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エッセイ『いいあんばいで。』【文学賞落選作品#7】

 おばあちゃん、お久しぶりです。あれからもう30年が経ってしまいました。私はなんとかやっています。
 民生委員をしていたおばあちゃんを見習って、介護の仕事をしながら町内会で役員をしてみたり、ボランティア活動に参加してみたりしましたが、はりきり過ぎたのか体調を崩してしまいました。今は仕事を辞めて無理のない範囲で少しずつ頑張っています。
 

 最近、おばあちゃんがよく言っていた、「いいあんばいで」という言葉を思い出しました。夏休みにおばあちゃんの家へ泊まりに行くと、毎日のようにお墓参りに連れて行ってくれましたね。
 
 子どもの足では15分くらいかかった気がしますが、きっとおばあちゃんが私の歩く速さに合わせてくれていたのでしょう。その道中で会う人、会う人におばあちゃんが挨拶代わりのように言っていたのがその言葉です。
 
「いいあんばいで。」

 子どもだったわたしには意味がわからず、方言か何かかな?と不思議に思いながらも、おばあちゃんも相手もニコニコとやり取りする様子を見て「きっと何か、いい言葉に違いない」と思っていました。
 
 大人になってそれが、「程よい状態」という意味であることを知り、なるほどなぁと納得しました。
 

 私がおばあちゃんを大好きだったのは、いつもニコニコしているだけでなく、色々なことを教えてくれ、私が何か失敗しても決して怒らなかったからです。そしていつも黙って人のために働き、絶対に人の悪口を言わない、そういうところが大好きでした。
 きっと近所の方々からもそんな人柄が認められて、民生委員という責任ある仕事に推薦されたのでしょう。
 

 私も大人になって「ご近所付き合い」というものをするようになり、挨拶の大切さを身に染みて感じています。特に、「おはようございます。」の後にもう一言あるかないかで全然違うということ。
 それがあることで、相手に対する思いやりが生まれ、単なる挨拶ではなく「会話」になるのです。
 

 おばあちゃんは無意識にそれをやっていたんだと思うと、改めておばあちゃんの人間的な素晴らしさを感じずにはいられません。
 
 そして、自然体でいること。
 それが本当の「いいあんばい」なのですね。
 
 私は早くおばあちゃんのような素晴らしい人間になりたくて、少し焦りすぎていたのかもしれません。実力不足のまま、人から頼られるのが嬉しくて無責任に多くのことを引き受けてしまいました。こんなバカな孫ですみません。
 
 でもきっと私の大好きなおばあちゃんなら、ニコニコと笑いながら
「そりゃあ、はぁ、大変だった。」
と、今の季節なら庭から取ってきた枇杷の実を差し出してくれるでしょう。

 私は50を過ぎてやっと自然体で生きていくことの大切さと難しさを知りました。
 
 幸せになるためには、自分の不運を嘆いたり、自分の力不足を言い訳にしていたらいつになっても前には進めない。だから、ちょっと遅くなったかもしれないけど、今から歩き出します。
 
 一歩一歩、ゆっくりと着実に。

 今、おばあちゃんの声が聞こえてきました。
 「いいあんばいでな。」と。

 
♡♡♡今も大きな愛で見守ってくれている
大好きなおばあちゃんへ、
いっっぱいの愛を込めて。♡♡♡

桑田 華名

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