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生活記1|ベルリンに住んでいる
5月5日の日曜日、予定から3時間遅れで飛行機がベルリンに到着した。
「住めるなあ」と思った土地に来て8日目の感想は、
「住めたなあ」という感じで、来る前とのズレや違和感はそこまでない。
とは言え、ここに住めているのは、
①日本の留学センターに現地への手続きを任せられたこと
②学校の寮で暮らせること(光熱費込みで月1万ちょっと)
の恩恵が大きい。そうでなければ私は未だ日本にいただろう。
やっと言語化できそうなので、長くなるが、書いてみる。
到着翌日、月曜
学校が始まった。予定では「A1.1」だったのが、一つ上の「A1.2」クラスに入り、既に1か月以上そこでドイツ語を学んでいるという10人のクラスに11人目として入った。
1日目の最初の絶望は、私を含め8人が日本人だったこと。授業中に聞こえてくる日本語がいやでスタッフの方にクラス変更が可能か尋ねると、「変更はできるが、1-2週間試して気持ちが変わらなければ相談して」と言われた。
2日目、火曜
教室の一番後ろの席に座っている女の子から視線を感じ、話しかけると週5でアトリエに通っているらしく、昨日の自己紹介で「デザイン学部出身/会社員3年」という私のことが気になっていたらしかった。お互いの話をしていたら、自分の心が緩んでいくのがわかった。何かの拍子に傷ついたり悲しくなったりしないようにいつのまにかがちがちに固めていたらしい。
3日目、水曜
朝7時半に寮を出て、トラムの乗降口までの道のりで後ろを振り返ると、同じクラスの女の子がバナナをむしゃむしゃ食べていた。彼女は韓国出身で、韓国の大学へは行かずに学費の安いドイツの美術大学に通うために今は語学を勉強中とのこと。私との会話は英語で、けれども英語は高校までで勉強したきりと言うので、まじまじと、ほれぼれと「かっこいいね」と言うと、ものすごく照れてしまって可愛かった。
語学学校にはいろいろな人がいる。
ベルリン到着後から寮まで一緒に移動した日本人の女性は、盲導犬の訓練施設で働いていたが退職し、より専門的に学ぶために技術の高いドイツに来たとのこと、
寮で同じフロアの男性はアフガニスタン出身で(英語で国名を言われた時は「ガンスター」としか聞こえず何度も聞き返して申し訳なかった)、大学の博士課程で経済を学んでいるらしい。
「目的」を持って語学学校に通っている人に出会うたび、私の心は鱗が剥がれるように弱っていく感じがした。
4日目、木曜
学校の帰りにその韓国出身のシンとアジアンマーケットに行ってラーメンを買い込み、昼ごはんにした。自習をするも、なんとなく手につかず寮の裏の藤棚を見に外へ出る。池が晴天を反射するのがとても綺麗でそばを歩いていると、脇からきた青年にハローと声をかけられ(ベルリンでは目が合うと割と普通に挨拶したり微笑んだりする感じ)、「何をしているの」「この(藤の)花を見てる」「楽しい?」「うん」などポツポツと会話をした。
同じか年上と思った彼は21歳で、自分が25歳であることを絶望ではなくものすごく自然に驚き、驚いたことにも驚いたその瞬間が面白かった。
途中、自分が何語を話しているかわからなくなる感覚があり、彼に尋ねると彼はウクライナ出身で、ウクライナ語、ルーマニア語、ロシア語、イタリア語を話すらしかった。あれ?英語入ってないじゃん・・・と気づいた頃にはジェスチャーや私の僅かなイタリア語と彼の僅かな英語でなんだか会話できていた。
そろそろ、と帰ろうとすると頑なに止められ、「テニスしよう!テニス」と言い出すので「ええ、できないよテニス」「いいから!1分(待ってて)!」と言われるがまま、戻ってきた彼の手には卓球のラケットが握られている。ああ、テーブルテニスね、と思いながら、それならばと流されるがまま卓球をした。人とたくさん話した4日目だった。
5日目、金曜
寝て起きるとなんだか心の鱗が剥がれきっていた。起き上がれるけれど食べる気力はなく、着替えてそのまま学校に向かった。授業が終わるお昼にはしぼんだ風船みたいになっていて、この5日間「お腹いっぱい」になっていないことを思い出す。節約はしていたが、お金が全くないわけではなかったので、Potsdamer Platz(ポツダム広場)という大きな街に出て30分ほど店を見て回り、店員さんがニコニコしているカフェに決めてサーモンとブロッコリーのペンネを食べた(9ユーロ)。
ああ、とても美味しいと思いながら、お会計の時にぜったいドイツ語で
„Die Penne war Lecker! (ペンネ美味しかった!)“
と言うのだ、言うのだ、と何度も唱えたのに出てきた言葉は
“Thank you.”
