『横道世之介』を読む、私の記録
読書の感想というより、読書中の私の記録。
子どもを保育園に送り届けて帰宅する。
帰りながら空を見上げ、洗濯を干そうなんて考えていたはずが、帰宅したら机の上に置いたままの読みかけの本に一直線である。
ソファの前に座り込んで、ページを開く。
こうなったらもう動くことはない。
予定がある10時半までに読み終えることができるか、そこだけが気がかりである。
夢中でページを捲りつつ、そうは言っても時間も気になり、30分、10分、5分とスマホに手を伸ばして時間を確認する間隔が短くなる。
こうなったらさほど集中もできていないだろうに、諦めて出かければ良いのだが、往生際が悪い。もう少し、もう少しと粘っている。
出発予定の時間が来たところで、あと5ページ程。こうなったら最後まで読み切る一択である。
こんな風だから遅刻の常習犯なのだ、と自分でも分かってはいる。
結局最後まで読み終わり、「あぁ、世之介…」と目尻に滲んだ涙を拭う。
数年前に初めて読んだ時は余韻でしばらく動けなかったが、今日はそんなことも言ってられない。
車の点検の予約時間が迫っている。いや、過ぎている。
予約は10:30で、今は10:32である。
中途半端に眉毛だけかいた化粧を仕上げるか、車の中を片付けるか、一瞬迷って玄関に向かう。今日は顔の見栄えより、車の見栄えを優先したらしい。
助手席に乗っているのは、スーパーのレシートや、どこかでもらったパンフレットや、何かを開封した後に残ったビニールなど。簡単に言ってしまえば、捨てるのが面倒でそのまま積みっぱなしになっているゴミである。
後部座席には、壊れかけた傘や子どものおもちゃや外したままのマスクがあちこちに落ちている。
それらを適当に拾い集めて、とりあえず玄関の端に固めて置く。単に車から室内に移動させただけで片付けたとは言い難い。が、車の中がスッキリしたのは事実である。
こうして家の中が散乱していくのだな、と頭の片隅で思いながら、時間がないのだから仕方ない、と家を出る。
着いたのは10:41であった。15分以内の遅刻だからセーフだな、なんて自分に都合の良いことを考えながら車を預ける。
無理に読み切らずとも、先程の本『横道世之介』を持ってきて車の点検を待つ間に読めばよかったのだが、今日は図書館に行くと決めていた。だから時間が押しても読み切りたかったのである。
気温も日差しもちょうど良い。暑くもなく、寒くもなく、貴重な過ごしやすい秋の1日である。
空を見上げ、世之介がいた東京とも、世之介の実家のある長崎とも違う風景の中に私はいるのだな、と、ふとそんなことを思う。そして、先日訪れた東京の景色を思い出す。
世之介が学生時代を過ごした東京とは、時代も違えば訪れたエリアも違う。
同じ景色を見たとは言い難い。
それでも、自分の頭の中にある東京の街並みを本の中の世之介が今もふらふら歩いている、そんな光景が目に浮かんでしまう。どこかですれ違ったのではないか、そんな気分になる。
まるで自分が世之介と知り合いであるかのような、そんな気になるところが、やはり世之介の魅力なのだろうと思う。不思議な男だな、と改めて思う。
ちなみに、映画を先に見ているので、私の脳内では高良健吾と吉高由里子で再生されている。
図書館では読みたいと思っていた本が見当たらず、探そうかと一瞬迷って、あっけなく諦める。
適当に本を見繕って、図書館を後にする。
家には世之介の続編が待っているのである。
以前この図書館で続編も借りて読んではいたのだが、最近文庫本を書店で見つけ、思わず今朝読んでいた『横道世之介』『おかえり横道世之介』と合わせて購入した次第である。
はて、ゆっくり図書館で本を読んで時間を潰すつもりが、頭の中は世之介でいっぱいで違う本を開く気にもならず、さっさと借りてさっさと出てきてしまった。
点検が終わるまでは、まだ余裕がある。
東京と違って寄り道する場所も数えるほどしかない田舎道である。
最近見つけたカフェでカレーランチを食べて車を引き取りに行く。
帰宅して、先程出かける前に玄関に置いたものを横目に見つつ、素通りしてまた本を手に取る。
今借りてきたばかりの本ではなく、読み終えたはずの『横道世之介』である。
用もないのにふらっと会いたくなる。
そんな魅力的なヤツなのである。
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