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記録(2/21 - 3/4)

(Picture: Georges-Pierre Seurat|Port-en-Bessin, Entrance to the Harbor) 

2月が短い。深呼吸をしようと思い立つまでに2週間、肺の中を空っぽにするために息を吐き続けて1週間、そこから息の止まるような忙しさで1週間を過ごし、いよいよ息を深く吸い始めようとしたところで、2月が終わった。

ブルース・ジャム・バーへ

友人に連れられ、ブルース・ジャムが見られるというバーに行った。
待ち合わせ場所から地下鉄に滑り込んで5駅。車内では、マナーモード機能の存在を知らないかに思われる人たちのスマートフォンから発される音に肩をびくつかせる私の隣で、友人(アメリカ人)は正面に座っていた女性のスニーカーを「それ、いいね」と褒めていた。

地上に出て、15分ほど歩いたところにバーがあった。入口でワクチン接種完了証明書とID(パスポート)を提示すると入店可能になる(ニューヨークの飲食店はどこもそうだった)。

そのバー、レッド・ライオン (RED LION) では、毎週月曜の夜にジャムが行なわれているそうだった。18時過ぎから楽器を持った人や手ぶらの常連客がまばらに集まり、演奏希望の人はステージ横に置かれたホワイトボードに自分の名前を書く。19時ごろからイベントのオーナーのバンドの演奏が始まり、それが終わるとホワイトボードの名前がコールされて、その場に居合わせた人たちの即席バンドでブルースの演奏が始まる。

ギター、ベース、キーボード、ドラム、ボーカル、サックス、トランペット、ハープ(ハーモニカ)などさまざな音がステージの上で混ざり合い、私の注文した強烈なカンパリソーダとも混ざり合い、たいへんよい時間となった。

例えば私があと1年アメリカに住んだとしても、あの顔なじみ同士のジャムに混ざることは難しいと思われた。けれども、ときどき訪れて音楽を口実にお酒と空間に溶ける時間を持てたら、幸福かもしれないと想像する。

美術館へ

すこし昔話をしたい。
美術館へ行くようになったのは大学でグラフィックデザインを選考していたのがきっかけであったが、当時は教授に「〇〇美術館の△△展を見、A4用紙2枚で感想レポートを提出しなさい」と課題を出されても何をどうすればよいかわからなかった。膨大な量の作品におぼれてしまう感覚のもと、私の感想レポートは作品への感想ではなく、暴力的な作品群の圧に対する感傷になりそうだった。ちょうど、小学生のとき書かされた「読書感想文」に全く同じとまどいを覚えたことがあった。

大学を卒業してから、とある考え方にふれた。
「美術館では『展示作品の中で一番のお気に入りを決める』つもりで見る」というもので、すぐに採用した。
お気に入りの作品を決めるつもりで見ていると、一つひとつの作品を、色、素材、構成、モチーフ、テーマ、作者、年齢、時代といくつかのポイントに分けて見ることができ、自分の視点や好みがわかり、また、惹かれる理由、惹かれない理由についても自然と言語化できる気がした(言語化不能なほどアクセスし難い作品があることも知った)。

以来、美術館へ行くのが楽しくなった。
今回は、マンハッタンにあるMoMAとクイーンズにあるMoMA PS1の両方を半日でまわるというハードスケジュールを組んだため駆け足になったが、印象に残っているものについて書いてみたい。

(*編集注|絵の感想を書き慣れていないため、一部感情の滝のようになっている部分があり、読みづらいかもしれません)

