記録(3/5 - 3/17)

今はすでに3月24日になってしまっていて、日本行きのフライトまでちょうど1週間となった。この期間の記録をスキップすることも考えたけれど、現時点で覚えていることだけが残るのも面白いかもしれないと思えたので、キーボードの上に指を滑らせてみている。

完全数の年になった

完全数の年になった。人類に可能な完全数の年はおそらく2度だけだと思うが、その2度目のほうを迎えた。うれしい。

外国で誕生日を迎えるのは初めてではかった。
大学の友人と2人で卒業旅行としてイタリアを訪れた際、チンクエテッレという海沿いの街に向かう電車の中で日本時間0時になり、22歳を迎えた(顔の横でダブルピースを作って友人に写真を撮ってもらったのでよく覚えている)。日本とイタリアは時差が8時間あったので、その日は32時間の誕生日を過ごしたのだった。

今回、アメリカで誕生日を迎えたときはまだサマータイムに移行しておらず、時差は14時間だった。おかげで38時間の誕生日を過ごすことができた(正確に言うと、夜更しをして42時間楽しんだ)。

27歳だったときの自分が「28歳のときは抱負や目標のようなものを掲げないこと」を決めた。理由は「〈決断 (のような任意のもの)〉ではなく、〈完全数 (のような不変のもの)〉が私をしっかりと安定した状態にしてくれるから」だった。

サマータイムに移行した

3月13日(3月の第2日曜日)の深夜、サマータイムに移行した。サマータイムとは、日照時間を有効利用するために時計を1時間進める制度である。
私の住んでいる地域では、13日の深夜1時59分から1分後に3時00分に調整された。サマータイム移行の瞬間に外国にいるのは初めてのことで、不思議な感覚がした。失われた2時台のことを思いながら、その感覚をどうにかして形にしたい気分になっていた。

翌日、幾度となく足を運んでいるニューヨークの楽器屋でドラムを叩いた。18時に閉店時間となり外に出ると、いつもよりもずっと明るい空が広がっていて、「いい天気!」と声に出た。日が延びたなあ、とぼんやり考えていると、楽器屋の友人が横に来て「サマータイムだからね」と言った。

――これがサマータイムか!

と思った。「帰る時間が明るくてうれしい」のと「日の入り時の “時間のグラデーション” がぶつ切りにされてかなしい」のとが同時に立ち込めて複雑な気分だった。ずっとサマータイムでもいいのに、と思ってすぐに、「ずっと真夜中でいいのに」の対抗派ユニットを生み出してしまったな、と思った。

しかし、調べてみると、アメリカは「ずっとサマータイム」にしようとしていることがわかった(!)。

米上院は15日、2023年から「サマータイム(夏時間)」を恒久化させる法案を可決した。[中略]現行制度を夏時間に統一し、年2回の時間修正に伴う混乱を避ける狙いがある。

日経新聞 (3/16):米「夏時間」恒久化、上院で法案通過

記事によると、アメリカでのサマータイム制度における法改正案が上院で満場一致で可決されたらしい。このまま下院でも可決され、大統領が署名をすれば、一度2022年11月に冬時間に戻り、2023年3月に夏時間に移行した後、そのまま「ずっとサマータイム」となるのだそうだ(強そう)。

記事にもある「サマータイムに伴う混乱」を今回の滞在で初めて実感した。
私が一番混乱したのは、「外の明るさから時間を予測できない」ことだった。たとえば、作業が一区切りついてふと窓の外を見たとする。その空がだんだんと薄暗くなってきているので「そろそろ18時かな」と思って時計を確かめると、もう19時を回っていたりする。そして、大慌てで夕飯の準備を始めなければいけなくなったりする。

夕暮れの時間が5分でも遅くなったと感じれば、そこに「季節の変わり目」を知ることができるが、急に1時間も進められてしまっては、その差異を味わえない。だから、次に私がアメリカを訪れるのは、サマータイムが恒久化されてからがいいかもしれないと思った。

