東京都知事選2024に学ぶアンチの心理
はじめに
この社会は、優しくて誰にでも愛される人が傷つき、無神経で粗雑な人が気持ちよく自分勝手に生きられる世界だ。
繊細で気配り上手な、相手を気遣って行動する尊敬されるべき人たちは、他人の気持ちを考えずに軽薄な行動をとる人々によって横柄に蹂躙され、日々神経をすり減らし、人間関係という苦痛に悩まされ、睡眠時間を削られる。
現実社会もネット社会も例に違わずそんな残酷で理不尽な社会だという前提をはじめに宣言する。
心優しい人たちによる暖かい繋がりはその中であっても確かに存在するので、決して希望は失わずに生きていて頂きたい。
尚、この記事では、アンチ投稿の文章をそのまま引用することはしないのでそういった投稿を目にしたくない方もご安心頂ければと思う。
投稿の経緯
2024年、東京都知事選に関する情報収集や意見交換のためXアカウントを作成し、ボランティア参加をきっかけに石丸伸二氏の応援を続け2か月。多くの方とコミュニケーションさせて頂けて本当に嬉しく思い、今でも日々投稿させて頂いている。
ただ、政治というコンテンツはいわゆるアンチと呼ばれる投稿者がかなり多く存在していることも分かり、時には気分を害することもあった。多くの仲間もそういった心無い声に傷つけられ、SNSから離れる方もいた。
アンチ投稿は一般の方だけでなく、著名人やあろうことか議員からもそうした投稿が見られた。私のXではアンチを意図的に煽ることで、一時期に多くのアンチ投稿をお寄せいただき、彼らの傾向を把握するのに嫌というほど十分な情報を収集することが出来た。
その結果として、アンチ投稿を行う者の心理を私なりに分析したものを記しておく。アンチに遭遇した場合の心の準備になれば幸いであり、今も悩まされている方はぜひ一読して頂き、心安らかにぐっすり睡眠をとっていただければと願う。
「アンチ」の定義
「アンチ」とは、特定の人物、作品、意見、団体などに対して、この記事では主に特定の政治家やその支持者の対して否定的、批判的、または敵対的な立場を取る人と定義する。
インターネットやSNS上では特に顕著で、対象に対する否定的なコメントや批判的な意見を発信する者が実社会より多い。
「アンチ」という呼称は侮蔑的ではないかという主張を聞くことがある。
「アンチ」という言葉は、英語の「anti-」・・・「反対する」や「対抗する」という意味の接頭辞である。日本では、ネット文化の流行する中で特定の人物や事象に対して批判的な立場を取る人々を「アンチ」と呼ぶようになった。
他に適した表現がなく、彼らもまた自身をアンチだと自称しているから、一概に侮蔑的な表現ではないだろうというのが私の見解であり、ここでは敢えて使用する。
アンチ行為は、SNSでは匿名や非対面であるという環境条件において、発生しやすい現象だと捉えている。
そんな彼ら「アンチ」がどのような動機や目的で行動しているのかを知るのは、SNSコミュニケーションに多く時間を割く現代人にとって重要な行為だと考える。
アンチ対策
SNSにおけるアンチ対策機能
アンチとは何かを論ずる前に、まずアンチを対策するにはSNSであればブロックやミュート機能を使うほかないことを強調しておきたい。
もしかするとアンチじゃないかも、良い意見が貰えるかも、などと考えるまでもなく、メリットがデメリットを大きく上回るため、即刻ブロックすることを強く推奨する。
管理権限を持つYouTubeなどの投稿サイトであれば、アンチ投稿は即刻削除してしまってよい。他の善良な視聴者の目に触れる回数を下げることで、間接的に良質なコミュニケーションを創出することが出来る。
尚、アンチ投稿に反応し、コメントなどを返すべきではない。それ自体がアンチを喜ばせ、行動を活発化させてしまうことに繋がり、あなた自身の精神を無暗に傷つけ、時間をゴミ箱に捨てるのと同じことだからだ。
アンチコメントを放置したら他の人に迷惑がかかるかも、などと考えてしまう優しい皆様は、代わりに私がアンチ投稿に対して憐れみと慈しみをもって「慈愛🙏」とよくコメントしているのでご安心頂きたい。
(放置してないやないか)
法的対応手段
悪質な投稿に対しては法的対応も可能だ。誹謗中傷に関しては、プロバイダへの情報公開請求によって個人を特定し、裁判による名誉棄損を訴えることが出来る。
昨今は著名人を中心にポピュラーな手段になりつつあり、私の知り合いもこの対応で実績がある。数十万円の経費で可能であり、場合によっては費用をいくらか回収できる。お金と時間に余裕がある方は弁護士に無料相談から始めて頂ければと思う。
