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決断はいつも自分の価値観で。

つい先日のこと、
大好きで、尊敬する先輩でもある友人から、
「○○でうむことになったら、来てくれる?」と
相談を受けた

同じ施設で働かなくなって、もう数年。
その間にコロナなどもあり、
違う施設を行き来するなんて、
なんだか言い出しにくいし、難しい状況になった

お産をする施設としても忙しくなり、
突然休むなんて許されないような環境で働く今。

今までを振り返ると、
「私がお産につくよ!」なんて
自ら担当を買って出ていたこともあった。

広島に帰ってきてからも、
京都の友人のお産でさえ、喜んで携わらせてもらったこともある。

友人にお産をお願いされるなんて、
助産師として、こんなに幸せなことはない。

助産師冥利なのだ


そして、
助産師としてお産に関わる中で一番思うことは、
「その人らしくいること」「その人らしくあること」の大切さ。

安心できる存在、こころを開くことができる存在が
お産のときに傍にいてくれることって、
本当に心強いことだと感じる。

誰かにそういう存在として選んでもらえること。
そう思ってもらえていたということが、
何より嬉しいと思った。

けど、
色んなバイアスがかかり、
その話を受けることに躊躇してしまった私。

長く離れている施設に行くこと、
知らないスタッフばかりいること、
施設を移動することが決まったときのトラブル、
コロナで面会などの制限があること、

自分の中で、色々な葛藤が脳裏を巡って、
「考えさせて欲しい」という結論に至った。

電話を切って、
夫にその話を相談してみた。

夫からは一言だけ。
「かな、優先順位は間違えんさんな

行きたくない気持ちが強いなら、行きんさんな。
お産を手伝いたい気持ちがあるなら、行きんさい。」と。

その瞬間に、
私の中ではっきりと答えが決まった。

頭の中では、
彼女との色んな思い出が映像として流れてきて、
ボロボロと泣けてきた。

答えはすごくシンプルで、
自分の中できっとすでに決まっていたと思う。

広島に帰ってきて、
初めてできた同僚で先輩の友人の彼女。

思っていた以上に、
彼女のことが好きな自分に気づいた私。

何かを決断したり、
行動に移すとき、
時としてすごく悩んだり、躊躇してしまうことも少なくない。

そして、
その決断の妨げになるものの多くは、
「人にどう思われるか」というストッパー

言い換えると、
何かを失うことへの恐れというストッパーなのではないかと思う。


自分のことなのに、
自分がどうしたいかなのに、
なぜか生まれる「人の価値観」

大切なのは、
自分がどうしたいか

「人にどう思われるか」 ではなく、

その決断をした自分を、自分がどう思うか
そして、
その決断をしなかったときに、自分がどう感じるか

分かっていたはずなのに、
自分の価値観ではなく、人の価値観で
間違った決断をするところだったなぁ、と
大反省する出来事だった。

もし、
違う決断を選択していたら、
もっともっと大切なことを失っていたと思う。


夫よ、気付かせてくれてありがとう。

そして、
お産の神様、どうぞよろしくお願います。

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