楽器屋を巡った

ギターを買いたいという友人を連れて楽器屋を巡った。

はじめに、私が入り浸っている楽器屋 (David がいる店) を訪れた。中古やリペア品を扱っている店で、縦長の店内にエレキギター、エレキベース、ドラム、アンプ、マイク、エフェクター、シンセ、オルガン、ドラムセットなどが所狭ところせましと並んでいる。その中にひっそりと、隠れるようにしてクラシックギターが置かれていた。

そのクラシックギターは、随分と前 (more than a couple of years ago) に初老の男性が売りに来てからずっと楽器屋にあったのだそう。スペインの Alhambra というメーカーのもので、小ぶりなボディに対してはっきり・・・・と響く音が頼もしい印象だった。

この店にはその1本しかなかったので、店員に「他の店を見てくるね」と言って外に出た。

次に向かったのは、Sam Ash (サム・アッシュ) という大きな楽器店(“楽器 屋” よりも “楽器” と呼ぶのがしっくりくる)で、こちらは新品も中古も取り扱っているらしかった。御茶ノ水のイシバシ楽器と浅草のジャパン・ドラム・シティの2階(ドラムのフロア)を足したような広さと品揃えだった。その宮殿のようなワンフロアは楽器の種類によって仕切られていて、それぞれのセクションに担当の店員さんがいた。

アコギ・クラギのセクションに入ると、1-2組の先客がギターを試奏していて、店員は奥のレジで携帯を見ていた。日本では、店頭に並んでいるギターには値札のタグが弦を縫うようにして挟んであることが多いが、Sam Ash ではネックにくくりつけられた糸からタグがぶら下がっていて、チューニングもされており、すぐに試奏ができる仕様になっていた(店員が客のことを放っておいてくれたので、初心者のわれわれはひと目を気にせず右から左までギターを手にとって試奏することができた)(友人に便乗して Taylor のアコギを8本くらい試奏し、大変いい気分になった)。

いろいろなメーカーのアコギとクラギを試した友人が決めた “見た目が好き” で “指が痛くならない” ギターは、最初の楽器屋で彼女が初めて弾いたクラシックギターだった。

Sam Ash を後にし、最初の楽器店に戻って「やっぱりこれにしたい」と伝えると、Benny (ベニー) という長髪のギタリストの店員が「見る目があるじゃないか」とでも言いたげな様子で会計をしてくれた(しかも、クラシックギター用のナイロン弦をおまけしてくれた)。

会計が終わると、地下にいた David が「ちょっとそのギター貸してみそ?」と言って(本当にそんな感じに聞こえた)、カサカサに乾燥したギターのネックにオイルを塗り、メンテナンスをしてくれた。

二人の優しさがうれしかった。「なんていい人なの (How nice of you)」と私が言うと、彼は「ナイスでいようとすることが人をナイスにするよね」のようなことを言った。この人は「誰かのため」ではなく「自分自身が気持ちよく生きているため」にナイスでいようとしているのかもしれないと思った。

英語で英文を考えた(い)

日本語を経由せずに英語を話したいと思っている。
たとえば、「How are you today?」と訊かれれば、[今、調子はどうかと尋ねられて、私の調子はすこぶるいいから、答えはグッドだな]などとは考えずとも「Good!」と即答することができる。
しかし、「How are you feeling today?」と訊かれると、[最近仕事が忙しくて昨日は3時に寝て、まだちょっと疲れが残っていて眠い。こういうときはsleepyじゃなくてtiredって言うんだろうな]などと日本語で考えてから「I am a bit tired beacause…」と続けることになる。

そのようにして〈英語〉の質問に〈英語〉で答えられるときと〈日本語を経由した英語〉で答えるときとがある。文章の長さや複雑さに応じて後者の割合が増える。しかし、前者の割合を増やしたいと思っている。

