記録(2/1 - 2/11)
今回は趣向を変えて、日々の生活の中でふと思い至るようなこと(ふだんならそのまま通り過ぎるようなこと)にわざわざ立ち止まってみる時間にしたいと思う。
一部ただの日記になったパートもあるが、書けそうにないと思われたことが言葉に結晶したので、そのままにしておく。
ふと - その1
ふと、「ふと」をカタカナで書くと「フト/フト」となり、ハングル表記の「가」に見えるなと思った。
そう思うと、「〜か [疑問/反語]」や「〜かしら [疑問/依頼/許可]」など、疑問にまつわる文末表現に含まれる「か」の音が連想される。これらは「ふと」を使うときの――雲やふきだしのようなもくもくとした形がイメージされるような――ようすに遠くないと思われた。
さらに、「何」という字も「か」と読める。今後、ふと何かを思うたびに、[ka]の音がまとわりつくことになりそうだと思うのだった。蚊のように。
ふと - その2
ニュージャージーに渡ってひと月が経ち、その間に、バス、スーパー、カフェ、郵便局、レストラン、美術館、ギャラリー、パン屋、アイスクリーム屋、美容院、楽器屋などを利用した。
会計などで人とやり取りする際は、意識的に声を出して数語でも交わすようにしている。
ふと、あいさつ時に Good morning. や Good evening. などを言われたことがないと気がついた。では何と言われるのか。出会い頭と別れ際のあいさつ(私に対して使われたもの)を残しておきたいと思う。
出会い頭 編
別れ際 編
ふと - その3
ふと、私が自分の手帖に書く〈記録〉と、このnoteに書く〈記録〉は何が違うのだろうと思った。「事象(私が体験したこと)」と「私自身」と「他者」の距離感が関係していると思われる。まだ思考中だが、ここまでに考えられたこと(この「〜考えられた」には [可能形] と [受動形] の両方の意味を託してしまっている)を書いてみる。
「事象」についてもう少し考えてみる。A〜Dまでの4パターンにしてみた。
せっかくここまで書いてみたものの、自分の感覚的な思考や言葉の域を出ていないなと思う。しかし、それでいいと過去の私が言っている(n回目の自己解決)。
‹C› については、文章をむぎゅっと要約したり、「したこと(事象)」でなく「そこから私が何を思ったか(心象)」を多めにして、書いていけたらいいと思う。
ふと - その4
2月のある日、乗りたかったバスを逃したために雨の降る屋外で20分ほどヒマになった。「何もせずに濡れるくらいなら、何かをして濡れてやろう」との思いで、バスの進路と平行に走る小路を散歩してみた。ネイルスパ、ただのスパ、スシ屋、タイ料理屋などが並ぶなか、雰囲気のよさそうな美容院が目に留まった。
それで、ふと思い出したのだった。
たぶん、学生の頃に映画『ローマの休日』を見すぎたせいなのだ。過去に3回そのチャンスはあったが、いずれも実行できなかった。「今だ」「ここだ」という興奮を冷ますのに一日費やし、それでもそこで髪を切ってみたいという気持ちが絶えていないことを確認し、オンラインで予約をしてその店を訪ねた。
カットにまつわるリクエスト――渚にまつわるエトセトラみたい――を何度も口の中で唱えたおかげで、アメリカ人の美容師さんにきちんと伝わり、想像した通りの髪型になった。
「やりたい」と思ったことへの行動力がちゃんとある自分になってきていてうれしい。
ふと - その5
今回のnoteを書き始めて、ここまでですでに3日が経過している。冒頭の記憶があいまいになってきたので読み返すと「가」の話をしていたようだ。
それで、ついうっかり、この文章にいくつの「か」が登場するのか気になってきてしまった。記事の最後で答え合わせをしましょう(カウントするのは「か」または「カ」で表記されるものだけ)。
ふと - その6
2/3。雨の日を選んでニューヨークへ行った。そうでもしないともうずっとその地へは行かれないような心持ちがしたのだった。
