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人間関係を豊かにするのは、「干渉しない」こと


◆できれば友達はいらない、と思っていた子ども時代

"友達"という存在に、
子供の頃から違和感を感じているタイプで、
「できれば、いらねぇ!」と
思っているタイプでした。


なにせ、面倒でした。


子供の頃は、自分の気持ちをきちんと言葉にして話せない子どもでしたから、ちょっと押しの強い女子にグイグイ来られると、とんでもないストレス!


とりあえず話題を合わせるのですが、
本心ではまったく相手に関心がないので、
いつも心は上の空。


表面上、問題を起こしたくないので、
適当にお付き合いする、
というスタンスでした。


そうしていると、相手はどんどん勘違いしてしまい、
知らぬ間に「親友」になっていた、なんてことも(笑)

そうなると、本当に面倒なことになるのです。


私としては、適当に
うんうん、と、
聞いていただけで、
心の中では100メートルほど距離を取っている状態。


でも相手は、
私をなんでも話せる親友のように思っている。。。


いま思えば、これはわたしにも原因があります。


興味がないなら、
興味がない!という態度を示せば良いのに、
さも興味があるように話を聞いていたのですから、
相手がそう思っても仕方がありません。


いい人ぶってしまった訳です。


「嫌われたくない」
「どこかのグループに所属していたい」


という心理は、人間として当然のことなので、
このような出来事は、古今東西、
いついかなる時も、どんな人にも起き得ることですが、


大人になったいまは、
家族でも友達でも、ある程度の距離感が絶対に必要だと考えています。

というより、本当の仲良しとは、
相手に干渉しないことではないか、
と思うほどです。


究極、
誰も自分の思い通りになど、
なってはくれません。


家族なんだから私(俺)の言うことを聞け!
あなたは私の親友なんだから、これを手伝って!
私の子どもなんだったら、これくらいできて当たり前!



みたいに、相手を自分の欲求や願望通りに縛ることは、
たぶん永遠に無理。



〜さんがこうなってくれたらいいのに、
〜がこうしてくれたら上手くいくのに、
のような、



〜だったら、〜してくれたら、
という「たられば症候群」になっているときも、
人の状況に気を取られて自分の人生を生きていないときなんだと考えています。


天ジュラムのセッションをしているといつも思いますが、どんな人の魂も独立していて、自由で、
目指すものは全く別で、だからこそ豊かで楽しい。


金子みすゞさんの詩にあるように
「みんなちがって、みんないい」
なのだと思います。



◆誰しも、視点が違うのだから


よく喋るリーダータイプの人の方が、
1人ではいられないさびしんぼう、
というのはよくある話。

逆に大人しくて普段からあまり喋らない人の方が、
どっしりと身構えた、孤独に強いタイプであったりします。


群れる、
という言葉を聞くと、
なぜだか私は、
本当は繊細で自分に自信がない…でも、表向きは溌剌としていておしゃべりな人が、
話しやすそうな人をかき集めて、ランチやら飲み会やらに繰り出している姿をイメージしてしまいます。


たぶん、これまでの人生のなかで、
そういうグループに所属したこともあれば、
そう言うタイプの人をたくさん見てきた、
という経緯もあるし、



一時期は、
自分もそういう厚苦しい女だった経緯があるものですから、余計にわかるわけです。



「寂しさ」「注目への欲求」「愛情の枯渇」などなど、
うまくいかなくなる人間関係の根っこには、
たいてい満たされなかった自分がいると思っています。


満たされなかったことを、無意識に満たそうとするうちに、望んでいた理想的な関係からはかけ離れていくんです。なぜかといえば、それは自分の気持ちだけにフォーカスした関係であり、自分の気持ちを相手が満たしてくれなければ不満であり、相手が自分にどれほど気を遣ってくれていたかなど、お構いなしの立ち位置なわけです。


