
人: 「〜〜〜! Thanks!」
私: 「Good day! [良い日を〜]」

と、こんな感じのやりとりだった。
聞こえない言葉を想像して返答するのは、いつでも上手くいくことではない。顔をマフラーやマスクや帽子に隠された私たちの、目だけで行なわれたやりとりは、偶然訪れたひとときの会話を楽しく終わらせようというお互いの計らいによるもので、なんとも心地よかった。

②郵便局の受付の人と
切手を手に入れたので日本に宛てて手紙を書いた。
ポスト(アメリカのポストは青い)が見当たらなっかったので、歩いて30分の郵便局まで出しに行った。
腰にコルセットのようなものを巻いた、体格のいいおじいちゃんとのやりとり。

(受=受付のおじいちゃん)
私: (封筒を差し出し、日本宛だと伝える)
受: 「(切手、2枚じゃ足りないよ)」
私: 「Oh. [あら]」
受: 「(この切手は1枚0.58ドル、2枚で1.16ドル。でも日本に送るには1.3ドル必要だよ、嬢ちゃん)」
私: 「Ok, then I'll put one more. [わかりました、じゃあもう1枚貼ります]」
受: 「It's up to you. [君に任せるよ]」
私: (一度渡した封筒を返してもらおうとジェスチャーする)
受: 「No, this is mine. [これはもう僕のだよ]」
私: (笑)(ちゃんと返してもらい、切手を追加する)
受: 「(これだと嬢ちゃんがちょっと損してるから、次からはこっちを使うといいよ)」(1枚で1.3ドル分の切手を見せてくれる)
私: 「Sounds good! I will get the one. [いいですね。それください]」
受: 「Ok. 」

このおじいちゃん、切手の金額の話のときに私が2回も聞き返したので、わざわざ紙に書いて説明してくれた。ありがたい。
“No, this is mine. ”のユーモアは、初対面のひとと話すときの逃れられない緊張感をずいぶんとやわらげてくれた。
私の次に控えていたお客さんを相手にするときは、慣れた仲という感じで世間話をするのが聞こえて、なんというか、「客」ではなく「人」を相手にしている感じにすごくあたたかさを覚えた。

時差

日本との時差が14時間ある。
仕事でもそれ以外でも、日本に住んでいる人とのやりとりが大半のため、毎日「おはよう」と「こんばんは」が混在するのが楽しい。
また、深夜5時(日本の19時)から新年会に参加したり、午前10時(日本の0時)に友人の誕生日を祝ったりして、何度も経験したはずのイベントが全く新しいものに感ぜられた。

時間の幅について考えていることがある。
まだ言語化しきれていないので不完全だが、書けるところまで書いてみる。

たとえば、通話において、一方が言葉を発してからもう一方に届くまでの時間の幅は短い。(これをAと呼ぶ)

たとえば、手紙において、差出人が書いてから受取人が読むまでの時間の幅は(電話よりも)長い。(これをBと呼ぶ)

しかし、時差がある状況での通話は、共有している時間軸は同じなのに、14時間先から送られてきたメッセージのように思われて、Aよりも時間の幅がぐっと長くなったような感じがする。

また、時差がある状況で手紙を書くと、相手の時間軸に自分が追いつけるように思われて、Bよりも時間の幅がぐっと短くなったような感じがする。

時差のある場所に住んでいる人とやりとりするときにだけ訪れる感覚の話。でした。

顔を知らないということ

仕事でSlackというビジネス向けのメッセージアプリを使っている。
4月から今月までの9か月の間に、20人以上の人と定期的なやりとりをするようになったが、その中には、一度も会ったことがない、“顔を知らない人”が何人かいる。
ようやく顔合わせの機会を得て話したときの、鮮烈な驚き。

「男性だと思っていました」

と言われた。
「へえぇぇぇぇ!」と言う自分の声量に驚いて大笑いした。
2か月も一緒に仕事をしてきたが、お互いに声も顔も知らない相手だった。文章や小さなアイコンの印象がそう思わせたのだろうか。本人も理由はわからないといった感じだった。
言われて特にいやな感じがしなかったことを、いつか言語化できたらなあと思う。

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今週始めたこと

・起床時のラジオ体操
・就寝前のストレッチ
・「二訳夜話(ツーヤク ヤワ)」という新しいこころみ

続けていること

空の色の採集


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