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多様性アレルギー

市営会館で開催される講座に参加した。この講座、SDGsの項目のひとつである「多様性」を軸に全七回実施され、それぞれの回でテーマが異なる。わたしが申し込んだのは「文化の多様性」の回。
子育て中心の生活を始めてから知ったことだが、世の中にはこういった無料のセミナーが数多く行われている。平日のお昼前後、町の小さな会館で…、となるとやはり、第二の人生を歩む先輩方や、わたしような子育て世代向けのものが多い。子どもと遊ぶだけの日々に刺激がほしくて、興味の湧くものには顔を出すようにしている。絵本や子どもの安全教室など、有益な情報が得られるので有難い。自分の考えにしっくり来たり来なかったりする事もあるが、それはそれで。
今回申し込んだ「文化の多様性」だが、正直に言うとわたしの生活に身近でなく、それほど強く興味も持てない。
ではなぜ参加を決めたのか、それは講師の方に会いたかったから。

今回の講師である空木マイカさんは、ラジオDJ、NPO法人代表、JICA中部のオフィシャルサポーターなどさまざまな肩書きを持ち、マルチに活躍されている。そして二児の母でもあるから驚きだ。学生時代、アフリカに魅せられた経験からその文化や魅力を多方面で発信されている。

思い返せば、わたしが新社会人となり九州から愛知に出てきたのはもう十年も前のこと。縁もゆかりもない土地、仕事は悲惨、友人はいない。孤独だった。そんな心に寄り添ってくれたのは、ラジオ。
仕事の途中、車移動の時間にラジオを流してみた。何の気なしの事だったが、すっかり夢中になった。カーステレオの向こうの喋り手が「わたし」に向かって話してくれているような感覚。ひとりではない、そんな気がした。慣れない土地で下手な運転は不安だが、車内で過ごす時間が心の栄養となった。その時よく聴いていたのが、名古屋のラジオ局・zipfm でナビゲーターを務めていた空木さんの番組だったのだ。明朗な声が心地よかったのを今でも覚えている。
以来私はラジオフリークとなり、今ではラジオ無しの生活は考えられない。あの時、わたしの心に寄り添ってくれたラジオに感謝している。

そんな、勝手にご恩を感じている空木さんのセミナー!こんな近場で!是非お会いしたい。そんな思いで参加を決めたのだ。メールでの申し込みだったので「一歳半の子どもを同行させますが大丈夫でしょうか?」と添えた。
「お子さん同伴で大丈夫です。
席後方にお子様用ににゴザを敷きますので、ご利用ください。」と主催者より返信、有難い。
そんな訳で、当日は次女と参加。小さな会議室に十台ほど長机が並び、受講者が座っていた。全体的に、自分の親より上の世代の方が多い印象。ひとり若い男性もいる。部屋の後方にはゴザが引いてあり、一歳くらいのお子さんを連れた方が既に座っている。同志よ!良かった!
そして前方には、空木さんのお姿。あぁ、本物だぁ…と感動する間もなく、娘の対応に追われる。係の方がおもちゃをいくつか持ってきてくださった。ご配慮に感激。動き回りたい遊びたい盛りの子どもの相手をしながらのセミナー参加など、ほとんど蚊帳の外状態になる。なんなら、わたし達の存在って迷惑かな、これ以上騒いだらどうしよう…とハラハラ。だから、この場にいられる、それだけで有難い。

この講座は先述の通り、SDGs目標のひとつ「多様性」を軸に、環境問題、ジェンダー格差や性的マイノリティ問題など、回ごとにテーマがある。今回の「文化の多様性」は、空木さんご自身の留学・国際交流体験を聞いた上で、そもそも多様性ってなんだろね!と皆で意見交換するものだった。
冒頭にも書いたが、わたしの生活の中で、国際交流や貧困問題などに思考を巡らす事はかなり少ない。小さな町で小さな子どもと過ごす日々、生活圏にはママさんか高齢者ばかり。それはそれは狭い世界で生きている。だから、空木さんのお話を自分の事として落とし込む事は難しい、と早々に感じた。そこで、これはエンタメとして聞くとして、空木さんのお話の仕方に注目することに。さすがプロ、言葉ひとつで部屋の空気を変えていく。話のテンポはマシンガントークの部類なのだが、聞いていても不思議と疲れない。面白い。次々に変わる表情、声色。イキイキ輝いてらっしゃる。うんうん、間抜けな感想しか抱けないが、何度も思う、さすがプロだ…!わたしもあんな風に人前で喋れたら良いのになぁ。
カバンの中身をひっかき回し、隣のお母さんや女の子に絡んでいく娘の相手をしながらだったが、聴いていてとても面白かった。受講者の笑いも絶えない。子どもたちがぐずりだしたので、隣のお母さんが機嫌取りのお菓子を分けてくれた。あぁなぜわたしはこういう対策グッズを用意しなかったんだ!何年も母親やってんのに!有難うございます!

