見出し画像

緋色の花㊳

4ー2:矢切蓮

     1

 紗羅の姿が見えなくなってから、俺に椅子に掛けるよう促す司。相変わらず、緊張感の無い笑顔で語り掛けてくる。椅子に座ってから、彼は切り出す。
「この時期になると、外は寒いですね。時間も限られていますし、単刀直入にお訊ねしますね。零さん、事故でお亡くなりになったのではなく、殺されたんじゃないですか? 蓮さんに」
「聞いてどうするんだよ。もう十中八九、そう確信してんだろ」
 背もたれにもたれ掛かり、手を頭の後ろで組んだ。
 従兄弟妹いとこの中で、これまでずっと疑念を持ち続けていたのが司だった。唯一、久弥ひさやには俺から関わるなと告げたくらいで、皆、「何か」あると勘づきながらも、触らぬ神に祟りなしを決め込んでいた。これ以上、血縁者の面倒事には巻き込まれたくないから、当然の反応だ。
 だが、司はわざわざ紗羅に近付いてまで探りを入れた。
「蓮さん、随分零さんを嫌っていましたから、怪しく見えるのは当然じゃないですか」
 こんな話をしていても、司の表情は崩れない。白い息を吐きながら、彼は続けた。
「でも、殺すほどの動機にはなり得ないと思うんです。だったら、一体お二人の間に何があったのか、気になっちゃったんですよ。もし本当に蓮さんが零さんを殺したのなら、今後のお付き合いの仕方も考えないといけないですし」
 小首を傾げながら言う。大きな目が若干上目遣いになる。どうしてこういう仕草が自然とできるのか、未だに不思議だ。
「まず、二学期に転校してきた紗羅は、桜ノ宮に通うような人材じゃない。学力は十分足りています。理系科目だけで言えば、中等部でトップなんじゃないですか?
 ですが、いくら勉強ができようが、桜ノ宮ここに通うにはある程度の血統書が必要です。本人もそういう繋がりに心当たりがない。では、彼女の学費はどこから出ているのか。そんな資金を一般家庭で育った彼女、及び親族に、払えるわけがないんですよ。彼女が転校できた時点で、おかしいんです。まさに異例。
 そんな彼女と、蓮さんは妙に親しくされていた。最初は、蓮さんのことだから、彼女に興味を持って、そのうちに恋人関係になったのかと思いました。零さんについて何かお話されているんじゃないかと思って、聞き出そうと考えたんです。
 けど違った。お二人は別に恋人なんかじゃない。なのに、蓮さんは紗羅の側にいる。見守るように、監視するように……。そこでふと、こんな仮説が浮かびました。矢切家が、紗羅の資金を援助している」
 さっきホール内で珠莉のことを口にした瑠依を制して代わりに謝ったり、紗羅に謝っていたのを見て、もしかしてと嫌な予感はしていたが、やはり彼は、紗羅がいまだに気付いていない、全ての真相がわかったようだ。
「では、なぜ、矢切家が紗羅の援助をしているのか。紗羅が転校するきっかけになったのは、長崎での事件です。両親が亡くなって、親族にも引き取り手がいなくて、彼女を保護する人がいなかったから」
 そこで司は、一度口を閉じて言葉を区切った。特定の言葉を避けるように。続く言葉も、それを避けるように述べられる。
「一度零さんの殺害について、話を戻しましょう。
 蓮さん、今年の春頃から、みぎわ中の白羽珠莉さんとお付き合いされていたんですよね? ですが、彼女は夏休み中に亡くなった。彼女が亡くなった原因に、零さんが関係していますね。ただの兄弟喧嘩よりも、よほど動機になり得ると思います。跡取り問題だとしたら、もっと早くに事が起きていたと思いますし」
「珠莉と俺の関係はいつから知ってたわけ?」
 問うと、彼は答えたくなさそうに少し顔を歪めた。
「瑠依とお話されている時、『汀(みぎわ)のお嬢様』と言ってるのが聞こえたので、お付き合いされている方がいたのは一学期から知ってましたよ」
 ならば零も俺と瑠依の会話で、俺が珠莉と交際し始めたと気付いた可能性もあるわけか。
