緑玉で君を想い眠る⑲
2
天真爛漫な彼女は、笑顔が絶えなかった。
そんな彼女は、人目につかない場所で泣いていた。
同級生の男の子から、チビとか、ブスとか、そんな言葉を言われていた。
彼女はそれを、興味無さそうに知らん顔していた。言い返したりしない、大人な対応をできる人だったのだと、関心してしまった。
でも僕は、その現場を見た時、その男の子達を注意するべきだった。
知らん顔してどこかへ歩き始めた彼女は、やがて立ち止まった。一階の階段の後ろにある空きスペースに、とことこと入っていく。そんなところで何をしてるんだい? そう声を掛けようとして、やめた。
すすり泣く声が、聞こえてしまったから。
彼女が泣く裏側――階段に腰掛けて、そのまま彼女が泣き止むのを待った。
ひっそりと泣く彼女の声を聞いているうちに、なぜか僕も泣きそうになってしまった。
何で、泣きそうになんてなっているのだろう。
不思議に思っていると、ずっと昔に蓋をした感情が、零れ始めた。
背が低くて、力が無くて、体力も無い僕を、同級生の男の子に弱っちぃと笑われて、悔しいと思った時の感情が。
全て嫌いだった。
反撃しようとしても、返り討ちにされるとわかってしまう。
反撃できたとしても、手を出した方が悪人となってしまう。
なのに誰も助けようとはしない。
それら全てに腹を立てて、でもどうしようもなくて、悔しさだけが膨らんでいった、あの時のことが。
彼女に気付かれないように、そっと溜め息を吐いた。
僕は、知っていたはずなのに。
自分自身を踏みつけられて、何も無かったような顔で通りすぎて行かれる痛みを。
その感情に、これまで気付かないフリでやり過ごしていた自分自身にも、自分と同じ痛みを味わっていた彼女にすぐ気付けなかったことにも、悔しさが湧き起こった。
唇を噛み締めて、拳を握る。
だけどその後、どう行動していくべきなのか、僕は答えがわからなかった。
人目につかない場所以外では、彼女は笑顔を絶やさなかった。
ちょうちょの不気味な模様を観察して笑顔になったり、カラスを見てペンギンみたいだと笑顔になったり、何が楽しいのか理解できないことは多々あった。バッタを見つけて「細い枝豆」と言っていた時は、取って食べてしまわないか、見ていてハラハラした。
けれど、いつでもコロコロと笑う彼女を見るのは、好きだった。
生き物や植物が好きらしい彼女には、世界の様々なものが、楽しく見えていたのだろう。
僕にはその感覚がよくわからなかったけれど、好奇心のままに動いていろいろな発見をする彼女と居るのは、楽しかった。
「霧島」を正しく発音できるようになって、拙い言葉で説明するようなことがなくなっても、彼女の笑顔はこれまでと変わらなかった。
「守見て! 春の雪だよ」
いつものように昼休みに中庭の散策をしていた時に彼女が指差したのは、黄色い花から綿毛に姿を変えたタンポポだった。
「叶羽、あれは綿毛だよ」
「知ってるよ。でも雪だよ」
相変わらず意味がわからないことを言い始める時もあったけれど、僕はそんな彼女も好きだった。
「溶けない雪なのかい?」
「飛んでいく雪なの」
タンポポの場所まで歩いて、彼女はしゃがんだ。同じように、隣にしゃがむ。
「春も雪と会いたかったから、春でも残る雪を、こうして作ったんじゃないかな。それで、遠くに飛んでいって、また別の土地で雪を咲かせる。いろんなところに行って、雪を届けるんだよ」
「なるほど。遠くに行っても、一緒に居られるのか」
「そうそう」
本当に話の内容が通じ合っているのか、意味を理解しているのか怪しい会話を、たくさんした。
ほとんどが、小学生の独自の想像力によって作り出された、子供の世界の話だったと思う。つまり、意味なんて、ほぼ無い会話。
それでも、タンポポの話は、なぜか今でもよく覚えている。
多分、心のどこかでわかっていたんだ。
彼女とこうして一緒に居られる時間は、限られている。
いつか彼女は僕のもとに走ってきたりなんかせず、別の誰かのところに行く。
それはきっと、僕よりも背が高くて、頼りになりそうな、そんな人。
だから代わりに、タンポポだけでも、心に残しておこうと思ったのかもしれない。
彼女が遠くにいっても、僕一人になっても、何事も無かったようにまた花を咲かせるタンポポのように、元通りに生きていけるように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?