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見たい、聴きたい、歌いタイ!

「THE 夜もヒッパレ」すごく好きな番組だった。
当時小学生だったので、22時スタートの番組はなかなか罪悪感がありつつ…
毎週のように泊まりに行っていた祖母の家でよく見ていた。

歌番組は好きだったけど、他の番組はここまで記憶に残ってはいない。
要はプロによるカラオケ番組な訳で。
自分の歌以外を歌うその自由さが好きだったんだろうな〜、と振り返って思う。
根っからのカラオケ好きなのかもしれない。

歌とともに

幼稚園の頃は、泳げたい焼きくんにハマってた!

小学校低学年で地域の合唱部に入ろうとして、結局入らなかったけど。
歌うことが好きだと初めて自覚した。

小学生高学年から中学生にかけて、姉や従姉妹とよく一緒にカラオケに行っていた。盆正月の集まり、大人たちが酔っ払って昔話に花を咲かせている隙に、お小遣いをもらってはカラオケに行った。そんなに好きなら…とレコードか何か買ってくれて、祖父母の家でもカラオケ大会をしては遊んでいた。ただ、それで歌えるのは同じ曲ばかりなので、結局は近所のカラオケBOXに行くのだった。

中学校では、合唱の楽しさを知った。
教室や廊下で友達とところ構わず歌を歌っていた記憶がある。
ハモネプ!が流行ってたのもあって、授業でグループ組んでアカペラで歌ったりしてたなぁ。

高校、大学と、どんどんカラオケに入り浸るようになった。田舎の大学で他に娯楽がなかったから余計に。遊ぶといえばカラオケオール!ミュージカル曲だってカラオケで歌っちゃうぜ!(エリザベート推しw)
ただ高校でも大学でも、一緒にカラオケに行く友達がべらぼうに歌が上手くて!
一緒に行くのは楽しくて幸せ、ハモってくれたりしたら最高!
なんだけど、私は歌が下手なんだ、ってこの時期すごく自覚したと思う。

社会人になっても、一時期カラオケはよく行ってたけど、本気で歌う場所というより、ノリを楽しむ場所って感じだった。だからか、しょっちゅう夜中にドライブしては歌いまくっていた。結婚、出産…としばらくカラオケからも遠ざかっていたんだけど、最近一人カラオケデビューを果たした。これがまた楽しい!

思えば、私ずーっと歌うことが好きなんだよね。
でも、人と比べて上手くないし…ちゃんと基礎から習った訳ではないし…
こんな程度で歌が好きなんて言えない!人様には聴かせられない!
と、どこか卑屈になってた。
(聴かせられない!とか思う時点で聴いてほしい!人前で歌いたい!の裏返しだな、と今はわかるw)

でもそんな必要ないんだな、私は歌いたい!以上。で良いんだな。と最近思えるようになってきた。


声が嫌いな私

歌が下手だから人前では歌えない、というだけでなく、私は自分の声が嫌いだった。この声は歌うのに向いてない、とさえ。

これは母からの刷り込みによるところが大きいのではないか、と最近ふと思い出した。

多分、初めて自分の録音の声を聞いた時、あるあるだと思うけど、自分が内側でいつも聞いている声との違いに驚いた!なんじゃこりゃ!私ってこんな声?と母親に聞いたら、
「そうだよー。嫌よねー、私も同じ声質だけど、もっと透明感のある澄んだ声に憧れるよねー。」というようなことを言われた。(昔の記憶なので色々改竄もあるかも…)
それって、単に母は自分の声が嫌い。ってだけの話なんだけど。
母親似の私の声は嫌な声なんだな。とインプットされた。
「透明感のある声=いい声≠私の声」という認識が私の中に根付いた。

その価値観を持ってずっと生きてきた訳だけど、最近、自分の声に向き合う機会があった。

内なる星を辿る旅 season1

 https://sahsyayoga.com/vibration/hoshinoshirabe-otonomahou

2022/3/3の魚座新月に始まり、2022/9/10の魚座満月までの7ヶ月間。
ずっと自分の「内なる星」を探して歩いてきた。
正直、申し込みをした時にはこの場に集って何が行われるかもよくわかってなかったけれど、とにかく内側と向き合わなくちゃ、ということだけ思った気がする。

2回目(3/18 乙女座満月)の時に、自分の声をみんなで聴き合うワークがあって、「自分の声をまだ知らないのでは?」という問いをもらった。そこから、「私の本当の声ってどんな声だろう。」これがこの7ヶ月間の密かなMYテーマとなった。(飽くまで私個人の勝手なテーマです!)

前後して、子どもに読み聞かせる時の声を録音してみたり、カラオケで歌う動画を撮ってみたり、自分の声を聞くようにしてみた。
とはいえ、それらもあまり続かず。結局自分の本当の声がなんなのか、よくわからないままだった。

「まだ探し中ということにしておきたい。」そんな風に言ったのは、6/14の射手座満月。

最終回直前に、これまでの動画を見返していて思ったのは、自分の声がすごく明るくなってるということ。これ、本当の声になってるんじゃない?自然とそう思った。

2回目のワークの時、脳内イメージでは、長くしっかり声を出していたつもりでいたんだけど、聞き返すとまるでカオナシのように短く細い声だった。これには衝撃!これでは、本当の声じゃないって言われても仕方ないなぁと。

そうか、本当の声が出てないのって、自分の声が嫌いだったからなんだよね。
だから、動画もあんまり振り返って見てなかった。
でも、本当にそう?今はこんなに繰り返し見てるのに?本当に自分の声嫌い?
母親の価値観を引き継がなくていい。あの時の方程式をもう覆してもいいんじゃないかな。自分の声、もうとっくに好きなのかもしれない。人と比較してどうこじゃなくて、愛着がある。この声じゃなかったら、私じゃない。
だって、こんなに歌うの好きなんだもんね。

♪この身体とこの色で 生き抜いてきたんだから
(ポケットビスケッツ「yellow yellow happy」)
なんか、そんな感じ。

そして7ヶ月の旅の最後の日、さなえさんが歌って下さる歌を聴きながら、出てきたのは、

《私も歌いたい》

だった。本当の声を探すんじゃなくて、ただ自分の声はこれだ、この声で私は歌いたいんだ、と覚悟を決めることが大事だったんだと思う。

魚座満月より前に「歌いたい!」って実は言ってるしね。(色々無自覚!)


よろこびを抱きしめて、私は歌う。

というわけで、かん、歌いまーす!

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