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『時間』について少し考えてみる。

今日は、『時間』について少し考える一日でした。


お休みの今日、いつもなら少し遅めに起きるのですが、
何故か今朝は早めに目が覚め、いつも以上に時間をたくさん使える一日に。

頭もすっきりして調子が良かったので、早い時間から友人の結婚式で使うウェディングムービーを制作することにしました。

パンをかじり片手間で朝食を済ませつつ、コーヒーを何度かお代わりしながら作業に没頭。
珍しく集中力が途切れることなくスムーズに作業が進んで行き、今日はずいぶん調子が良いなと、るんるんした気持ちになっていたのですが、
ふと気が付くと、太陽が傾きだしていて。

「え、嘘でしょ」

と、時計を見ると、もう16時半を過ぎたところ。
気付かないうちに8時間くらい過ぎていたのでした。
(体感は5時間くらい。笑)


ここですごく不思議だったのが、
毎日の仕事で「8時間労働」という時間の感覚は染みついていると思っていたのに、今日はずっと短い体感の「8時間」を過ごしていたこと。

同じ時間の長さなのに、感じ方が明らかに違う。

調子が良くて集中できたせいかなのか、楽しくて夢中になっていたせいなのか・・・

どれが原因かは分かりませんが、

『意識次第で時間の体感も変わる』

ということなのかもしれないと、
実感を伴って感じられた一日でした。


退屈な時間は恐ろしく長く感じるし、
楽しいことはあっという間に過ぎていく。


当たり前の感覚ですが、考えてみるとすごく不思議に思えてきます。

地球にいる大勢の人間が同じ時間の中で生きていますが、思ったよりも、それぞれ全然違う感覚で生きているのかもしれませんね。




少し話は変わり、
昨日つぶやきにて、写真家である星野道夫さんのエッセイ『旅をする木』を読み始めたことを書きましたが、この本を読んでいても少し時間について思うことがありました。

1999年に発刊されたこの本。

アラスカの自然の中で星野さんが綴った言葉たちに触れてみると、当時の時間が今も流れているように感じられました。まるでリアルタイムでその話を聞いているかのような、不思議な感覚。

星野さんは1996年にロシアで亡くなっています。
しかし文章の中では、雄大な自然と共に過ごす星野さんの時間が、確かに今も息づいていて。

そしてそれを読んでいるのが、2023年現在の私。

エッセイをあまり読まないせいか、この感覚はとても新鮮で、とても不思議に感じられました。



このことについて考えていると、
以前、解剖学者の養老孟司さんが動画でおっしゃっていたことも思い出されました。

「言葉には、静止している<情報>と、流転している<実態>の両方の側面がある」
(少しうろ覚えですが、こんなニュアンス。)


言葉には、時間の流れと、時間の静止、つまり「変化」と「不変」二つの側面が重なっている。
そんなイメージでしょうか。

動画を観た当時はよく分からなかったのですが、
今ならほんの少し、何か掴めるような、そんな気持ちにもなりました。


『時間』


今日はその一端に、ほんのり触れたような感覚があって、
もっと大切にしなければと考えさせられる、そんな一日でした。



今日はいつも以上にまとまらない内容となってしまったので、この辺で。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

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