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私が優等生のレールを外れたワケ。

25年間築き上げてきた「優等生」という立ち位置を捨てた。私だって失敗するし、感情の浮き沈みも激しいんだ。一生懸命積み上げてきたものを捨てるとき、新しいものに出会えると信じている。

※初回公開後、一部編集しています。

◆優等生時代

私は小学生の頃から勉強が好きで、いわゆるガリ勉だった。とは言っても陰キャラでもなく友達はいたし、割とオープンマインドに見える方だったと思う。

学校の授業はしっかり聞くし、先生へのアイコンタクトもばっちりする。宿題も忘れない。テストも毎回本気で挑む。成績も良い。

習い事は、①ピアノ ②習字 ③スイミング ④英語、中学3年生からは塾にも通っていた。

委員会、係活動、遠足の班ではたいていリーダー役になり、生徒会長までやった。

どこの学校にもいる”ザ・優等生”タイプ。

私立高校、私立大学英米文学科に進学し、短期留学へ行ったり、ゼミの活動に勤しんだり、英語の教員免許も取得した。

◆社会人時代

大学卒業まで親が必死に敷いてくれた”レール”の上を必死に走ってきた。就職活動も真面目にやって当時できる最善の選択をした。

英語は好きだったけど、仕事で英語を使うことにこだわって視野を狭めたくないと思っていた私は、ソフトウェアの会社に就職。幅広ーい業務を経験させていただいた。ここでも「まじめで自頭が良い子」という風に見られていたと思う。

うまくいくこともあった。

うまくいかないこともあった。

英語という自分が得意としていたことにこだわらなかったことで、「仕事をする」という点で純粋に自分を試すことができたし、成長させることができた。

頑張って努力賞をもらえばいいわけでもない。仕事をする人として、結果にこだわって正しい努力をする必要があるということを学んだ。

楽しいこと、辛いこと、いろんなことを乗り越えてふっと落ち付いた時、私は次にどこに向かえばよいのだろうと考え始めた。

その時の自分は、環境に甘んじていると感じた。

成長への貪欲さが戻って来た。

「私はこのままここにいたらどんどん衰退していく。もっと成長したい!」恐怖に近い感情が湧いてきた。これは会社のせいではない。自分自身が、恵まれた会社の環境に甘えてしまっていた。

誰かが育ててくれる。誰かがどうにかしてくれる。そんなわけない。私は次の目標を探し始めた。


◆ワーホリという選択

環境を変える方法を考えてみた。まず最初に思い浮かんだのは転職だ。転職サイトに登録して、求人を探した。でも、私は目標を見失っていたために、次にどんな仕事がしたいのかもわからず、なかなか進まなかった。

そこで舞い込んできたワーキングホリデーの広告。もともも海外への憧れはあったし、英語もテストはできるけど使えないという日本人にありがちな英語好きだった。

自分が憧れてたこと、好きだけど中途半端にしてきたものと、一回ちゃんと向き合ってみようと思った。

そして私は決意した、本気のワーホリへの挑戦。

「どうせ旅行でしょ?まぁ、楽しんできなよ。」
そんな声ばかりだった。

私は、そんな生温い気持ちで海外に行ったのではない。見返したかった。

異国の地で、一人前の大人としてはマイナスからのスタート。

苦しかった。

辛かった。
自分自身と向き合うことがとても多かった。
自分が情けなくなった。

お金がないときは500gで¢60のパスタで凌いだ。

生卵を投げつけられたこともある。

必死に仕事を探し、シフトを勝ち取り、人に必要とされることも増えた。自分にだんだん自信が付いて行った。

結果、所持金AUS$400から、半年でAUS$10,000貯金に成功した。

たくさんの出会いもあった。
環境を変えると出会える人が変わる。体験をもってそう学んだ。ワーホリに行ったことで出会えた人たちは私の財産だ。

幼い頃から鍛え上げた、真面目さ、考える力、根性に助けられた。

親が敷いてくれたレールが頑丈で安心だったからこそ、私は無心でその上を走れた。

本当に感謝しかない。

だから、今度は私がレール敷ける人になりたい。もしくは、レールなんて無くても遠回りをしても、傷を負っても進んでいける、そこに幸福感も生めるということを証明していきたい。

自分の人生に責任を持ち、誰のせいにもせず、自分の足でちゃんと立つ。

この先、この世界がどうなるかなんて誰にもわからない。自分がコントロールしきれないことに一喜一憂したり、振り回されたりせずに”しなやかに”生きていくんだ。

私は、この挑戦を始めた。

今更レールの上に戻して欲しいなんて言わない。

挑戦し続ける。

過去の自分の選択を正解にするのは未来の自分。

頑張れ!Japallengers!


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