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230903_日本の近代史ざっくりまとめ1

なぜ日本は真珠湾攻撃をしたのか?
ここを紐解くための、鎖国の歴史を改めて振り返ってみた。

🇪🇸1492アメリカ大陸発見(歴史上の)
西廻りでのアジア到達を目指したコロンブスが西インド諸島へ到着。
→イタリア、イギリス、フランスがアメリカ大陸へ侵略、植民地化。

🇬🇧1600-1874イギリス東インド会社
国際貿易発展当初、リスクの高い航海を担保するための資金提供組織としてイギリスに発足。
(後にオランダ、フランス等でも続き、株式の仕組みを考案。)
→当初はアジアを主とした香辛料貿易会社だったが、法律施行、軍隊保有によりインドの植民地統治機関へと変貌。
→インド人の大反乱ののち解散。

🇯🇵1603江戸幕府創立
大型船の技術進歩により世界各国で貿易が盛んになった16世紀以降。
戦乱の末に天下統一を果たした江戸幕府は、貿易だけでなくキリスト教が入ってきたことに恐れをなして異教徒を弾圧。

🇯🇵1637-1638天草島原の乱
迫害されたキリシタンと過酷な取立てに窮した百姓が大規模な反乱を起こし、幕府は鎮圧したものの苦戦。
→キリスト教禁止の強化と貿易の徹底管理により事実的な鎖国状態。

🇯🇵1639-1854鎖国
日本独自の文化や経済体制を構築したが、技術進歩の遅れにもつながり、ガラパゴス化。

🇺🇸1775-1783アメリカ独立戦争(革命)
イギリスを中心としたヨーロッパ諸国から移り住んだ13植民地が、イギリス人ではなく植民地人として課税強化され支配されることに反発。
→1776アメリカ合衆国独立宣言
→1777サラトガの戦いによりアメリカへの信頼を高めたフランスがアメリカに加勢し、スペイン、オランダも傾倒。
→1787合衆国憲法を制定し、自由と民主主義を標榜した共和制国家を成立。

🇫🇷1789-1795フランス革命
絶対君主制による宮廷貴族の贅沢や戦争政策の失敗が相次ぎ、アメリカ独立戦争への援助で国家財政は大幅に悪化。
→アメリカ独立戦争に影響を受けた民衆は君主制撤廃を求めて反乱。
→国王軍に勝利した民衆は財政改革を行い、資本主義を発展。

🇬🇧1840-1842アヘン戦争
インドで製造したアヘンを清へ輸出して大儲けしていたイギリス(東インド会社)は、禁輸しようとした清に反発して制圧。
→香港はイギリスの植民地化。
→イギリスの戦力に驚愕した江戸幕府は異国船打払令を撤廃。

🇯🇵1853ペリー来航
太平洋における中国貿易や捕鯨のため日本港の支援を要求。

🇯🇵1854日米和親条約
武力行使を盾に国交を迫られ部分的に開国。

🇯🇵1858日米修好通商条約
「英仏から侵略される前に米国を味方につけるべき」との思想に押し切られ開国。
→天皇の意見無視して江戸幕府の大老 井伊直弼らが勝手に結んだ不平等条約に民衆大反発。
※井伊直弼自身は勅許を優先したかったが、アメリカの脅しにまんまと騙されやむなく許可。

🇯🇵1858安静の大獄
民衆弾圧。
→吉田松陰ら死亡。
※吉田松陰…松下村塾をつくった長州藩の思想家。
 維新志士たちの師範、伊藤博文(初代総理大臣)、山縣有朋(3代目総理大臣)なども塾生。

🇯🇵1860桜田門外の変
天皇すら無視して開国し、安政の大獄を命じた井伊直弼を暗殺。
→幕府の権威失墜。
→尊皇攘夷運動が激化。
→福井、水戸、薩摩、肥前、尾張、因州、宇和島、土佐、長州ら勢力の強い雄藩を中心に幕藩体制の変革を朝廷へ直訴。

🇯🇵1862生麦事件
江戸から帰る途中の薩摩軍勢と遭遇したイギリス人観光客が、勧告を無視して行列を逆行し藩主に接近。
複数の藩士が抜刀して撃退し、1人死亡。
→イギリスは幕府に謝罪と賠償金を請求したが、事件をきっかけに朝廷が攘夷に傾倒したことで幕府も薩摩に強い姿勢を取れず、イギリスは薩摩藩と直接交渉のため鹿児島湾に軍艦入港。
→1863薩英戦争にて両者被害を受けて講和に至ったが、イギリスの軍事力を目の当たりにした薩摩藩は開国派へ転換。