MoMAへ

大きな建物の2階から5階が展示スペースで、今回は2000年代以降の作品が展示されている2階と、1890年代〜1940年代の作品が展示されている5階を訪れた。

館内にはエスカレータが3台、エレベータが2台あり、どこから入るかによって導線が異なる。私は作品に出合う順番を運に任せて、目についたエスカレータに乗るようにした。

作品のジャンルごとに分けられた部屋で、それぞれの作品たちがひっそりと客に見られるのを待っているように思われた。

2階

紙、木、金属、石などの素材自体をメインにした作品から、絵、文字、図形、写真など、描写内容に重心を置いた作品まで、本当にさまざまであった。

作品の展示方法が印象的だった。額装されていない(できない)ものも多く、「この場所で、ここだけで見ることができる作品」なのだと思うと、作品たちが生き生きして見えた。作者たちはご存命の方がほとんどで、生きているあいだに自分の作品が多くの人の目にふれることを想像して、羨ましさとはちがう、あたたかな気持ちになったりもした。

5階

モネ、ゴッホ、スーラなどの作品を目指してエスカレータをぐんぐん歩いていったのだが、最初に惹きつけられたのは彼らのどの作品でもなかった。

2階よりもうんと混み合ったこのフロアで、特に多くの人が足をとめる絵があった。

Salvador Dalí

Salvador Dalí|The Persistence of Memory|1931
サルバドール・ダリ|記憶の固執

MoMA Online Gallery で閲覧可

溶けたような時計が印象的な、あの絵。いつ見たのか思い出せないのにずっと頭に残っている、あの絵。3DCGみたいになめらかなのにそらだけは人の手で描かれたのだと思える、あの絵。
驚いたのは、その絵のサイズだった。はじめ、人が多すぎて遠くからでは絵が見えないのだと思ったが、絵のほうががとても小さく、5人程度の人の影で隠れてしまった。

A4コピー用紙大のキャンバスの上で異彩を放つ、その絵。
絵の小ささに感動したのは記憶の限り初めてであったと思う。

 - Diego Rivera

Diego Rivera|Cubist Landscape|1912
ディエゴ・リベラ|キュービスト・ランドスケープ

MoMA Online Gallery で閲覧可

2階でモノクロや素材の天然色ばかりを見ていたせいか、この絵を見たときにピカピカと光っているように見えた。点と面。面の境界に現れる線。多色の調和。
知らない画家の、知らない作品。作品中央の少し左上に、水色の顔料を波形に削ったことで背面の淡いピンク色が覗ける部分があり、ときめいた。「一枚の絵の中で画法を変えていい」ことに、これからも何度でも驚く自分がいると思う。

 - Delaunay夫妻

Sonia Delaunay-Terk|Portuguese Market|1915
ソニア・ドロネー|ポルトガルの市場

MoMA Online Gallery で閲覧可

Robert Delaunay|Simultaneous Contrasts: Sun and Moon|1913
ロベール・ドローネー|太陽と月

MoMA Online Gallery で閲覧可

こちらも色彩に惹かれて立ち止まった、知らない作家たち。前者は正方形の額装、後者は正円の額装で、モチーフやテーマは異なるのだが、濃色の中のハイライトに目が誘導される構造が似ていて、両者を交互に見比べてながら鑑賞した。

やがて、作者のラストネームが同じことに気づいたのだった。のちに調べると夫婦であることがわかった。夫婦となり、互いに影響しあって作品できた作品なのか、それとも、もともとの作品がそうであったから夫婦となったのか。機会が来たら調べてみようと思いながら、また彼らの色を網膜に再生する。

 - František Kupka

František Kupka|Mme Kupka among Verticals|1910-11
フランティセック・クプカ|垂直線の中のクプカ夫人

MoMA Online Gallery で閲覧可

10〜50センチくらいの垂直線が不揃いに描かれた絵。
「濃青と濃赤、そして明るいベージュのコントラストがきれいだなあ」と思いながら油断していたら、中央上の緑色部分に人の顔があることに気づいてぞっとした。タイトルから作者夫人の顔だと想像された。それが穏やかな表情だったので、すぐに安静を取り戻すことができた。