総務省による相談窓口も公開されているので、まずは相談されてみるのも良い手段なので併せて検討して頂ければと思う。
また、現実に危害を与えることを仄めかす犯行につながる可能性がある投稿は、警察へ通報するよう警察庁が促している。110番通報し、SNSに投稿された内容を詳しく連絡するとよい。
いずれの場合でも、念のためスクリーンショットを取得しておくとよい。
アンチの特徴
非論理的な思考
アンチの特徴をいくつか挙げてみよう。まず、非論理的な思考に囚われていることが最大の特徴だ。酷いケースでは会話が成り立たないほどに論理が破綻している場合がある。
民事裁判を持ち出して有罪無罪や刑罰を指摘する、ネットのデマや週刊誌の飛ばし記事を根拠にする、人数が多くて怪しいという感想を根拠に陰謀論めいた工作員がいる事にする、など事例は枚挙に暇がない。
多くの場合、基本的な社会的知識が不足しており教養に乏しいばかりか、そのような無知に自覚がないため、論理が破綻している事に本人も気づけない。
「無知の知」という言葉がある。自分が知らない事があると知らずに、破綻した理論で他人を批判することがアンチの多くに見られる特徴である。
礼を失する態度と言葉
もう一つの特徴は、著しく例を失する言動を取ることが挙げられる。
感情に任せて攻撃的な行動や、差別的・侮蔑的な表現を使用することが特徴で、特定の政党や政治家の支持者を侮蔑的な意味を込めて「信者」などと呼ぶことも例として挙げられる。
まるで、煽り運転と人種差別の合併症かのような、他人を貶める愚かな行為がアンチの特徴であり、当事者だけでなく見ている者の多くも気分を害する。
感情的に対立を煽ることは、本質的な議論を妨げて、分断を助長する。
対話をしたいのであれば、最低限の礼を以て、互いの存在を尊重するところから始めなければならないという、当然の所作すら理解していない者が多いことがアンチの特徴である。
※ちなみにこのポストは「最後にお前も分断しとるやないかい」という突っ込み待ちのままスルーされ続けている・・・
根拠のある批判とアンチの違い
根拠のある批判とアンチ的な行為の違いには注意したい。
特定の政党や政治家の支持者が陥りがちな状況として、対抗する立場の人々のコメントを敵と見做してしまうことだ。
相手が冷静な論拠を述べているにも拘らず、支持者が躍起になって感情的にそれを否定しまう行動をとると、「信者」などと揶揄され兼ねないため注意を払うべきである。
また、アンチはそれ自体を望んでいる場合もあり、相手が感情的になればなるほど行動が活発になるため、脊髄反射しないよう心掛けたい。
どのような政治的主張にも必ず別の側面がある。
一方を優先すれば他方が不利益を被ることは、既得権益の構図を見るとよく分かる。改革とはこれまでの行いを否定することから始まる。否定されて嬉しいと思わない人々は多くいるのは当然のこと、それらの側面があることを理解しなければならない。
批判に対しては、それが具体的な根拠や事実に基づいたものであるのか見極め、冷静な対応を心掛けることが望ましい。議論に発展したならば、相手を尊重し理解するよう努め、理性的で論理的であるかどうかを注意して対応しなければならない。
アンチの動機
アンチの最大の動機は嫉妬
選挙期間中、Xに以下のような投稿をしたことがある。多くのアンチは、嫉妬ややっかみによるものであるという主張だ。
嫉妬の定義は「他者が持つ成功、幸運、魅力、愛情、特権に対して、自分がそれを持っていないことからくる不安、不満、怒り、悲しみといった感情から生じる心理的反応」を指す。
嫉妬は何も異常なことではなく、人間として自然な心理でありそれ自体を否定することはできない。
議員らに対しては上記の通りだが、一般人や著名人でも同様だ。
一躍、人目を集めている成功者を、自分にはない何かを持つ者だと感じ、羨ましく思う一方で、それを認めたら負けだというプライドや自尊心から嫉妬が生じる。
本当は自分も頑張れば、パフォーマンスで上回ることが出来るが、ただ努力していないだけで悔しいと内心感じる者も多い。
そんな自尊心を守る最も楽な方法として、「相手を貶めるアンチ行為」という愚かな手段を取る。それ自体がさらに、努力をしなかった自分自身の価値を貶めているとも知らずに。
