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緋色の花㉙

     

 それからさらに数日経って、白羽夫人から連絡があった。見てもらいたいものがある、と。
 亡くなった彼女の親に会う時、どんな服を着て行くものなのだろう。無難なものがわからず、寮に行き制服を手に取る。そこで新学期はまだ夏服が必要だから、先日紅柄色べんがらいろが落ちずに捨てた分、上下一着ずつ取り寄せないといけないことを思い出した。
 白羽家を訪ね、白羽夫人と再会した。以前は、顔のパーツ一つ一つでしか彼女を捉えられなかったけれど、表情までしっかり見えた。
 華やかな顔立ちのはずなのに、どこか暗く、事情を知らない人が見たら体調不良を疑う表情だった。目に、口に、表情を宿す部位に色濃い影が落ちていた。
 彼女もまだ、時間は珠莉が亡くなった日から止まったままに見えた。
 リビングには大きな白いユリが生けてあった。季節的なものなのか、珠莉を弔ったものなのか、どちらなのだろう。
 俺が珠莉に花を贈っていたら、彼女はその花をどこに飾っていたのだろう。
 リビングか、それとも部屋か。花を持って帰った彼女は両親に誰からもらったと話しただろう。その時、どんな表情をしただろう。ユリの匂いにつられて、そんなことを考えてしまった。
 テーブルの一席に座るよう促されたので、そのまま腰掛けた。向かい側に白羽夫人が座る。彼女の死に関して、進展があったのだと予想できるが、あまりいい予感はしない。
 静かに封筒を差し出された。「遺書」と書いてある。珠莉の筆跡だ。
 白羽夫人は何も言わない。口は固く閉ざされている。無言で、俺に読むように促していた。
 封筒を手にして、中身を確認する。

 どうして、零の名前が出てくるのか。
 零と珠莉の関係は事実なのか。
 一行目から信じ難い言葉が記されていて、一文字読み進める度に、目の前が暗くなる。貧血を起こしたように、脳に血が回らなくなる。

 先月、珠莉といるところに零と鉢合わせたのは、偶然ではなかったのだ。アイツは狙って俺達に近付いた。そして、俺に席を外すよう仕向けて、珠莉を脅した。
 いつから、俺と珠莉の関係を、アイツは知っていたのか。五月、珠莉から初めて浮気を疑われたあの日、学校で見た私服姿の零が脳裏を過る。もしかしたらずっと……春から知っていた?
 アイツは何のために珠莉を狙った?
 俺だ。俺がこの事実を知った時の反応が見たかったんだ。
 心から好きな人を傷付けられ、精神まで蝕まれ、亡くなった時の、俺が見たかったんだ。
 珠莉はただ、利用されただけに過ぎない。
「蓮さん」
 名前を呼ばれ、ハッと顔を上げた。何年か後の珠莉の顔が俺を見ていた。
 これから、ようやく俺は審判にかけられる。
「貴方は矢切蓮さんなの? そこに書かれてあることは本当なの?」
 本当なのかどうか、俺も知りたい。嘘だと信じたい。だが、これまでのアイツの言動と珠莉の様子を照らし合わせたら、限りなく事実に近い。
「……本当だと、思います」
 塞がったように窮屈な喉から、声を絞り出した。そんなに大きい声は出なかったのに、静寂に満ちた部屋では妙に響いた。逃げられない重さを持っていた。
 白羽夫人はゆっくりと息を吐き出した。非常にゆっくりと息を吐き出していた。目には確かな怒りが込められていた。まるで、手を出さないように、罵詈雑言を吐かないように、自分を落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐いていた。
「言いたいことはたくさんあります」
 当然だ。俺と一緒に居なければ、珠莉が苦しむ必要も死ぬ必要もなかった。
 たかが数カ月付き合っていただけの男が原因で、生まれる前からずっと愛情を注いできた娘が死んだなんて、赦せるはずがない。
「でも、私達は、珠莉が最後に家族や友人ではなく、貴方に宛てた言葉を、遺した意志を尊重したいと思いました。だから、貴方だけでも、幸せになってください」
 どうして。どうして、俺が赦されるのか。
 いっそ気が済むまで殴るなりしてくれたらいいのに。
 赦された安心感よりも、虚無感が大きかった。
 身体が痒いような、ヒリヒリするような、どうしようもない痛みが全身を支配していた。
 この痛みを感じなくなるくらい、傷付けてほしかった。
 どうして俺なんかの幸せを願うんだ。
「あと、花、ありがとうございます。珠莉も、喜んでいると思います」
 絶対にこの場で泣いてはいけないのに、涙が出てしまった。
 嬉しさとは全く違う。
 ただ、自分の無力さに、やるせなくなってしまった。

   

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