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行動することは損じゃない

こんにちは、でこぼこままです!


高校生2人の凸凹息子達の母です😊


ASD傾向で元不登校の長男ADHD傾向で起立性調節障害の不登校次男


私は凸凹特性持ちのアラフィフです😆

行動派の私

私は自分の生育環境から、
何でも自分で行動することをモットーに
生きてきました。

理由は
行動しないと自分のしたいことが出来ないからです。

でも一方で
そんな事をしなくても手に入れる人もいて、、、

行動しないと手に入らない自分は負け組だ


そう思う事もあります

今日はそんな私の個人的な話です

「お金がかからなくて良かった」と親に言われて育った

私は長子で長女ですが
お雛様はなし
七五三、成人式、卒業式は歳の離れた従姉妹のお下がり
大学は自宅から通える公立
無利子の奨学金(自分で払いました)
親には
あんたにはお金がかからなくて助かった
と言われて
なんか虚しさを覚えました

確かにピアノは買って貰いました。
私にとっては唯一(といってもいい)買ってもらったもの
だから執着して手放せずにいます

色々割愛しますが
それでも
母が生きている時は
お金で困ってる母を助けたい
母の役に立つ事が私の生きがい

のように思って
お金がかからなかった自分に対して
仕方ないけど
これでいい
と思っていました

肝炎で入退院を繰り返す父
県外の大学に行った弟
しょうがない


一方で
自分で何もしなくても
愛を受け取れる同級生
晴れやかな成人式の着物を着て写真を撮る友人
卒業式の袴姿
キラキラしてて羨ましかった
私の手元には振り袖どころか
母の留め袖もありません。

留め袖は母が亡くなってだいぶ経った話ですが

60歳を超えてで発達障害と言われた父が
弟と二世帯住宅を建てる時に
母の留め袖など着物一式
燃えるゴミに出してしまったからです

母の形見は一つも持ち出せませんでした。

私は
私が思う
『私を大切に扱ってくれる人は居なかった』環境で育ちました

なので
自分を大切に出来るのは自分
自分に愛情をかけるのも自分

分かってはいますが
行動しないと掴めにいけない自分に
虚しさを感じることもあります

小さい時に親に大事にされること
無条件の愛を注がれることは
健全な大人に育つうえで大事だなと思いました


大事にされることの条件


今から思うと
おそらく私の両親は
両親なりに愛情を注いでいたんだと思います。

両親が我が子である私に愛情を注ぐ基準にしたのは
両親の両親だと思います。
つまりは祖父母

祖父母がしたように
子どもに振る舞った
ただそれだけのこと

戦争直後に生まれた両親の感覚では
服を買うことよりも
それなりの服を着せれば十分
生きていくだけで精一杯の時代に生きた両親は
そういう感覚だったんだと思います。

世代間の連鎖は怖いですね。。。

自分の幸せは親の枠の外にある

生まれた時から愛情を注いで貰った人
そうでない人

残念ながら個々の生育環境はピンキリで
そういうふうに雲泥の差がついてしまう。

私の様に
「子育てが安く済んで助かった」
と子どもに言う親に育てられた人は
自分で何とか幸せを掴むしかありません。

自分の自由と幸せを求めて枠の外に出るそのために行動し続ける。

行動することは、
私達の様な環境で生きてきた人間にとって
前に進む力なんですね

生育環境から飛び出せる事に必要な事は
固い決意と勢い
飛び出すことに罪悪感を持たない

残念ながら親の価値観は変えられません。
還暦過ぎて発達障害と医師に言われた父は
起業した弟に依存して生きています。

弟には申し訳ないですが、
父はガンで余命宣告されていますし
気の強い弟なのでやれるでしょう

えいやっと
気合いを入れてその熱量で飛び出す

行動することは損じゃない
行動することが現実を変える力を生む
ありがたい事に
私の夫は父のような人ではありません。
私が行動し続けて御縁があった人とも言えるかも?

夫との二人三脚の子育ては、
今のところ私の家の方の負の連鎖を断ち切っていると思います

最後まで見てくださってありがとうございます😊

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