見出し画像

今の自分を差し出す怖さ

肩書きってなんだろう。

教員をしていた頃、自分が教員である、と名乗るのは怖かった。

それは教員という職業のせいだと思っていた。
教員です、と言って「え?それってどんなことするの?」と問う人には出会ったことがない。みんなそれぞれ固有の教員像を持っている。
その像にハマる立派な自分でいなくちゃいけない!(でも実際は違う)だから、言いたくないのだと、自己分析をしていた。

でも教員を辞めたら、至る所で、元教員って言ってるw
過去になったら言える、というのは不思議だ。

そして今の肩書き「学生」を名乗ることに今度は抵抗を感じてる。というか、人に聞かれない限りは言わないようにしてる。どう見ても学生やないやんけ!って思われるから?
勉強をほとんどしてないから?

そして、最近twitterには「筆跡診断士」と書いた。完璧勢いで書いたけど、見る度にざわついている。昨日は、「筆跡診断やるぞ!」と密かな決意表明のつもりでnoteにも書いたけど、これもやっぱ下書きに戻そうかな、っていうくらいざわついている。

その肩書きが一般的に認知されているかどうか、は多分関係ないのだな。
他の人のイメージに自分がハマるとかハマらないとかそういうことではないのかもしれない。

「前はこれをしてました。」ということには抵抗がなくて、「今私はこれをしてます。」ということに怖さがある。

doの肩書きだからかな?beの肩書きなら怖くないのかも?とも思ったんだけど、自分を定義づけることが不安で、本を読みながら何度かチャレンジしたけど、結局beの肩書きを自分につけることすらできていない。

「今の私はこう在る」を表明するのって、私にとってはすごく怖いことなんだな、という気づき。

いつか、胸を張って名乗れる肩書き(doであれ、beであれ)に出会うことができるのでしょうか。

そもそも、肩書きが欲しいのは何のためですか?


ありがとうございます♡ pucchen-houseの運営資金として大切に使わせていただきます。 ぜひ、応援お願いいたします🙏