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そろそろ幸せになっていいかもしれない

ここ数カ月、心境の変化がめまぐるしく、自分でも驚くばかり。友人に新たな命が誕生したからか、ご先祖さまが導いてくれているからか、分からないけれど。

私には尊敬する父と母がいる。

歳の差がある両親だけど、数十年経っても会話は尽きないようで、今でもいつも一緒。これまでの荒波からは想像できない。離婚の危機を何度も乗り越えた仲だから、絆が強いのか。

数カ月前まで両親に対して、どこか見下していたり、嫌悪感を抱いていたり、なんともやるせ無い気持ちが付きまとっていた。

女性問題が喧嘩の発端となり、いつも母を悩ませる父。悩んで愚痴りまくる割に、すんなり許す母。そんな二人にはさまれ、幼い心は感情を揺さぶられ、いつしか感情を出すことが苦手になった私。
当時の心はボロ雑巾のようになっていたけれど、自分に向き合うことはしなかった。カウンセリングを受けた方が良かったかもしれない、と大人になって後悔することもあった。

幼いころの感受性は大人の約6倍もあるそう。
できごとの一部を切り取って、ネガティブなイメージを肥大させていることがあるようだ。
長年経っても消えなかったあの頃の記憶は、思い違いだったのか?と最近考えはじめた。
怒鳴り散らす父でも、泣きじゃくる母でもない。不穏な空気が流れ続ける家庭でもなかった、かもしれない、と。

「優しい、手が器用、友達思い、キレイ好き、、、」父の好きなところを書き出した。母もまた「愛情深い、チャーミング、人が好き、好奇心がある、、、」。

痛みに耐え出産し、ご飯を作り、オムツをかえ、寝かしつけ、習いごとに通わせ、病気をすれば病院へ、働いたお金は子どものために…想像以上に大変なことをこなしてくれただろう。二人にしか分からない思い出もたくさんあっただろう。
そんなことを想いながら書いてるうちに、涙が溢れた。

たくさんの思い違いがあるだろう。
正直辛かったけれど、もう十分だった。
自分の想いを認めて、癒したい。

「幸せ」とは、人それぞれ。
けれど、
人を愛することは幸せの一つかもしれない、と両親を見ていてふと思う。長い時間がかかったけれど、気づかせてくれてありがとう。

そろそろ幸せになっていいかもしれない、
そう思える自分がいとおしい。

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