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【映画】シビル・ウォー アメリカ最後の日

没入

2024/10/4 日本公開初日にIMAXで鑑賞した。

戦争ものの映画は残酷な描写が多く苦手だ。本作も目を背けたくなるシーンがあるが、最後まで見なければという使命感が次第に湧いた映画だった。

見終わった直後の感想は、「終わった気がしない」だった。

そして映画館の外の空気を吸った時、周りの景色に違和感を感じてしまった。何も気にせず外を歩けることに。狙撃手が狙っているわけでもなく、この先の道に敵兵が待ち伏せている可能性がないことに。

それほど現実感があり、ここが日本であることも忘れて没入していた。

分断と戦争

帰り道、Xに投稿した感想は、「政治を放置してはダメだ」だった。

アメリカの「分断」による内戦がテーマだが、他人事とは思えなかった。都知事選以降、政治に毎日触れ続けているが、日本の政治観こそ「分断」の構図になっているからだ。

これは「与党」と「野党」という対立だけでもないし、「保守」と「リベラル」という思想の違いでもない。

劇中に残酷な人種差別者が登場する。「どこのアメリカ人だ?」というセリフで予告映像でも登場する彼だ。彼のような人間が非常に恐ろしいと感じたのだが、近しい風習が存在することを身をもって知っている。

冷静に考えられずにレッテルを張り、侮辱的な批判を投稿する様子を都知事選以降、何度も何度も目にしてきたのだ。

政策に中身がない詐欺師だ、信者が湧いている、犯罪者を擁護するのか、など、明確に分断を助長する表現を多く浴びてきたこの3か月だった。

まさに今もなお、私の身の回りで起きている「分断」だ。自分のコミュニケーションを取る範囲に似た問題を孕んでいるという恐怖をこの映画を通して感じてしまった。

彼らに対し、何も出来ることがないという無力さも知った。特定の政党や政治家の支持者に対して心無い声を投稿する人は多く存在している。

分断は日本中、いや世界中で日常的に起きている。今もイスラエルとイランが軍事的衝突が発生して間もない。ミサイルが空で明滅する映像を見た方も多いのではないだろうか。

以前、『宣戦布告』(麻生幾 著)という小説を読んだ。日本を舞台にした北朝鮮による侵略を描いた政治的・軍事的サスペンス小説だ。

北朝鮮の特殊部隊が敦賀湾から上陸し、原発を制圧を目論む。陸上自衛隊が山中で遭遇するも、武力で圧倒される残酷な描写に深い無力感を感じた。

もし、台湾戦争が勃発したら、日本は他人事ではいられないのではないかと言われている。

今もなお長期化しているウクライナ戦争の軍事作戦や国際的な各国の立ち振る舞いを、中国は研究しているという見解が、『ウクライナ戦争は世界をどう変えたか』(豊島晋作 著)で解説されていた。

中国は台湾侵攻のため虎視眈々と軍備を整え、電磁カタパルト付き空母艦や揚陸艦の建造を進めているという。日本海域に中国海軍空母など3隻が侵入したというニュースは記憶に新しい。

また、ロシア軍機が日本の領空侵犯を行い、自衛隊機によるフレア警告を初使用したというニュースは1週間前である。

自民党総裁選が新たに選出され、新内閣が発足した。発足時の支持率は近年で最低。多くの国民が批判を行い、「政治」と「国民」の分断が起きている状態だ。果たして彼らに日本を守ることが出来るのか。この国に住む人たちを守ることが出来るのだろうか。

無関心という恐怖

「政治を放置してはダメだ」

そう思った理由は、無関心がこの映画の事態を呼んだ背景にあるのではないかと考えたからだ。

詳しい内戦勃発の経緯などは劇中で語られないが、大統領がFBIを解体したというセリフが登場する。司法に位置するFBIだが、三権分立のバランスが崩れ、独裁的な政治体制が誕生したことも一因としてあるように推察した。


内戦が起きるほどの状態となるまで、政治的な判断が誤ったのはなぜだろうか。

劇中に、内戦には「関与しないようにしている」というセリフが登場する。ショップの女性店員のセリフでこれも予告に登場する。

いわば政治に無関心な国民の象徴であるようにも見えた。主人公たちはジャーナリストだが、報道によって国家への警告を目的にするという活動意義を劇中で語っていたのと対照的な人物だった。


ところで、日本の司法は、三権分立は正しく機能しているだろうか。

政治家が延々と「政治とカネ」について選挙のたびに騒ぎ立てているが、どこか独裁的にこの問題を都合よく扱っているのではないだろうか。

地方自治体のスキャンダルなども、多くの既得権益にメスをいれたことをきっかけに発生しているが、一部の権力者によって都合のよい力学が働いていないだろうか。

2024年8月時点の政党支持率調査では、どの政党も支持しない無党派層は65.5%だった。興味関心がないことに加え、既存の政党を支持しない国民が6割以上いることになる。

このままの状態を放置すれば、私たちの力が及ばないところで取り返しのつかない政治的判断が行われてしまうかもしれない。この作品の中のような残虐な悲劇が、この国で起きない保証はあるのだろうか。

この映画の本当の恐怖はそこにあるのではないか。

今、最も恐れるべきことは私たちが政治から目を離してしまうことではないだろうか。

報道と命

主人公たちジャーナリストは戦場を最前線まで赴くことになる。

弾丸が飛び交い、兵士が倒れていく中で、葛藤しながら戦地を写真に収めていく。

彼らが死と隣り合わせで「生きていく」様子には息を呑んだ。入場するときに買ったドリンクは2割も減っていなかった。彼らの報道のための行いには、命の躍動を感じた。

同時に日本のマスメディアの低俗さにも失望が強くなった。

実際に戦地の映像を我々も目にすることがある。当然現地に誰かがいて、それを撮影しているのだ。

一方で日本のメディアはどうだ。こたつ記事と言われ、事実と異なる先に挙げたような感情的な批判を記事にし、飛ばし記事と呼ばれるスキャンダラスな文章を金のため安直に公開し、テレビのニュース番組は自分たちがこれまで視聴率を取れてきたのであろう偏向報道スタイルを変えようともしない。

国民は何が真実か分からない。報道によって混乱させられ、勘違いや先入観による事実誤認をさせられる。そして重ねて同様の報道を繰り返されるため、あたかも自分の勘違いや誤認が、真実であると思い込んでしまう。

結果は先の通り、誹謗中傷やアンチ的行為による人々の分断に繋がる。

日本のマスメディアの低俗さにはめまいがするほどだが、それこそまた恐怖であると感じずにいられない。

エンドロール

映画館でエンドロールが短いと思ったのは初めてだった。

多くの観客が席を立って、劇場の清掃員がスクリーン前で待機していることに気づいてようやく席を後にした。

正直、二回見る勇気はない。

けれど、この映画を見なかった自分には、もう戻りたくないと心底思う。


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