本来、社会的に取り上げられて多くの人に注目されている人物は、たまたまそうなったわけではない。言動も人柄も経歴も、継続的な努力が積みあがった結果であり、一朝一夕でヒーローとして担がれたわけではないことを理解したい。
アンチの心理が生まれるまで
嫌いだからアンチ行動をとる、という解釈は正確ではない。シンプルに生理的に嫌いな人に対してはまず距離を取るため、SNSでの攻撃的手段をわざわざ取らない。
嫉妬心の元は、「悲しい」「寂しい」という一次感情と、「苛立ち」「怒り」という一次感情である。この感情同士が複合的に混ぜ合わさった混合感情として「嫉妬」が生まれる。
心理学者ロバート・プルチックが提唱した「感情の輪」のモデルをみてみよう。
これは人間の一次感情の強弱と二次感情を表している3次元モデルであり、色の濃淡で感情の強弱を、隣接する感情は相互に発生しやすい関係性を表す。
例えば「驚き」と「心配」が隣接しているのは、危険を察知したとするなら分かりやすい感情の関係性だ。(驚き、周囲を警戒する)
隣接だけではなく、ひとつ飛び、ふたつ飛びで発生、または混じり合う感情も存在するため、感情のすべてを表す図ではない。
そして「嫌い」と「嫉妬」には関連性があることもわかる。
このモデルで見たときに、「悲しい」と「怒り」の間には「嫌悪感」が位置されており、近しい感情である。
つまりきっかけとしての「嫉妬」という混合感情に加えて、その根源たる一次感情に隣接する「嫌い」という感情が生まれやすい位置関係にあることが分かる。
嫉妬するから、嫌いになる。
これがアンチの心理的動機である。
尚、過去の心理的外傷などによる嫌悪を抱く場合などもあるが、そもそもアンチ行動に出る前に「関わる」という行為から距離を取るため少ないケースだ。
そういった心理的なダメージを更に負いかねない事象に対して、わざわざ自分の傷をえぐりに行くような行動に時間を割かないからアンチ行為に走るかと言えば少ない例外と考える。
支持者への嫉妬
東京都知事選において、アンチの抱く嫉妬の対象は政治家だけではなく、その支持者も該当する。
根源には「寂しい(感傷的)」と感じているためだが、都知事選においては、共通の目的の下で団結した仲間意識の高い支持者達の姿が、あまりに自分と異なる集団と見えたからではないだろうか。
なぜそこまで情熱的に候補を応援できるのか、熱狂できるのか。理解できないその理由は、2つある。
①彼らが同じように応援できる政治家、政党が存在しないから。
②彼らが応援している政治家、政党に同じ規模に達する応援行動が発生しないから。
①に関しては、自身が認知できない未知の動機に対して拒否反応が起きていると見ることができる。②に関しては、不満であり羨むからこその行動だろう。
何れにしてもそれが放置できないほど、感情が揺さぶられてしまった結果が、アンチ行動として現れる。
何か一言二言、嫌味でも言わなければ、自身の感情が制御できない。①ならば、「分からない」「変だ」「のけものにされた」、②ならば、「自分たちの方がすごい」といった理論的でない感情論が先に立ち、不毛なアンチ的行為に繋がっている。
自己正当化
自分が正しいと思いたいという自己正当化の狙いも、アンチの動機に挙げられる。自己正当化とは、自分の行動や意見を正しいと感じたい、または他者からの批判や非難を避けたいという心理的な行いである。
人は、他者との比較によって自分が劣っていると感じると、その不快感を軽減したいという心理が生まれる。自分が相手よりも優れている、自分が正しいという感覚を得ようとする精神の防衛反応である。
SNSというスペースは、自身の行動が不特定多数の人目に触れる。私はこんなふうに彼らを否定できていますよ、というスタンスを強気で見せることで正当性をアピールし、自尊心を防衛する行動を取る。
幸福度が低い人や、能力の低い人に多い傾向として、他者の成功や人気を目の当たりにすると、自分の価値が脅かされていると感じることがある。
先に記したように、その人の成功を否定し、貶めることで、楽をして自分の自尊心を守ろうとし、このような小賢しいとも言えるアンチ行為を発作的に行ってしまう。
ひとつ事例を挙げよう。2024年のパリ・パラリンピック出場選手の間で、匿名で誹謗中傷を行い、情報開示請求でライバル選手であることが分かり、出場辞退に陥ったケースがある。
衝撃的な事件であるが、この事例でも、同じ競技選手という近い地位にいて、否定せずにはいられないという自己正当化を動機とした邪な欲求があったと考えられる。
