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母乳バンク、はじめました。【後編】

世のお母さん方の、母乳に関する悩みは絶えない。

そもそも、目も開かぬ赤子に乳を咥えさせるのは難しい。そして痛い、痛すぎる。母乳の出が、少なくても多すぎても悩ましい。頻回授乳による睡眠不足、生活リズムの支配。乳腺炎。食事への配慮。母乳なの?ミルクなの?と聞いてくる世話焼き。だから何なんだ。(高確率の母乳信仰)…そして乳離れしない我が子。言い出したらキリがない!

わたしは比較的トラブルが少なかった方だと思うが、まさか母親歴4年にして、こんなに大変な思いをするとは。
人生初の搾乳は、かなり難航した。娘たちに邪魔されない早朝、まずは搾乳機の準備。消毒して組み立てるのが既に手間だ。慣れれば大したことないんだろうが、細かい部品が多い。(即、一部紛失)
ようやく搾乳を開始したものの、およよ、あれ、これで合ってる?ジュゴジュゴ音をたてながら必死にハンドルを握る。反対の手で乳を搾乳機に押し込む…。難しい。ていうか、出ない…。

必死に格闘するも、想像をはるかに下回る母乳量。朝とはいえ7月上旬、汗を滲ませながら乳を搾り続ける。こんなに苦労するとは思わなんだ。どうしたわたしの乳よ、そんなもんじゃねぇだろうがいつもの勢いはどうした。

ハンドルを握り続けながら、我が授乳の歴史が蘇ってくる。

第一子の出産翌日、張りに張った胸が、四角く変形していたのには目を疑った。そしてとにかく、飲ませるのに苦労した。母親教室でのイメトレは何だったんだ。
授乳量確認のために授乳前後の赤ちゃんの体重を量る、母測が憂鬱だった。何なら授乳後に体重が減ってる事もあり愕然とした。なんでよ。
絶望的に痛すぎた。
産院からの紹介で自宅訪問してくれた母乳指導のばあちゃん、これがまた百戦錬磨の手練れで恐るべきゴッドハンド、噴水のように噴き出した母乳。
当時放送されていた朝ドラのヒロインの実家が酪農家で、牛の搾乳シーンがあった。乳を機械に繋がれ、ギュンギュン搾り取られる牛たちに心から同情した。

あれから4年後の今この瞬間、あの牛たちと同じような事をしているではないか。扇風機を付けた。汗を拭い、搾乳機を押しつけハンドルを引き続ける。…わたしは、いったい何をやっているんだ。(世のため人のためだろうが)

搾り続ける事およそ20分、もはや意地になっていた。もう、もう無理だ。今日はこの辺にしといてやろう。精神的にげっそりしつつ搾乳量を確認すると、40ml。母乳バンクの流れでは「1Lほど準備できたらまとめて送付を」となっている。…気が遠くなった。雀の涙ほどのそれをフリーザーバックにいれ、冷凍。両手は痛いし、根こそぎ搾り取られた乳はくたびれ果て、情けない姿でぺしゃんこにしなびていた。悲しくなった。

しかしわたしはそれから、毎朝欠かさず乳を搾り続けた。母乳は、体調や時間帯によって出る量も変わってくる。初日こそ心が折れそうだったが、調子の良い日は気持ち良いくらい搾り取れた。冷凍庫の中身も増えていく。世のため人のため、これが役に立つならば。
早朝、寝ぼけまなこで居間に来た夫が、一心不乱に搾乳中のわたしを見てギョッとしていた事もあった。(一応わたしも、ちょっとした恥じらいやバツの悪さを感じた)

3週間ほどで、送付できる量が溜まった。母乳の状態を保つため、搾乳から1ヶ月以内を目安に送る必要がある。
フリーザーバックと指定の書類(健康状態やアルコール、コーヒーなどの摂取状況を記載)を、手頃な段ボールに詰める。着払いの送り状を貼り、クール便の集荷依頼。因みに、搾乳から送付までに使用した私物はこの段ボールのみ。それ以外の備品は全て手配され、不足してきたら追加で送ってもらえる。

我が家にやってきたヤマトのおじさんに、箱を手渡す。【冷凍母乳】と書かれたものを他人に、それもおじさんに…というのが非常に心地悪い。身勝手すぎる感想だ。

そんなこんなで無事に、我が母乳は旅立っていった。達者でな、健闘を祈る。

わたしの健気な早朝搾乳は、現在も継続中である。自分専用だったはずの精神安定・エナジードリンクが、赤の他人のために搾り取られているなんてつゆ知らずの次女は、相も変わらず乳をまさぐり続けている。

因みに、母乳バンクの手引きには大前提としてこんな記載がある。
「ご自身のお子さんに与える母乳を最優先に」
…一歳半の「乳児気取り」を最優先にしてはならない気がするが、とりあえず彼女が乳離れしないうちは、継続してドナー活動をしていきたい。そう、世のため人のためだ。

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