その後は、空木さんの用意したアフリカの民族衣装や楽器、絵本など、その文化に直接触れる自由時間。皆それぞれ席を立ち、賑やかに交流している。我々子連れ組(勝手に抱く仲間意識)は、その場に座ったまま子どもの相手。すると、受講者数人がこちらに来て、「わたし達で良ければお子さんみとくから、お母さん達も色々見ておいでよ」と言ってくださった。有難いなぁ。それでもやはり気がひけるのでお礼だけ伝えると、わざわざ小さな民族楽器やアフリカの絵本をこちらに持ってきてくれた。そして
「偉いわねぇ、そんな小さい子連れて、勉強しようって気持ちがあって!」
ただのミーハー心でここに座っているわたしとしてはかなり恐縮、というか、そこまでの心意気で参加しているの皆様?!心底ビックリした。
仕切り直して、今度はそれぞれの思う「多様性」について意見を出し合う。ひとりひとり発表する形式だが、こういう会に参加するとあって、経験豊富な方が多かった。留学、日本語ボランティア、バックパッカーなどなど。普通のご婦人に見えていた方への見方が変わっていく。
そんな皆さんの意見は「自分の当たり前は他人の当たり前じゃない」「色んな意見を受け入れる」など、表現は違えど何となく言いたいことは同じような気がする。
わたしは「誤解を招くかも知れないけど、ネガティブなイメージ」と言った。意外な意見だったようで、空木さんの顔が少し変わる。
子ども向け番組でもニュースでも、猫も杓子もSDGs。多様性、みんな違ってみんないい、そんな事を毎日毎日聞く。そしてそれを発信するのは、世の中で「マイノリティ」の扱いを受けるひとたちばかり、という印象なのだ。ずっと聞いていると、わたしは胸がざわざわしてしまう。どうしても、立場の弱い人が訴えている、と思ってしまう。
そんな事を伝えた。なるほど、そういう意見もあるんですねぇ!と空木さん。自分の意見を聞いてもらえたようで、なんだか気恥ずかしいやら誇らしいやら。まぁ、人と違う意見を言う事がカッコいいと思ってる奴みたいだけど。(ぶっちゃけ、それはある)

でも、本心なのだ。
言葉が一人歩きしている気がする。世の中に「多様性」が溢れ過ぎていて、ともすると都合よく使われている気さえしてくる。だからわたしは気が滅入ってしまう。そこには必ずといっていいほど、ネガティブなエピソードが伴うのだ。だから、多様性と聞くと、マイノリティ・弱者…そういったイメージと繋がるようになってしまった。もういいよ、多様性は。妙に反応してしまう、「多様性アレルギー」なのだ。そう感じている人、声を上げないだけで実は結構いるんじゃないのか?
より良い世界にしようというスローガンとしてのSDGsだというのは百も承知だ。その意義もわかる。素晴らしいと思う。でも、なんだろうこのモヤモヤは。
その後、後方に座るご婦人の発表の番となった。
「わたしは子どもの頃から、周りから浮いていた。他のひとが出来る事が上手くできなかった。…大人になって、発達障害の診断を受けた………思うに、マジョリティもマイノリティも無い世界であってほしい」
もう少し具体的なエピソードもあったが、大まかにそういう内容のもの。マジョリティもマイノリティもない世界。なるほど。他人の言葉が、自分でも驚くくらいストンと胸に落ちてくる瞬間がある。まさにソレだった。
自分の思いを吐き出した事、それに呼応するような意見をもらえた事。だからスッキリしたのだと思う。
マジョリティもマイノリティもない世界、つまり、みんなそれぞれ。大変だと思う事も、背負う物も、考え方も違う。だから、自分の定規を当たり前にしてはいけない。
思い返せば、ここに座って話を聞くだけで、わたしはどれだけ人の親切に触れただろう。子連れだからと配慮をしてもらう。座っているゴザ、目の前のおもちゃ。子の相手をしてもらう、声をかけてもらう。これって全て、他者からの優しさなのだ。
国とか民族とか性的嗜好とか障害とか…マイノリティだのマジョリティだの、そんな言葉の括りに縛られず、まずは自分の目の前の人に優しくすること。多様性を受け入れるというのは、案外そんなものなのかもしれない。…そんな事が頭を巡った。

決して、白熱した議論を繰り広げたわけではない。人の意見を聞き、自分の思いを伝えた。ただそれだけの事で、わたしには刺激がいっぱいだった。「多様性」に対する自分なりの答えを持てた気がする。素晴らしい時間を過ごせた。ただの自己満足だが、それでいいのだ。

講座終了後、勇気を出して空木さんに声をかけた。ラジオに救われたこと、こうしてお会いできて嬉しいこと…しどろもどろに伝える。胸がドキドキして、全身が熱くなっている。顔も赤かったに違いない。そんなわたしに、空木さんは弾ける笑顔で、そうなんですか!嬉しい!と言い、更にこちらに質問までしてくださった。それはそれはもう眩しくて、わたしもこんな風に人にパワーを与えられる女性になりたいと思った。
お疲れ気味の娘を抱っこし、会議室を後にする。会館の自動ドアから一歩踏み出すと、外の明るさに目をしばたたかせた。空は美しい水色で、日差しがキラキラと眩しかった。

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