メンタルの強固なプロのスポーツ選手でも起き得ることだ。心理的にストレスを抱えた一般の社会人は、この誘惑とも言える自公正当化の反応を御することが困難なのかもしれない。
また、一定の地位にある場合には、自分の意見や価値観が社会で認められないと感じると、社会的認知の確保をしたいために自分の立場を正当化し、支持を得ようとアンチ投稿を行うことがある。
他者を批判することで、自分の意見が正しいと信じ込みたい、または他者からの賛同を得たいという心理が働くためにアンチ行動に出る。これは先の議員や著名人の例にも該当する動機だ。
集団心理
アンチ投稿の原因には、集団心理が関与していることがある。SNSのようなオンラインコミュニティでは、目にした他人の意見や感情が影響を与えられることが多く、それがアンチ投稿の発端となり得る。
特定の政治家を攻撃的に攻めるような投稿を目にすれば、「自分もやってもいいんだ」と勘違いしてしまう。
そうしてその様な投稿ばかりに触れ、「いいね」「フォロー」などのリアクションを取り続けていると、SNSのアルゴリズムによる情報の隔離・集中化が起き、似たような投稿を目にする機会が増えていく。
この現象は「エコーチェンバー現象」や「フィルターバブル」と言われ、あたかも「ほとんどの人が同じ意見だ」と錯覚を起こしていく。
これによって、「異なる意見は少数派であり無視できる」として、アンチ行動を取るのがトレンドだとばかりに錯綜し、アンチが生まれていくのである。
アンチの目的
アンチの動機についてここまで語ってきたが、その目的についても整理してみよう。
自己承認欲求を満たす
アンチ投稿の主な目的の一つとして挙げられるのが、自己承認欲求を満たすこと。自己承認欲求とは、自分の存在や価値が他者に認められたいという欲求であり、日常生活の中で満たされないがためにSNS等でアンチ行為を行う。
アンチ行為を通じて、他者に自分の意見を強く主張し、それが注目されることで、自己承認欲求を満たされると感じる。
自分の考えが多くの人に共有されたと思うことでその満足感はさらに強まるため、活動を抑止するには冒頭で述べた様に相手にしないことが最も有効な対策である。
近視眼的な自己優位性
明石家さんまさんは、人に腹を立てないのはなぜかという問いにこう答えた。
アンチ行為には、他者よりも自分が優れていると感じたいという、近視眼的な自己優位性の追求が含まれている。
これは、他者の成功や魅力を否定することで、自分の存在や立場が上位にあると錯覚する心理である。人としての優位性を目的に置く時点で愚かな行いだ。
人としての価値は、その場限りの言葉のやり取りなどで決まるものではない。本質的な行動を現実に行っており、人生の時間を賭して何を成したかで、他人や、先々を生きる人々が決めるものだ。
明石家さんまさんの言葉は、怒りや批判が「優越感を得たい」という心理に基づいていることを示唆している。
これは怒りに任せた感情的なアンチ行為にも共通しており、自分が他者よりも上であるという感覚を一時的に得ようとしていることの表れといえる。
価値観の正当化
人は、「自分の価値観が正しいと感じたい」という強い欲求を持っている。
自分の価値観と異なると拒否感を感じてしまう。酷い場合には、自分の価値観を他者に押し付け、それこそが正しいと主張するアンチ行為を行うことで、無理に正当化したいという目的意識が生まれてしまう。
これは、他者が自分とは異なる価値観を持っていることに対する不安や恐怖からくるものである。知らないものは怖い、これは生物の根源的な本能である。
アンチ投稿は、そのような不安を和らげ、自分の価値観が正しいと再確認するための手段として利用されることがある。
この目的意識は、自分の意見を他者に認めさせたいという支配欲が抑えられないがためである。
厄介なことに、こうしたアンチ行為はしつこく意見を押し付けてくるため、当たり前のコミュニケーションが成り立たない上、高圧的でもあるから受け手は精神的に消耗する。
これに関連して、アドラー心理学においてよく取り沙汰されるこのようなことわざがある。
この比喩は、転じて「自分は変えられても、他人を変えることはできない」ことを指す。
自分が他人の価値観を変えることが出来るなどという考え方は傲慢に過ぎない。水場に連れていくことはできても、そこで水を飲むかどうか意思決定は彼ら次第と言うことだ。
