小沢健二「キツネを追ってゆくんだよ」を観て心が動いたことを少しだけ

書くことは分断することかもしれない。
書くことで繋がりを広げているような気がしていたけれど
どこか怖いと思っていたことは、そういうことだったのかもしれない。
「書く」ことで思いの輪郭が際立ち
知らずに誰かを除外しせっかくの繋がりを、もしくは繋がりを持たぬままに分断してしまう。そんな怖さは確かにある。

これは昨夜、配信された小沢健二の配信番組「キツネを追ってゆくんだよ」を観て感じたこと。小沢君は「沈黙は金とかいうけれど」といいながら「言葉を発するというのは何かを失うということ」と言っていた。そこで、ピンときた。小沢君風に言うと、ぱちーんっときた。書きたいと思っていても書けないこともある。書かないこともある。共感しあいたいと思っていても除外することになるかもしれないと、どこかで感じていたから。

私みたいにわかりあいたいだなんて言葉をぶつけてみても、あまり意味のないことだったんだな。「わかりあえないってことをわかっておくってこと」これも昨日、心に残ったこと。

昨日の小沢君の番組は一言でいうなら「さすが!」だった。ここで内容をいろいろ書いてしまうのは気が引けるし、私を介しての小沢君の言葉は恐らく別ものになってしまうので書けないけれど。
書くことをしている人にも音楽をしている人にも家族と過ごしている人にもひとりで自分は無力だなんて感じている人にも、とにかくたくさんの人にこの番組見てほしい。(アーカイブ配信中)小沢君が用意してきたそのものも良かったし、生配信ならではのハプニングによって見ることができた小沢君の思いとか場の空気とかBOSE君のもろもろとか。

小沢健二はいつも最高!

こんなに嬉しいことが、起こるのでしょうか?!