それまで「知らなかった作家」が、一瞬で「気になる作家」になるのが面白い。

どんな作品に対しても思うことだけれど、完成した作品を見るときに、直接知覚できないところまでを味わいたいと、思う。例えば、青い垂直線の掠れたところから赤い垂直線が覗けて、その赤にはわずかに赤ではない――ピンクのようなオレンジのような――色が含まれているのを感じる。すると、一体この絵は、何層の垂直線によって描かれたのだろうと気の遠くなる思いがする。そこで思考を諦めないために、絵画や画法や歴史や時代背景をもっと知りたいと、また、思う。

 - Umberto Boccioni

Umberto Boccioni|Dynamism of a Soccer Player|1913
ウンベルト・ボッチョーニ|ダイナミズム・オブ・サッカー・プレイヤー

MoMA Online Gallery で閲覧可

「作品の色を認識できるのは、顔料が光を反射するおかげ」であることをときどき忘れてしまう。作品に光を感じては「ああ、そうだった」と思い出して心が動く。いつか光を描いてみたい。

MoMA Online Gallery で作品が見られるものの、色味がまったく異なるので自分で撮影したものも載せておく。

 - Claude Monet

Claude Monet|Water Lilies|1914-26
クロード・モネ|睡蓮

MoMA Online Gallery で閲覧可

これを見るためにMoMAを訪れたと言ってもよかった。
2016年に福岡のマルモッタン・モネ美術館で『印象、日の出』の鮮やかな朱色にひどく感動し、2017年にパリのオランジュリー美術館まで『睡蓮』を見に行ったのだった。

彼の描く彩度がすきだと、また、思った。鮮やかさも鈍さも、輝きも沈みも、全部絵の中にある。

作品の制作年次を見て、悪寒が走った。「1914-26」とある。彼は1926年に亡くなっているはずだった。死ぬまで絵を描いていたのだろうか。

(横幅6メートル)

 - Georges-Pierre Seurat

Georges-Pierre Seurat|Port-en-Bessin, Entrance to the Harbor|1888
ジョルジュ・スーラ|ポール・アン・ベッサン

点描画のスーラ。『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を大学の授業で知って以来、とりこになったのに、長らく思い出さないでいた。

今回、目の前にこの作品が現れて、すぐに「スーラだ」と思った。「知らない作品を見て、その作者がわかる」ことは、本当にすごいことだと思う。知覚者ではなく、作者の技術や手法が広く知られていることがすごい。「知らない音楽を聴いて、その作者(≒作曲者)がわかる」ことに近いだろうかと想像してみたりしている。

筆の跡を味わう
作品のふちに、濃色の点描で枠線が描かれているのがたまらない。作品と現実の境目みたいだと思う

駆け足で

駆け足でまわったが、とても充実していた。
ほかに、マティスの『The Blue Window (1913)』やゴッホの『The Starry Night (1889)』の青たちに惹かれ、モンドリアンに足を止め、ピカソの『Girl with a Mandolin (1910)』の繊細さと硬さに唖然としながら、MoMAを後にした。

2階のショップでいくつかのポストカードを手に入れることができた。

MoMA PS1へ

MoMAの最寄り駅から電車で20分ほどのところにあるMoMA PS1を訪れた。

電車を下り、地上に出て、6分ほど歩いた。「2分あれば着くはずなのに?」と思いながら、やっとの思いで入口を見つけた。そこでようやく、道を間違えたために建物の周りを4分の3周していたということに気づいた。

入口で

ドアを開けるとすぐに、スタッフカードを首から下げた男性が椅子に座っていた。カウンターテーブルはなかったが、そこが受付なのかと思い、彼にチケットを見せた。

(ス=スタッフカードを下げた男性)
私: (MoMAのチケットを見せる)
ス: 「あ、ここはね、受付じゃないのよ。まずそっちで陰性証明書とIDを見せて。それからあっちでチケットを見せて」
私: 「オーケー、ありがとう」