🇯🇵1863下関戦争
長州藩は徳川家定の攘夷実行宣言を理由に、無通告で関門海峡を通過する外国船を砲撃して海峡封鎖。
アメリカ・フランス軍艦が報復するが怯まない長州に、イギリス・オランダを加えた連合艦隊が徹底砲撃して無力化。
→列強に対抗するため知識や技術を導入し軍備軍制を近代化。
→1866薩長同盟を締結し倒幕体制強化。

🇯🇵1867大政奉還
国論が分裂しても幕府は公武一体を推進したが、幕臣の武力倒幕路線に先手を打つ形で政権を天皇に返上。

🇯🇵1868王政復古の大号令
大政奉還後も天皇下で政権掌握を続けた幕府に対し、尾張・越前・土佐・安芸・薩摩が天皇を介して江戸幕府廃止を宣言し、新政府成立。
→具体方策として五箇条の御誓文公布。

🇯🇵1868-1869戊辰戦争
旧幕府勢力の完全排除を目的に、薩長中心に天皇をトップとした新政府軍が、鳥羽・伏見の戦いから江戸城無血開城を経て北上し、旧幕府側についた各交戦団体に次々勝利。
→朝敵となった江戸幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜は死刑を命じられるが、江戸城開城などを条件に減刑され、江戸幕府終結。
→江戸を東京と改名して天皇を京都から移し、中央集権国家を確立。
→版籍奉還、廃藩置県、三権分立制を採用して、封建社会から脱却。

🇩🇪1871プロイセン王国がドイツを統一。
→オスマン帝国の衰退によるロシアの進出へ対抗するため、
 1879-1882ドイツ、オーストラリアハンガリー、イタリアの三国同盟締結。

🇯🇵1874民撰議院設立建白書提出
革命後の新政府内部では国の方針をめぐって対立が起き、板垣退助らは政府に対して民選議会開設を要望。
→自由民権運動がはじまり、憲法制定、不平等条約の撤廃、言論や集会の自由などを要求。

🇯🇵1877西南戦争
新政府が四民平等、士族解体を進めたことを理由に、九州を中心に西郷隆盛を盟主として起こった士族による反乱。
国内最後の内戦と呼ばれ、西郷隆盛の自決と共に終戦。

🇯🇵1889大日本帝国憲法発布
アジア初の本格的な立憲君主制・ 議会制国家が完成。

🇯🇵………1831-1889明治維新
ここまでの経緯をまとめ。
鎖国時代の一揆に始まり、近現代の日本政府の礎が築かれるまでの総称を言う。

🇷🇺1892露仏同盟
ドイツの三国同盟に抵抗したロシアがフランスとの同盟締結。
→1904英仏協商
→1907英露協商
🇬🇧→三国協商

🇯🇵1894-1895日清戦争
日本と同じく欧米列強と不平等条約を結んでいた李氏朝鮮は、日本に倣って改革を進めようとしたが、財政難により軍乱が発生。
日清米が派兵し軍乱を納めたのち、朝鮮は日本ではなく清に依存して開化を進めることを決定したが、朝鮮改革派の中でも日本派と清派で分裂。
度々のクーデターに耐えかねた農民たちが政府に蜂起し、甲午農民戦争が勃発。
朝鮮政府が反乱鎮圧のため清に軍隊派遣を求めたため、日本は天津条約に基づき清に対抗して派兵。
大陸への経済進出を画策していた日本は、朝鮮の内乱が終結した後も改革を盾に開戦宣言。
北上進撃を進め清を撃破し朝鮮半島を制圧。
更に国境を超えて遼東半島(満州南部>大連>旅順)を占領し、山東半島を攻略して黄海と渤海の制海権を掌握。
清は戦意を失い講和交渉開始。
→1895日清講和条約により、李氏朝鮮は独立。
遼東半島・台湾を日本へ割譲させ、軍拡のための多額の賠償金も獲得。
→露仏独三国干渉により遼東半島は放棄したが、アジアの近代国家として国際的地位は向上。
→以降イギリス、ロシア、日本を中心として清国を巡る利権争いが激化。

🇯🇵1902日英同盟
南下政策を目論むロシアの侵略を防ぐため、イギリスとの同盟締結。

🇯🇵1904-1905日露戦争
朝鮮半島と満州の権益を巡り、妥協案を提示し交渉を試みたが決裂。
各国から外貨を調達し多額の負債を抱えながらも開戦。
→日本海海戦による大勝とロシア国内の革命により、互いに多くの負傷者を出していたことから戦争の継続を断念。
→1905ポーツマス条約
犠牲の大きさに比べて、多額の賠償金は得られず、獲得した領土(満州南部)や権益も期待したほどではなかったため、日本国民の政府への不満は募る。

