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タテからヨコへ。

半年前の記事ですが、

こんなことが特にここ数ヶ月、私の身の回りでも起きているなぁと感じている。


私はこれまでずっと、タテの世界にいた。

教える─教わるの世界線。

子ども、学生時代はもちろん教わる側で。

教員になったら、教える側で。

かつ、社会人としては上司や先輩から教わる側で。

そういう社会的側面は仕方ないにしても、プライベートな対人関係でもこういうことをしていた。

無意識のうちにすごい人!と決めて下手に出たり、

逆に親しくなりすぎて、上から目線になったり。

もちろん、フラットな関係もあるけれど。

なーんか、上下関係のような意識がどこかにあった。そういう意識が自分の中に深く根付いていることにも無自覚だったかもしれない。
年齢とか肩書きとか、スキルとかは、わかりやすいよね。


それをすることで、多分安心していたんだと思う。自分のポジションを設定して、そこにはまっていく感覚。それもある意味、他人軸なわけで。

あ、もちろん礼儀として目上の人を敬う、ということとはちょっと違って。

なんというか上下関係で自分の立ち位置を捉える癖、みたいなのが強く発動していたと思う。(これを書くのめちゃくちゃ恥ずかしいけど)

家族に対しても、実はそういうところがある。というか、関係が近い分容赦ないかも。

夫に対してつい、マウント取っていた。これは随分手放せるようになってきたつもりだけど、どうだろう。
あと、親子関係とか、つい上下の意識が入りがち。子どもを上から押さえつけない、というのは私の密かな課題でもある。
無意識にこれをしてしまう自分に気づいて、それが嫌で教員を辞めたのも大きい。


でもそういう私の上下意識に強制的にメスが入ってるのをここ数ヶ月感じていた。渦中は何が起きているかわからなかったけど。
だいぶ抜けてきたので、あぁあれもこれも、そういうことだったんだなぁとわかってきた…ような気がする。

つまり、ヨコのつながりか、フラットであるかどうか、が今の私の中ですごく重要になってきているということ。
そして、そういう場を作りたいという気持ちになってきている。

シフトチェンジはそれなりに痛みもあったけれど、完璧ではないにしろ手放せてきたことによる開放感は感じつつある。


以前は、
上下、教える側、何かができる人、スキルがある人───教わる側、享受する人

という価値観がデフォルトだったから、私も何か身につけなくては!と常に不足の意識があった。教員のときはもちろん、退職後も。

だからクリスタルリーディングや、筆跡診断などとも出会えたわけだけど。



でも、最近、読書会をしたり、ガメパなるものを開催させてもらったり、ただフラットにそこにいる、そんな風にできるよね、それって心地いいよね、と。
何もできない私のままでも、自分自身をそのまま差し出していいんだ、とふっと肩の力が抜けた部分がある。

もちろん、これからも、年齢や立場の上下関係や、教える─教わる、与える─受け取る、の関係性がないわけではない。
つまり、タテの関係は今後も確実にあるし、それがダメな訳ではない。
今後も私は誰かのもとで何か学ばせてもらったり、教えを乞うこともあるだろう。

でもだからと言って、人間に上下がある訳ではないというか。
変に自分を上に持ち上げたり、卑下したりする必要はなく、自分でいたらいいというのが、ようやく腹落ちしてきたのかもしれない。

その瞬間の立場であって、それは固定じゃないってこと。

人は、与え受け取り、教え教わり、共に成長していく。それは立場関係なく。

そうしてみんなが、少しずつ高めあっていけるような関係や、そういう場が今の私には心地よい。

だから、そういうフラットにみんなが集える場を作っていきたいなぁという気持ち。
これから私のやっていきたいことかもしれない。


そして、同じ土俵に立つ、という意味では、ひとつものを一緒に眺める、というのが結構役に立つ気がしている。

だから、今、読書会なんだということ。
一冊の本を前にすると、みんなイチ読者だから、そういう場になりやすい気がする。

それはホロスコープでもいいし、また別の何かでもいいということ。
冥王星が移動するね、なんていう単なる事象でもいいわけだ。

読書会や、ガメパを始め、そういう場ができはじめていることを嬉しく思う。


そしてもう一つ。
私はここ数年、色々な方のセッションを単発だったり継続だったりで受けさせてもらってきた。
結構たくさん。
反対に、筆跡診断など、させていただく立場にも一応なった。

そういう自分を見つめる定点観測の場を私も作っていきたいな、と思っているけれど、「セッション」や「診断」という形になると、
提供する側─受け取る側という構造になる。

いや、これを否定するつもりはないし、私は今後もセッション受けたり、したりするだろうけど。

自分がやるとなると、そこをどうフラットにしていくか。
私が診断して「こうしたらいいよ」とアドバイスするという形ではなく、
みんなでフラットに自分の最適解に向かっていけるような、定点観測の場所を作ることは可能だろうか、ということを妄想している。

それが、2023.04.20牡羊座新月の私の気付き。

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