 瑠依から聞いたんじゃないですからね、と彼女がこの件に無関係であることに釘を刺して、司は続けた。
「紗羅と親しくしていたのは、珠莉さんに重ねてしまうものがあったから。珠莉さんが亡くなったんですから、心配になるのは当然だと思います。放っておけなかったんですよね。ある日突然消えて、そのまま二度と会えなくなる恐怖を知っていたから。あと――」
 冷たい風が、優しく吹き抜けた。
「紗羅が犯行に使用した薬が、矢切製薬の物だったから」
 俺と紗羅を絶対的に引き裂く事実を、司は変わらず、淡々と告げていく。
「いったい何をどれくらい混ぜたんですかね? あんなに凄惨な現場になるなんて。母親が常用していた薬を使用したそうですが、他にも自分で買い揃えた物があるんでしょうか。いずれにせよ、紗羅は矢切製薬が開発した薬で、むごい殺人が行えることを証明してしまった。ただの薬っていう認識しか、彼女には無いでしょうけど」
 困ったように笑う彼の言葉に同意する。
「蓮さんにとって、怨みの相手で、監視の対象で、珠莉さんへの贖罪の代人で、赦されない恋の相手」
「そこまで盛るなよ」
 司は呆れたように小さく笑った。
 紗羅は、何も気付いていない。
 大々的にニュースにならなかったのは、矢切家が必死に事件を揉み消したから。地方紙にだけ記事を出したのは、既に近隣住民の間で騒ぎになっていたから、生き残った子供へ同情を向けさせることで、犯行手段から気を逸らすため。
 桜ノ宮に転校できたのは、彼女の学力ならば転校試験を合格できると見込んだ上で親族に転校を提案し、資金を全額負担しているから。
 頃合いを見て紗羅本人に矢切製薬への就職を誘導し、彼女の頭脳を研究に費やしてもらおうという打算と、永久に世間から隔離するための、保護という名の投獄を計画していた。
「紗羅はまだ、このこと知らないんですよね?」
 彼は、こういうところはかなり気遣いができる。
 この場から紗羅を退場させたのは、紗羅への配慮だ。謝罪をしたのも、彼女が殺人を犯した事実以上に知られたくなかった動機まで、真実を導き出してしまったから。今こうして話している間も、強姦、レイプ、性的暴行といった言葉や事実を、出さないようにしている。紗羅と珠莉がその被害者であると知りながら、本人からスピークアウトされていないから、口にしないことで、知らないという立場を貫こうとしている。
「蓮さん、紗羅のことをかくまうんだったら、ちゃんと口裏合わせてくださいよ。家柄のこととか」
「アホか。口裏合わせるには矢切家と紗羅の関係を話さねーといけねーだろ」
「できるわけないですよね。それはわかりますよ。大切な相手ならなおさら」
 司は一度溜め息を吐いた。話を戻すように、彼は再び口を開く。
「珠莉さんの件は示談、紗羅は刑事未成年。ご遺族と本人の中で決着がついているなら、僕も蒸し返そうとは思いません。蓮さんの件です」
 つらつらと、残酷な言葉を告げていく。
「蓮さんの件は少年事件になるので、告発すれば、少年法に則って裁きを受けるでしょう。事件が明るみに出た時、矢切家はその背後にある桜錦家から守ってもらえるのでしょうか。切り捨てられるのでしょうか」
 彼の目が、妖しく光る。綺麗な曲線を描いた口元に、人差し指を立てた。
「この件、僕は黙っておこうと思います」
 月の光が彼を照らしている。冗談みたいに綺麗な笑顔だ。
「……は?」
「最初は告発する気でいましたよ? 告発して矢切家というより、蓮さんを終わらせたかったんですけどね。さすがに犯罪者となった蓮さんを想い続ける人なんていないと思いますから」
「何の話してんだよ」
「蓮さんの一番の罪って、その鈍感さ、というか無関心さですよね」
 司は一度笑みを崩して、ジットリとした目を向けて責めた。それでも何のことかわからないから、何もしようがない。司はまた溜め息を吐いて続けた。