先日、アメリカ人の友人と音楽談義をしていたとき、こんなことがあった。

相手の話がやや入り組んできたので、ゆっくり話してもらいながら、ときどき聞き返したり相槌を打ったりした。
「多分こういうことが言いたいだろうな」と解釈しながら話を聞いていると、「言ってることわかった? (Did you understand what I am saying?)」と言われたので、「うん、今わかりそう」と答えようとして、こう言った。

私: “I am trying understanding. ” ・・・(1)

相手が眉をひそめそうになるのとほぼ同時にハッとして、すぐにこう訂正した。

私: “I am getting understanding. ”  ・・・(2)

このとき頭の中で起こったことを検討した。

(1) I am trying understanding.
(努力して)わかろうとしている。

(2) I am getting understanding.
(今まさに)わかろうとしている。

上記のように、(1)も(2)も同じ日本語で言うことができてしまうために、英語としては全く違う意味の文が口をついたのだと思われた。いつもなら意図して日本語から英文を作るのに、このときは英語で考えたはずの英文が日本語に干渉されてしまって、不思議な体験だった。

料理をした

ある日、どうしてもオムライスが食べたくなり、作ることにした。サムネイルの写真が魅力的だったレシピサイトをクリックすると、20以上の工程があり途方に暮れた。エネルギーが無くなる前に他のレシピを探すと、たった7工程で完成するオムライスがあったのでそれを作った。見た目2点、味98点のオムライスが完成して、胃と心が満たされた。

料理を一種の魔法だと思っていた。「米は炊飯器がないと炊けない」「ホットケーキはホットケーキミックスがないと作れない」「チャーハンはパラパラじゃないとチャーハンじゃない」「アルデンテこそがパスタ」などと、いつかけられたのかわからない呪文が私を料理から遠ざけていた。「出汁」のような正体不明のものの存在も少なからずそれを後押ししただろう。

しかし、同居人の部屋にあった料理の本(レシピが5工程以内で、写真がうつくしい)を見ていると、人の手によって作られた等身大のものという感じがした。同居人が作る料理も、その日冷蔵庫にあったものとか、いつかどこかで食べたものから、気まぐれに作ったものという感じで、ちっとも魔法のような特異なものではなかった。

おかげで、以前よりも料理と自分が近いところにいると感じている。
ちなみに(何にちなんでいるのだろう)、料理の工程で一番すきなのは包丁で野菜を切ることで、特に細切りがいい。人参のマリネを作るときはわざと大量に切って作り置きをする。自分の作品のことを思い出して、もしかすると「切る(物質を分断する)」という行為がすきなのかもしれないと思った。

ドラムを叩いた

引き続き、ドラムを叩く機会を持つことができている。
その時々の自分のフレーズや音の鳴りから、調子が上がってきているのを感じている。手が迷う感覚が減ってきているのがうれしい。今年の夏にライブができる可能性があるので、それに向けて調子を整えておきたい。

マフラーをなくした

マフラーをなくした。ニューヨーク行きのバスの中に置いてきてしまった。
終点でバスを降りて30秒後くらいに気がついたのだが、振り返り、くだってきた階段を駆け上がったときにはバスはもういなかった。
バスターミナルのインフォメーションセンターに行くと、バスは降車口で客を降ろした後、次の客を乗せるために乗車口のほうに向かうはずで、今ならまだ間に合うかもとのことだった。期待せずに行き、待ってみたが、バスを捕まえることはできなかったので、置いてきたマフラーが別の誰かを温めることを祈ってターミナルを出た。

引っ越し後3か月目にものをなくす。その時期が私の「慣れ」「緩み」ポイントなのだと思われる。

東京では鍵と指輪を、
ベルリンでは水筒とストールを、
アメリカでは手袋とマフラーをなくした。

さいわい暖かくなってきているので、今後ゆっくりと、お気に入りのマフラーを迎え入れたいと思う。
それから、今持っているものはなくさないように、穏やかに過ごしたいと思う。

今回の記録を書き終えようとしている今、日付は3月27日の16時を回った。


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