🇨🇳1911-1912辛亥革命
アヘン戦争、日清戦争と負け戦が続き内乱(1889-1900義和団の乱)が勃発。
日本、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストラリアハンガリー、イタリアの八カ国連合軍が進駐し北京を占領。
→国民の間で政府への失望が広がり、ついには武装蜂起。
清国最後の皇帝が退位し、古代より続いた君主制廃止。
→共和制国家として、中華民国が誕生。

🇺🇸1912タイタニック号沈没
🇯🇵1912ストックホルムオリンピックにアジアから初出場

🇯🇵1912-1926大正デモクラシー
護憲運動を経て大衆の政治参加が進み、政党政治が確立した時期(諸説あり)。
大きな暴動などはなかったが、政治家は大衆の人気取りのため思い切った対外政策を乱行。

🌏1914-1918第一次世界大戦
1917オーストリアの大公がサラエヴォ(ボスニアヘルツェゴビナ)で暗殺され、オーストリアハンガリーはセルビアへ宣戦布告。
ロシアがセルビアを支持したことで、あらゆる軍事同盟へ派生。
→ロシア、イギリス、フランス、セルビア、アメリカを中心とする連合国(三国協商)対、
 ドイツ、オーストラリアハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア帝国の中央同盟(三国同盟)の世界大戦へと発展。
産業革命による技術革新により、死亡率が大幅上昇。
(一部ではスペイン風の影響もあったと言われる。)
戦争が長期化したことによる各国の疲弊によりドイツが降伏し終結。

🇯🇵1914-1918日独戦争
日英同盟に基づき連合国側として第一次世界大戦に参戦。
ドイツが権益を持つ中国山東省の青島を攻略。
南洋諸島のドイツ要塞も次々攻略し、世界大戦終結と共に日本が勝利。
敗戦国の捕虜を1920年まで収容したが、比較的人道的扱いで技術修練などもあったため、その後の日本・ドイツ文化へ影響を与えた。
(ユーハイム、ローマイヤなど)

🇷🇺1917-1918ロシア革命
政府の戦争管理の杜撰さに不満を覚えた民衆が決起。
2月革命により当時の皇帝は退位。
臨時政府が設立されたが混乱はさらに増し、7月事件、10月革命と続き、レーニン指導のもとソ連が樹立。
→1917-1922シベリア出兵により、アメリカ、イギリス、フランス、日本は革命に干渉。

🌏1920国連発足
第一次世界大戦を受けて国際平和の確保を目指す。
戦勝国として日本は常任理事国に選出。


🌏1929-1939世界恐慌
第一次世界大戦で戦場とならなかったアメリカは、ヨーロッパなどへの輸出を増やし、世界経済の中心化。
戦後ヨーロッパ経済の復調により、生産過剰となったアメリカの株価が大暴落。
各国へ影響を及ぼし日本でも深刻なデフレ不況をもたらした。

🇯🇵1931満州事変
日清戦争、日露戦争、日独戦争により、中国における日本領土は拡大。
中国政府はこれに反発し、影響を受けた満州の親日派軍は日本と距離を置こうとする。
関東軍は親日派軍リーダーを爆殺し、結果満州での地位を弱めていった。
その後自作自演による鉄道爆発により中国軍攻撃の陰謀を図った日本に対し、国連は日本軍の引上げを指示したが、これを日本は無視。
傀儡政権による正当性を主張して満州国を樹立させ、自ら国連を脱退。

🇩🇪1933ナチスドイツ発足
第一次世界大戦の敗北、世界恐慌により荒廃した街の中で、政府への信頼を無くしたドイツ国民は、反体制的なナチ党への支持を高めていく。
政権運営に行き詰まった大統領はヒトラーを首相に据えて飼い慣らそうとしたが、ヒトラーは任命直後に憲法を事実上停止。
半数以上はヒトラーに反発していたが、政治的敵対勢力を暴力的に抹殺し、独裁体制を強化。
大統領死後、大統領と首相を統合し、総統となり、多額の軍事投資により1935年には完全雇用を達成。
更にはゲルマン人こそ真のアーリア人としてユダヤ人を迫害、追放し、国民の結束力を高めていった。
(ホロコーストをきっかけの一つにイスラエルが建国し、現代のパレスチナ問題へつながっていくけど、この話はまた別に…)

つづく。。。

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