「矢切製薬は今や世界屈指の製薬会社ですし、紗羅の頭脳をこのまま殺人だけに使用して終わらせるのは、勿体ないと思うんです。きっと彼女なら、これまで開発されなかった薬も作れる」
 これまで開発されなかった薬――男性用ピルのことだろう。
 今の男性の避妊方法は、とても不確実なものしかない。
 なのに、バイアグラは半年で承認されて、経口避妊薬の認可は四十四年もかかった。
 まるで、女性の妊娠をコントロールするかのように、世の中は動いている。
 彼はまた口を閉じた。そして、小さく独り言を言うように呟いた。
「それに、僕は現行法に納得していません」
 あれから性犯罪やそれに付随することについて調べたから、言いたいことは理解できた。
 今の性犯罪に関する刑法は、一〇〇年以上前の明治時代の刑法が基になっている。
 つまり、被害時、恐怖で身体が動かなくなるフリーズ現象が起きても、相手に逆らえなくて言いなりになるしかなかった状況でも、それらは考慮されないということだ。レイプと認定されるには「暴行・脅迫」があったことを示さなければならない。それは「どれだけ抵抗したか」によって判断される。しかしこれでは、要件を満たせない。圧倒的に、被害者が不利だ。
 他にも、性犯罪は性欲と本能によって引き起こされるものだと認識されているため、加害者の責任の追及が愚かになる側面がある。ターゲットを待ち伏せする、脅す――本能で動いたにしては、冷静で計画的な犯行であっても、だ。性欲の裏側に「支配欲」「復讐」目的達成の「自己称賛」があったとしても、加害性は問われない。
 それに裁判になったところで、被害者が報われるとは限らない。加害者ではなく被害者が新たな辱しめを受ける事態にもなる。『いずれ妻となり母となるはずだったのに、その未来が閉ざされた』という風に。将来あるべき姿を決めつけられ、被害に遭ったからもうその未来はやってこないのだと『烙印スティグマ』を押される。価値が無い者のように言われ、声を上げる力を奪われる。
 しかも世の中では、彼女や妻で性欲を解消できなければ、風俗に行くことを良しとされているし、性欲は女性で解消すべきだと唱えられている。
 どこまでも、女性は『モノ』扱いだ。
 俺もそうだった。珠莉も晴実の彼女も。無意識のうちに所有物だと思っている節があった。
 珠莉以外の人が被害に遭っていたら同じように怒りが沸いたかと問われたら、自信が無い。
 俺は零に対して、男の価値観のもとで、怒りをぶつけたに過ぎない。
 きっと零は、俺よりずっとこれらを理解していた。それを加害者の立場で、利用した。
「そういうの全部変えられるのは、いや、変えるには、地位と権力が必要なんですよ」
 月光に照らされた彼の笑顔は、やはり綺麗だった。悪役みたいな言葉を吐かれたのを忘れそうになってしまう。
「僕は、紗羅ならこの世を変える薬を開発できると思っています。僕も、彼女と一緒に世界を変えたい。そのためには、彼女を支えてくれる矢切の人間は必要です。矢切家なくしては、そんな紗羅の未来は無いですから。勿論、自首されるならば、それは止めません。」
 以前の俺なら迷わずそうした。自分がどうなってもいいし、珠莉の敵である会社も両親も、怨んでいるのだから。
 紗羅だって、ただの監視対象としか思っていなかった。
 思っていなかったのに……。
「自首はしねーよ」
「嬉しいです。末永くお付き合いしていきましょうね」
 語尾にハートが付きそうな嬉々とした表情だった。
「それでは、桜ノ宮の理事にもかかわっている桜錦家当主の李一りいちさんに、特待生制度を設けるよう、李緒りおさんからご提案するよう説得していただけないでしょうか。紗羅の転校を、将来の矢切製薬の開発・技術者として素晴らしい人材を見つけたから、ということにして。矢切家のスカウトとなれば、異例の入学に疑問を抱く人はいなくなるでしょう。彼女ほどの逸材、他に居ないと思いますし」
 彼は、いったい何をどこまで考えていたのだろう。