みんなそれぞれ、視点が違い、望みも、行動のパターンも違います。



それでも友達になり、同僚になり、家族になり、ともに生きていくのだから、何より大切なのは自分の人生は自分1人のものだと自覚して、自分のことにフォーカスすることなんじゃないかな、と。


スピリチュアルなセッションをふだんしておりますが、
ほぼ全ての悩みの根源には人間関係があるなと、
感じています。



お母さんにビシビシ厳しく礼節を教え込まれたとか、
友達に無視されてから引っ込み思案になったとか、
横暴な上司に無理難題を押し付けられてずっとストレスが溜まっている、とか…


地球っていう星に生きていると、
いらねぇ人間関係の問題にぶち当たるのでとかく面倒ではありますが、問題が起きたなら起きたなりに、自分のことを振り返るチャンスなわけで、


嫌な人間関係に巻き込まれやすい時期にこそ、
自分はほんとうの人生を生きているかしら?と、
振り返ることで、成長のヒントが見つかることも多いです。



相手や状況のせいにするのは1番楽ちんで簡単な方法ではあるのですが、それは自分へ何もフォーカスしていないので、人や場所を変えても同じ問題を繰り返すことになります。根本にあるのは、「自分はどうしたいか」ということだけ。


自分を大切にしていなければ、ほんとうの意味で相手を大切にできない、とはよく言ったもの。


でも真実だと思います。


自分に愛を持って向き合っていないのなら、
どんなにランチや飲み会に繰り出しても、
ずーっと満たされないし、ずーっと不満なのだと思います。


相手は自分とはちがう人生を生きている、
そして、自分は自分の人生を生きている。


みんながちがうことを受け容れて、
相手をコントロールしないこと。
コントロールすべきは自分の在り方だけ、と、いうこと。



◆豊かな人間関係はどんなもの


私が考えている豊かな人間関係は、
最初にも言ったのですが、
干渉しない関係。


干渉しないなら、いっしょにいなくていいではないか!
という話にもなりそうですが、
そうではなくて、
 

相手があるがままであることを、
そのまま受け容れる関係が良いかな、ということ。


あるがままを受け容れたら、依存じゃなくて、尊重になると思っています。尊重のある場所には、相手が心地よく振る舞うスペースもあるし、自分は自分のままで振る舞えるスペースもある。距離を詰めすぎることもなく、ただそのまま、感性の響き合うまま、話したり行動したりできる。



人間って、
その人の笑顔が好き、とか、話題が面白い!、とか、
考えを理路整然と話せるところが分かりやすい、とか、
なにか、じぶんの感覚や感性や価値観に響き合うものを持っている人と惹かれ合うのだから、その響き合っているところを豊かに深める関係こそは理想です。

それは、お互いの魅力的なところを深めていく関係であって、成長や喜びや癒しにつながることはあっても、支配やコントロールにはならない。



今日こんなことを書いてみたのは、
さいきん、あらゆる業種の方と関わる機会も多く、
人間関係の困難さは多くの人が直面するものだと、
身をもって体験している最中だからなのですが‥


どんなに優秀でバリバリ仕事ができる方でも、実は家族のことで悩んでいたり、
楽しそうなお友達に囲まれているように見えていても、実は内部で揉めていたり、
どんな人でも、生きていればいろいろあるわけで‥


でも、人とのつながりは、どんな状況であっても、さまざまな学びや気づき、楽しみと喜び、困惑や痛みも体感させてくれる、地球時間のプレゼントのようなもの。


響き合える人と出会えたなら、そのご縁と奇跡に感謝して、豊かに生きる人生の時間を共にクリエイトしていきたいものです。


だから干渉しない。
関わらないのではなくて、干渉せずに尊重しながら、響き合ってる感じがよい。
悩みごとも、相談はしても、過剰に答えを求めないこと。ほとんどの場合、答えを知っているのは自分だけなのだから。


ちょっとふわふわしたことを書いてしまったようにも思いますが、私なりに、人間関係の変化を感じる新しい局面を迎えているいま、ちょっと書き残しておこうと思った次第です。


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