そこが日本から1万キロも離れているだとか、今住んでいる場所からはバスで30分ほどだとか、そういう物理的な距離は無視されて、ただ〈ニューヨークへ行く〉という文字の(または音の)連なりが、分厚い壁となってそびえているように感ぜられた。
雨はもともと嫌いではないが、外に出る気分にならないということはままある。「そんな日を選んでニューヨークへ行けたなら、私はいつでもそこへ行けるだろう」というまじないのようなものだった。
導いてくれたのは、とある本だった。
この本の存在を知ったのが朝10時、紀伊國屋書店ニューヨーク店でこの本を見つけたのが同日13時半。自分に何が必要かを、自分はちゃんと知っているのだなと思った。
本の内容に対する感想は、文字のことばよりも声のことばで残したいと思っているので控えよう。
読後の感覚はあまり感じたことのないものだった。「じぶんが知っているとは思ってこなかった言語が口のなかにがあふれてそれが飲み込めない」みたいな感覚。それは金平糖のようなかたちをし、白米のような触感をもつ。今はもう思い出せないその言語たち、ページの間やオーブンの溝やマフラーの折り目に置いてきてしまった言葉たちに、また会うにはどうすればいいのだろうか。
そんな思いで、2度目にその本を開く機会を待っている。
ふと - その7
2/7。「生のチェロが聴きたいなあ」と思った翌日、その機会が目の前に現れた。
屋内イベントの余興に行われていたアンサンブル。日本で聴き馴染みのあるアメリカのポップスや舞台曲などをカバーされていた。
1曲聴いてはイベント会場をぶらつき、再び演奏を聴きに戻ってくるかたちで3曲ほど楽しむ。いずれもテンポのいい曲だったが、カホンの人が「Take a break」と言ってその場を離れたので、嬉しいことに弦楽四重奏も聴くことができた。
その演奏が忘れられない。ゆっくりと同じ動きをする4人のボウイングを目で追いかけながら、「優しさ」と「励まし」を感じた。人が音にすくわれるのだなあと、また、思った。
演奏が終わった時、バイオリンの方に曲のタイトルを訊くと、私が話しかけたことを嬉しそうにしながら教えてくれた。
(この数日後、私は Billy Joel のコンサートチケットを購入することになる)
ふと - その8
先の弦楽四重奏を聴いた私は、その場に留まりがたい気持ちになりイベント会場を出た。よい音楽に出合えた喜びとか寂しさとか、長らく誰かと音楽をしていない心細さとか不満感が心臓を貫いたまま抜けない、みたいな感覚で、取り乱していた。
マンションに帰ろうとしたが、帰ってもその剣が抜けそうにないことはわかっていた。ニューヨークの11番街から8番街までを大股で直進しながら、音楽に貫かれた穴は音楽で埋めよう、と思った。7番街に営業中の楽器屋があることを確認して、向かった。
ドラムスティック購入を口実にして店員に話しかける――。ドラムを叩きたいのだがどうすればいいか。店員は地下で楽器リペアの仕事をしながらドラムを叩いたり人に教えたりしているという。私に「先生」は必要なかった。その地下にあるドラムを借りることは可能か――。店員は困ったようすは見せずに、考えたこともなかったと言いながら「見るかい?」と訊いてきた。二つ返事でついていく。地下に続く扉を開ける前に、彼は振り返ってDavidと名乗った。
うすら暗い、ダンボールや荷物の散乱した踊り場を抜けると、ドラムセットがあった。Rogersのセット。Ladwigのスネア。K Zildjianのシンバル。パールカバリングの美しいシェル。カスタマイズされたスタンド類。全体を見るとこじんまりとさりげないのに、部分に目を向けるとDavidの注いだ熱が見てとれる。申し分ない。というか、申し訳ない気持ちが出てきた。初対面で地下に通してもらった私は、ここで彼の大切なドラムを叩く資格があるんだっけ?