 敵なのか、味方なのか。そうやってどちらかに分類しようとする行為が愚かなのか。
 ただ一つ、彼は彼なりに、一人でも多くの人を救える道を、考えたのかもしれない。
「……結局親を頼らねーといけねーのは心底ムカつくけど、説得してみる」
「いずれ僕達の時代になりますよ。それまでは、黒でも上塗りして、無理矢理白にするしかないんです。僕達が大人になったら、自らの手で本当の白にするんです」
「言ってることもやってることも悪役だけどな」
 正しいとは言えない正義の中で苦笑した。
 だが、彼ならば本当に、将来この国を背負う人間になるのではないかと思った。いや、背負うという言葉は似合わない。「手に入れる」という言葉がしっくりくる。
「つか、やけに紗羅に親身になるのな」
 司は室内の灯りを見つめた。
「僕は、この国をもっと良くしたいんですよ。大切な人が生きやすい世の中にするために」
 答えにはなっていなかったけれど、それを指摘するのも憚られるような、闇に溶け込む、静かな声だった。
 いつも「より良くしたい」という言葉を抽象的だと思っていたけれど、今はそうは思わない。
 男女平等が唱えられても、男性優位社会であることに変わりはない。
『他の人が同じ権利を持つことで、自分の権利が優先的に行使できなくなる』ことに不満があるのだろうか。自分達が『支配できる側』にいるから『権利をかざせる』、その図式が成り立たなくなるのは、そんなに不都合なのだろうか。
 性犯罪は女性だけの問題ではない。男性も主体性を持って、己の醜い部分と向き合わなければ、解決にはほど遠い。
 彼は、それを理解しているんだ。
「僕は、瑠依と『対等』になりたいんです」
「……いや、まず瑠依に嫌われてんじゃん」
「これから振り向かせたらいいだけの話ですよ」
 前々から感じてはいたが、ポジティブの度を越している。
「あんな態度取られて、どっからその発言出てくるわけ? どんな神経してんだよ」
 司は緊張感の無い顔で笑う。
「蓮さんは、世の中で疑問に感じていたこととかないんですか?」
 一番の疑問は司の思考回路だと言いたい。
「俺はそこまで考えたことなかったな」
 これまではただ、抗えない運命に不満を募らせるだけだった。
「世の中には不思議なことがたくさんありませんか? 生きることが絶対的に良しとされていて、死ぬことは絶対的に悪とされていること。一対複数だといじめという言葉が使われて、一人一人の加害性が矮小化されること。あと、きょうだいでの結婚が許されないこととか。ご存知ですか? 異母きょうだいであっても、直系血族となるので結婚できないんですよ」
 風が強く吹き、木々が揺れる。ザアザアと雨が降っているような音を立てる。
「これは倫理的問題もあるそうですが、近親交配だと、奇形や障がいを持った子供が生まれるリスクが医学的に高くなるから、という理由が大きいと思われます。でもそれなら、子供を作らなければ、問題ないですよね」
 俺を見る司は、妖しく、恐ろしいほど綺麗に微笑んでいた。
「余計なことまで長々と喋りすぎましたね」
 パッといつもの表情に戻る。
 司は腕時計を確認した。
「時間もいい頃ですね。そろそろ戻りましょうか。本当はもっと早く切り上げるつもりだったんですよ。蓮さん、お時間割いていただき、ありがとうございました」
 先に室内に行かせた紗羅のもとへ俺を引き戻すように、彼は立ち上がった。
 明る過ぎる室内に向かう前に、彼は思い出したように告げた。
「紗羅に全て打ち明けるかどうか、お付き合いするかどうか、そんなことまでは口出ししません。けど僕からしたら、法で禁じられているわけでもない相手を諦めるなんて、愚かですよ」
 いつも見ている彼の表情と同じはずなのに、司は怒っているような気がした。

   

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?