だった。„Danke schön“ですらない。どうして言えなかったのかを考えながら、ビルに反射する自分の顔と目が合って全然笑っていないことに気付く。四六時中笑っているわけではもちろんないが、なんというか覇気がない。で、理由を考えるとこういうことだった。
①自分とほかの人の「目的の濃度」を比べてしまっている
②今やっていることが「ドイツ語の勉強」だけ
③「ドイツ語ができる」と言う感覚が持てていない
①「目的の濃度」を比べてしまっている
先のような語学学校での「目的」を持つ人に対し、私はというと、住めるかもしれないという現実感とともに、異なる文化・人・言語・環境の中で、自分の思考の変化を見つつ、生きる軸を増やしたいという「願望」でここに来た。大学や仕事という名前のある「目的」に対しものすごく高い濃度を感じてしまい、自分で自分の「目的」を薄くしてしまっているらしかった。
「(自分がしたいことのために)居たいから居る」という根本的な気持ちは同じだろうし、同じでなかったとして私にはどうすることもできないので、考える必要がないことに気づいた。「飛行機が落ちるかもしれない」と考える必要がない(自分で予防のしようがない)と思えるようになったことと、同じ類である。
②今やっていることが「ドイツ語の勉強」だけ
これは、不調に大いに関係している。日本に居る時は、仕事をしながら作品を制作をし、時にドラムやハンドパンを叩き、時にCDジャケットを作るなどしていたので、急に寮と学校の往復でドイツ語の勉強だけしたらそれはバランスが崩れるわ、と思い至った。
そこで、ここ1、2年ほど気になっていたヨガを体験してみることにした。初回は5月12日の火曜(明後日)。一回ごとの申し込みなので、よければ隔週くらいで続けたい。また、「一日一回外に出る」という地味な、けれどもわかりやすい数値目標も順調に達成中である。
③「ドイツ語ができる」という感覚が持てない
特に学校に居る間に、もやもやしてしまうことがあり、そのもやもやを言語化したら3パターンに落ち着いた。
- 先生や他の生徒の言っていることがわからない
- 彼らの言っていることはわかるが自分が言うべきことがわからない
- 自分の言うべきこともわかるのに、単語を忘れるなどで言えない
そして、
- 授業を録音して自習時に聞き返す
- 分からないことも分かったこともノートに書き残す
- 失敗は成功のもと
という具合に立て直すことにした。
5月11日、土曜
初めてパスタを茹でた。ベルリンに来て初めてではなく、人生で初めてパスタを茹でた。兄が前に教えてくれた、オリーブオイルを絡めた茹でたての麺にお茶漬けの粉をかけて混ぜると完成するという「和風スパゲッティ」を実践した。これは、うまい。
夜は、カップにお湯を注ぐだけのタイプでないインスタントラーメンをこれまた初めて茹でた。炒めた玉ねぎをトッピングしたら、これがまた、うまい。必要に迫られて料理ができている自分のことが嬉しくもあった。キッチンが広くて使いやすいというのも大いに影響していて、次の一人暮しでは広いキッチンの家に住みたいと思った(夏休みの一行日記みたいになってる)。
今日、日曜
母の日、日本に住んでいる妖精さん(親友)にお願いして、家に花を届けてもらった。ベルリンに着いてから初めて母と電話をし、近況報告をしつつ、
私「ちょっと外に出てみて?」
母「うん、分かった(※聞き分けが良すぎる)」
私「振り返って、ドアに何か引っかかってないかな〜」
母「まあ!これはなに!」
私「中見てみて〜」
母「!!!(絶句)」
私「母の日だからね〜、お花です、あげます」
母「まあ!!!きれい!!!まあ!」
私「ドイツから妖精さんにお願いして、届けてもらいました」
母「え?妖精?え?なに?」
私「かすみ草がいいかなと思ったんだけどね、これもすごくきれいでしょ」
母「うん、とってもきれい。え、妖精さん?」
私「見えるところにかざってね〜わはは」
とまあ、こういうやりとりをして幸せだった。
きれいに生けてくれたらしい。
そうこうして元気を取り戻したので、また明日から笑顔で日々を送れるよう、心の鮮度を保ちながら学校に向かう。
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