身近な人の価値観を変えることでも困難を極めるのだから、SNS上の顔も知らない他人を操作することなど、なおさら出来はしないと考えるのが賢明だ。
アンチ行為はこれを強制しようとする。真っ当とは言えない力技による拷問行為とも言えるだろう。
ストレス発散
日常生活の中で蓄積されたストレスを解消するために、アンチ投稿が行われることもある。
匿名性の高いXなどでは、直接的な対面の場面よりも他者を批判するハードルが低い。
現実世界でのフラストレーションを他人にぶつけることで、一時的にストレスを発散し、気分を軽くするという目的で気軽にアンチ投稿を行ってしまう人々が一定数いることも認めざるを得ない。
ただのストレス発散に真面目に付き合う義理はない。深く気に留めず、せめてもの情けとしてブロックしてしまおう。
アンチがもたらす影響
アンチ行為による「悪名」効果
ほとんどの場合、アンチ行為はマイナスの効果が目立つが、社会現象としてはポジティブともとれる効果もある。
それが認知度の向上だ。インターネット上での炎上騒動などを見ると、これまで知らなかった人物が多くの人に誹謗中傷を受けていることがある。これによってその人物の認知度が広まり、多くの人がその業界や団体に関心を寄せることにもなる。
スポーツであればその競技自体の認知度を上げたり、政治家であれば政治そのものに興味関心を集めることに繋がる。
炎上商法ともいわれる、広告効果を狙ってこうした行為を意図的に作り出す手法も近年では多くとられることも知られている。迷惑系YouTuberなどがその代表例であるが、決して褒められた行為ではない。
一方で、不幸にもアンチ行為に晒されると言う事自体が、こうした広告効果が得られているとポジティブに受け止めることもできる。「アンチが湧いてこそ一流」と言われることがあるように、広く社会に影響を与える活動には、それを批判する者が一定数は必ず存在する。
ましてや政治を変えるという革命的な行いには、保守的な思想の国民たちや、変化を嫌う日本人然とした国民性の強い人々は強く反発することは必至である。
今回の東京都知事選候補においても、全く新たな政治家としての理想を貫く石丸伸二氏はそうした層の人々から強くアンチ行為を受けているように伺えた。彼はそれを不快と感じるつつも、政治活動の必要経費であるかのように受け流し、屈しないメンタリティを持つ。
テレビの選挙特番でオールドメディアを強い言葉で批判した際にも、テレビの報道に日常的に接している人々から、態度等について強い嫌悪感を抱いたという投稿を多く耳にした。
こうしたことでメディアやSNSで話題となり、日常会話の中でも議論に発展する場合がある。
「悪名は無名に勝る」と言われるが、良い意味でも悪い意味でも知名度が広がっていくことに繋がるし、名前を知ることで活動内容を知り、その中に共感できる部分などを新たに発見され、支持が拡大することもあり得るだろう。
しかし、全ての人がその様にアンチを割り切って受け流せるものではない。
アンチ行為がもたらす死
2020年、誹謗中傷などが原因で女子プロレスラーの木村花さんが亡くなった。
SNS上の誹謗中傷は1日100件ペースで続いていたという。
私はアンチ行為、そして誹謗中傷が行きつく先は人命に関わる悪質な行為であると考えるから、許すことはできない。
例え、アンチは気にしないと言っている人がいたとしても、そういった人物を対象として意図的にアンチ行為を行うことは容認できない。
投稿を削除したとしても、アンチ的な発言をしてしまった事実は消えることがない。
もし、あの投稿は傷つけるような言葉だったかなと思い当たる節があるならば、ぜひもう一度、木村花さんのことを思い出して頂きたい。
言葉と命 美郷町立大和中学校 3年 玉岡知恵子
https://houmukyoku.moj.go.jp/matsue/content/001352304.pdf
終わりに
2024年の東京都知事選は多くの学びがあった。
今まで接してこなかった政治の世界を垣間見た。多くのかっこいい大人たちと出会った。日本の未来に一筋の光が見えた。
しかしその一方で、酷く醜い世界である事も知る事になった。
私たちの世界は、二律背反で構成されている。
光と闇は人の心に両方存在している。
人間の心は目に見えず、弱く、不安定だ。だからこそこうした心理を言語化し、愚かな行いを理解し、心の在り方をそれぞれの正義に照らし合わせて頂きたい。
あなたの何気ない投稿が、いつかあなたの大切な人を傷つけてしまわないよう祈っています。