――そんなことを考えていたのに、気がつくとセットに座っていた。Davidに促されるまま数フレーズ叩くと、穴が空いてヒリヒリしていた心臓の痛みが和らぐのを感じた。もう少し叩いてみる。気のせいではなく、たのしい、と思った。
すると、「いいね」と誰かが言うのが聞こえた。Davidだ。いけない、Davidがいることを忘れていた。
坊主頭に黒いニット帽を被った中肉中背の彼は、そういえば杖をついていた。何歳なのか全然わからない。肌は健康的な白さで目は透き通った水色だった。――私が悠長に彼の外見を観察している間、彼はカスタマイズしたセットの味わいポイントをいくつか紹介してくれた。少年が自分で捕まえたトンボを見せてきてくれるみたいな高揚を感じた。タムのボディとヘッドをつなぐ金具のひとつにまでこだわり、好みのものに付け替えているらしい。彼は自分のことを「機材オタク」だと言った。なるほど、ならば話がはやい。私は「機材オタク」ではないが、人のこだわりを聞いたり、自分のこだわりを話したりするのが好きで、彼もそうなのだと分かった。もう少しDavidのドラムを叩いてみたくなった。
「Well, 」と彼が切り出す。ドラムを叩きたいんだよね?と確認される。改めて、月に数回ドラムを叩きに来たいこと、都度お金を払うこと、ワクチン接種済み、などを伝えてみた。すると一言「いいよ」との返事。本当に?信じがたい。有りがたい。逆に今度はDavidからの確認。君が叩いている間ここで仕事をしていてもいいか――。問題ない。言ったり来たりするのでドア頻繁に開けしめするが――。問題ない。他のいくつかの質問にも食い気味で同じ回答をし、晴れてドラムを叩く機会を得た。しかも、今日もこのまま叩いていいという。ありがたい。心臓の穴はすでに塞がりかけていて、自然治癒を待てる状態になっていたが、彼の言葉に甘えることにした。
気づくとそこから2時間半。どんなにいい時間であったかに関わらず、長居したという事実に気が引ける頃合いになってきたので、おいとますることにした。そのとき、私がずっと使っていたドラムスティック(店員に話しかける口実にしたやつ)が未払いであったことを思い出して笑った。笑いが止まらなかった。
Davidに改めてお礼を言う。礼には及ばないと言われる。2年ほど変わり映えのなかったグレーな日常に、company ができたのだから、と――。
(脳内を閃光が走る)
Friend でも、mate でも、colleague でもない、company。カンパニー。仲間。なかま。ナカマ。
この日のすべてを肯定できる一言をもらった。
ふと - その9
線でも紙でも日記でも残せないような心境を、詩にしてみたいという気持ちが芽生えた。はじめは整ったすばらしいものでなくていいのだ。まずはやってみればいいのだ。
答え合わせ
さて、この記事にいくつの「か」が登場しただろう。予想タイムスタート。
・・・50? 100? 200?
・・・140と予想してみる。
(ちなみに全体では6,050文字超)
⌘+Fで検索ツールを出す。ぽちぽち。
キーボードでそっとKとAと入力する。ことこと。
ほーん? 感情の行き先が見えなくなったので(誰のせいだ)、比較のために他にも検索してみた。(★)
助詞や用言の活用語尾に含まれるものは同程度登場するようだ。面白い。ここまで来たら、この記事で頻出したものと少ないものも知りたい。清音だけにしよう。予想タイムスタート。
多いのは・・・、「い」「な」あたり?(形容詞や形容動詞の活用語尾)
少ないのは・・・、「ゆ」「ろ」あたり?
スプレッドシートを広げて検索結果をメモする。(◆)
(10分後)
「い」、あっていた・・・!なんだろうこの喜びは。
「ぬ」、使わなすぎて存在を忘れていた・・・。0件。「ぬ」のことを意識的に考える時間を持とう。
他に、「ゆ」(1件)よりも「ゅ」(9件)が頻出していたり(ニューのお陰である)、「っ」が116件だったことが印象的だった。
さらりと終わらせるつもりだった「答え合わせ」で700文字も追記してしまったがわるくない。
ニュージャージーは少しずつ気温が上がってきていて、最高気温が17℃になる日もある。あと7週間でここを出る。その頃には、日本で桜が咲いているだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?