言われるがまま、“そっち(彼に向かって右側)” のほうへ進んだ。

“そっち” には、小さな会議室にありそうな長机が1つとパイプ椅子が2つあり、右側の椅子にインド系と思われる女性が座っていた(額に朱色の点が入っていたことからインド系と想像した)。

(イ=インド系の女性)
イ: 「証明書とID」
私: 「Here you are. 」(それぞれを見せる)
イ: 「あと鞄」
私: 「えっ?」
イ: 「見せて、鞄」(懐中電灯を揺らしながら)
私: 「OK. 」(お昼に買ったテリヤキチキンサンドの匂いが私たちを包んで気まずい)
イ: 「行っていい」
私: 「匂いごめんね、ありがとう」
イ: 「ここに置いていってもいい、鞄」
私: 「ありがとう、でも持ちたいから、持っていきます」
イ: 「任せる、あなたに。チケットはあっち」

聞き馴染みのない語順で話す彼女の英語にわくわくしながら、回れ右をして指示どおり “あっち” へ進んだ。黒いくりくりの髪が親近感を覚える、フレンドリーな女性が笑顔で「こっちよ」と合図してくれた。

(フ=フレンドリーな女性)
私: 「Hi. 」(MoMAのチケットを見せる)
フ: 「BIG MoMAにはもう行った? あなたのチケットなら今日から2週間は無料で入れるから、行ってみて。もし行けなかったら、返金も受けられるからここにメールをしてね」(名刺を差し出される)
私: (早口に驚いて目をしばたいたが、数秒後に理解できた)「ありがとう、実は、さっき行ってからこちらに来たので、返金は大丈夫です。それより、ふふ、あっちのMoMAを “BIG MoMA” って呼ぶんだね?」
フ: 「ふふ、そう、私たちはそう呼ぶの」
私: 「うん、いい感じ。ありがとう、じゃあ行ってきます」

このようにして、入口で3人のスタッフを転々としながら入館した。
BIG MoMAとちがって人気ひとけがなく、屋外展示もあるため開放的な空間だった。

導線もないに等しく、入ってはいけないエリアには「Office」のようなメモが貼られていたので、そのメモを避けて扉を開けたり、階段を登ったりした。放って置かれている感じに安心感を覚えた。信頼されていると思えたからかもしれない。

 - James Turrell

James Turrell|Meeting|1980-86 / 2016
ジェームズ・タレル|ミーティング

PS1 訪問の目的はこの作品だった。タレルによるインスタレーション作品。
四角い部屋の天井が四角くくり抜かれており、部屋の中にいながら、外の、空を見ることができる。
2018年に金沢の21世紀美術館で同作品を体験したが、ニューヨークにあることを知ったのは先月(2月)に入ってからだった。日本の友人が勧めてくれた。ぜひ、こちらの空を見たいと思っていた。

木のミシミシいう廊下を進み、コンクリートで足音の響く階段を3階まで登ると、廊下に扉がいくつか現れる。そのうちのひとつに「Meeting / James Turrell →」という記載があった。

ドアノブをまわすと、急にひんやりとした冷たい空気に顔をなぞられた。
その日は雲ひとつない快晴で、タレルの部屋から望む空も、平面的なブルーであった。しかし、ぼうっと眺めていると鳥の声がしたり、飛行機が高速で通過していったりした。空を空たらしめているものは、実は空以外の要素なのだと思った。

だから、ニューヨークにも、金沢にも、ただの同じ空があった。

空を

空を見て、空の色のグラデーションを作るようになってから2か月が経った。
完成したグラデーションと撮影した空の写真とを見比べて、自分の認識できる色と自分の再現する色の違いを知り、できるだけ差異を少なく――つまり、見た色をそのまま再現できるように――しようという試みである。

ニュージャージーの夕焼けは日本のものよりも緑成分が多いだとか、そのおかげで虹みたいに見える時間帯があるとか、東側の空と西側の空とで色の順番が異なるだとか、すでにいろいろな発見があるのだが、また別の機会にまとめたい。


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