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「おっぱい」とニコチン

「一生赤ちゃん」をスローガンに掲げる次女は、現在一歳九ヶ月。たかが二人姉妹であっても、下の子は永遠に赤ん坊扱いしたくなる勝手な親心ゆえ、そんな扱いを受ける当の本人も赤ちゃん然としている。だからきっと「一生赤ちゃん」なのだ。

そんな彼女を赤子たらしめるのは、今なお「お母さんのおっぱい」を心の拠り所としている事である。まだ飲んでるの?と言われそうだけど、いやいや、一歳前後で卒乳ってのは日本人の感覚であって、WHOではおよそ二歳まで母乳育児を推奨してるんですってよ。根拠は知らんが、天下のWHOのお墨付きとあらば責められることは無かろう。というか卒乳なんて、殆ど親の気合いならびに本人の個性によるところなのだから、世界保健機関の紋所(もんどころ)を片手にズルズル放ったらかしているわたしである。

とにもかくにも、彼女はおっぱい依存はなはだしく、食事中も気が向くままにハイチェアを降り、わたしの膝の上によじのぼりセルフサービスの乳、満足しまた食事に戻る始末。
わたしが居間で寛ごうものなら大慌てでやってきて、これまたセルフサービス乳。ほっときゃドラマ一話分くらいは平気でチュウチュウし続けているので、我が子ながら正直引く。結局わたしは、食事はキッチンカウンターで立ち食いしたり在宅中は一切腰を下ろさなかったりして次女の襲来を避けている。
家事をこなす母に曲芸師さながらの姿でしがみつき(もちろん抱っこしているが)、乳にありつくこともしばしば。無防備な入浴中はシャワーや泡もなんのそので飲み放題。
何ならnoteを書いている今この瞬間も、彼女は一心不乱に乳に吸い付いている。完全なる依存症だ。こんな有り様なので、わたしにとってかなりのストレス。そのおっぱいの本体にも人格があるんだぜ、と切実に伝えたい。

ねんね前のおっぱいの必要性は言うまでもない。ベッドに入るとパブロフの犬よろしく、反射的にヒィヒィよだれを垂らし乳を求めはじめる。
それより前、寝かしつけの支度中に禁断症状が出ると最悪だ。歯磨きや着替えの最中もワーワー泣いて、わたしの服を脱がそうとしてくる。あまりに準備が進まないので、可哀想だが「今はダメ!あと少し我慢して!」とイライラしてしまうこともしょっちゅうだ。それも結局、火に油。

そんな妹の姿を見て、長女はウンザリした様子で言う。
「次女ちゃん、ダメだよ。おっぱいは、ベッドに行ってからだよ、今はやめた方がいいよ…」
なるほど四歳ともなると至極まともな事を言うもんだ、と彼女の正論に心底感心する。そして、どことなく上から目線で得意げなその口ぶりからは、かつて同じ道をたどり卒業した身としての風格さえ感じられる。

翌朝、この事を夫に伝えると、笑いながら彼は言う。

「あれだ、禁煙勧めてくるヤツと同じじゃん」

わかる、わかるよ。…いや、そもそも幼な子の母乳依存と、大のおとなの喫煙を同じラインに置くこと自体、非常に危険な発言なのは承知だ。でも、誤解と批判を恐れず言わせてもらうと、わかる気がするのだ。
赤ん坊にとっては命綱である母乳も、ある程度成長した子ならば「口寂しさ」「安心材」みたいな役割が大半で、更に大きくなれば、本人の意志・約束、というような側面も出てくる。(余談だが、九歳くらいまで授乳をやめられなかった親子の話を聞いたこともある)
だから、努力が必要という意味では、ほんのちょっと、本当にちょっとだけ、禁煙に通ずる部分があると言えなくもないのだ。(多分…)
というか、それなりに理性を持ちうる「大のおとなが」やめられないんだから、ニコチンやタールはよっぽど恐ろしい。

それにしても個人的に笑えるのだが、何なんだろうねあのオヤジ達は。色んな場面で目撃してきた彼ら、自分の禁煙をあたかも偉業をなし得たかのような面構えで「お前もやめた方がいいぞ」などとほざくあの連中である。
ある種の悟りというか微笑みをたたえるような表情、語り口。アンタに言われて禁じられる煙草ならとっくにやめとるわなぜそんなに偉そうなんだ、と問いたい。どの立場で言ってんだ。そして結局、意志と危機感のない人間にそんなド正論かましたところで届かない、無意味なだけだ。言ってる側もそれを知っている。要は言いたいだけ。

先輩風を吹かせ、妹に対しオッパイを控えろと苦言を呈す姉の姿は、よっぽど可愛かった。
しかし言われた側の心には、案の定、まったく響いていないようだった。

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